まず結論から
- 姿が見えない相手でも、「聞かれている」ことは話し方を変えます。姿を見せない二人が部屋の後ろにいて、咳で存在だけを知らせる条件で文を読むと、吃音のある大人の唇の動きだけが、聞き手のいない条件より型にはまり、硬い方向へ動きました。
- 一時的になめらかに話せる条件は、研究の側でほぼ決まった顔ぶれです。声を合わせて読むこと、メトロノームに合わせること、外国語のアクセントや役を演じることのような身についていない話し方、ホワイトノイズ、歌が並びます。学会の解説も、歌うとき・2人で声を合わせるとき・独り言のときに一時的になめらかになる人が多いとしています。
- 逆にいちばん詰まりやすいのは、「よく知っているのに、きちんと言わなければならない」言葉です。理論を立てた論文は、その代表として「名前を言ってください」と言われて自分の名前を言う場面を挙げています。配信の名乗りや、とっさの一言は、この側にあります。
- 自分から「吃音があります」と相手に伝えること(研究では自己開示と呼びます。自分の側から明かす、という意味です)は、条件を決めて集めた研究18件のうち15件で、全体として好意的に働いていました。謝るような言い方より、謝らない言い方のほうが好意的に受け止められています。
- ただし日本の当事者は、同じ物差しを使った米国の調査より、打ち明ける度合いが低いと報告されています。自助グループの経験がある人ほど高い、という関連も出ています。
ただし、配信という場そのものを調べた研究は、この記事の手元にはありません。上の実験も、実験室で画面の文を読む課題で、聞き手とのやりとりは意図的に含まれていないと著者自身が断っています。また、この記事は配信者の話し方から吃音の有無を推し量りません。名前を出すのは、本人が自分で公にした範囲だけです。
配信の途中で、本人が自分から話した
「吃音のある配信者はいるのか」という問いには、公にされた記録で答えられる範囲があります。2022年8月29日、「にじさんじ」所属のバーチャルライバー・三枝明那(さえぐさあきな)さんが、ゲームのプレイ配信の最中に、自分の吃音について話しました。その内容を、本人の配信での発言とそのときの投稿を引用する形で、ニュースサイトが報じています。
ねとらぼの記事の地の文(本人が配信で話した内容を記者がまとめた部分。話者は、にじさんじ所属のバーチャルライバー三枝明那さん本人)
対戦ゲーム「フォールガイズ」のプレイ配信中、三枝さんは少々言いよどみ、「みんなごめんな聞き苦しかったら」と謝罪。リスナーの質問に対し、物心ついたころから吃音を抱えていたことを明かしました。それについてコンプレックスはなく、いじられることにも慣れたと述べながら、配信として聞き苦しくはないかと、リスナーを気遣っています。
三枝さんは自身の症状は軽いほうで、意識してしゃべっているときは出ないものの、「APEX」のチーム戦で、とっさに仲間への報告が必要になるときなど、焦るとどうしても言葉に詰まってしまうとコメント。それが味方に申し訳なくて、APEXの配信や大会には消極的なのだそうです。
きっかけは、配信中の言いよどみと、それを受けたリスナーからの質問でした。記事はさらに、本人が、しゃべるときは常に頭の中で次に出す言葉を考えていて、これは詰まりそうだと思ったときは言い方を変えるよう普段から工夫していると話したこと、それでも人と対面で話すときはもっと別のことに気を使うため症状が出てしまうと語ったことを伝えています。この発言は切り抜き動画で広まり、本人は「悩んでる人みんなが今よりちょっとでも気持ちが軽くなれることを願っておるよ」とコメントしたと記事は結んでいます。自分から明かすという行為が相手にどう届くかは、研究の側が30年ぶんまとめています。
出典: にじさんじ三枝明那、自身の吃音をポジティブに語る動画に反響 「勇気をもらった」「理解が広まってほしい」(ねとらぼ)(台帳: V0391)
自分から「吃音があります」と相手に伝えることを、研究では自己開示と呼びます。自分の側から明かす、という意味の言葉です。2026年に出た報告は、条件を決めて集めた量的研究18件をまとめ、全体として好意的な影響が示されたのは18件のうち15件だったとしています。伝え方を条件として比べた研究に限ると、13件のうち12件で、謝るような言い方や何も言わない場合より、謝らない言い方のほうが好意的に受け止められていました。著者らは、謝らない形で伝えることが、「どもる人はこうだ」という決めつけを向けられるかもしれないという負担をやわらげる、と結論づけています。
ただし同じ報告は、伝える場面・年齢・吃音の頻度や重さ・相手が吃音のある人と知り合いかどうかによる違いは、そもそも調べた研究が少ないと書いています。何万人が見ているかもしれない配信という場は、その「まだ調べられていない場面」に丸ごと入ります。
日本ではどうか、という話もあります。自助グループなどを通じて集めた日本の吃音のある成人の調査では、打ち明ける度合いは、同じ物差しを使った米国の調査より低いという結果でした。より高い度合いと結びついていたのは、男性であること、自助グループの経験があること、自分を受け入れている度合いが高いこと、吃音への偏見を自分自身に向けてしまう度合いが低いことで、著者らは、日本の当事者が伝えにくい傾向には社会文化的な違いが表れているのかもしれないと述べています。海外の吃音支援団体が、SNSで吃音のある日常を発信する人たちを「世間の見方を変えつつある人たち」として一覧で紹介しているのと、日本の当事者調査の数字は、同じ方向を向いていません。公表した人が目立つからといって、それが普通になったわけではない、ということです。名前の一覧の読み方は吃音の有名人の記事に、X(旧ツイッター)を入口にした発信の話は吃音とツイッターの記事にあります。
「普段はどもらないのに」——聞いている人がいると、話し方は変わる
顔を出さないことと、人前に立たないことは、同じではありません。配信では、相手の顔は見えず、自分の顔も見せません。それでも、聞いている人はいます。そして吃音には、日常の会話ではほとんど出ないのに、自分に注目が集まった瞬間だけ言葉が出なくなる出方があります。手記にそれを書き残した人がいます。
当事者本人の声(丹佳子さん・執筆時41歳・市役所職員/自助団体のサイトに再掲された、公募に入選した手記。引用は中学生の頃を振り返った箇所)
これを友達に話したら大爆笑された。これは、私のどもりはいつもどもるのではなく、普段の会話はそんなにどもらないのだが、授業であてられたときなどに、突然言葉が発せなくなるタイプのどもりだったので、クラスの違う友達は私がどもりで悩んでいるというのを知らなかったせいもある。変な人と思われるのが嫌だったので、その後人に打ち明けることはなかったが、この考えは私の中で重要な地位を占めるようになった。
引用の冒頭にある「これ」は、この人が中学生の頃にたどり着いた考えを指します。自分の話し方を「私にとって背負うべき十字架なのだ」と受け止め直した、という考えでした。それを打ち明けた相手は、同じ学年でもクラスの違う友達です。普段の会話では出ないのだから、友達が知らなかったのも当然でした。返ってきたのは大爆笑で、それ以降この人は誰にも話さなくなります。日常の会話では出ず、あてられた瞬間にだけ出なくなる——この出方が、聞き手のいる場面と、そうでない場面の違いを、そのまま示しています。人がいるかどうかで話し方がどう変わるかは、唇の動きの水準で測られています。
出典: 第16回ことば文学賞 あるどもり人(びと)の告白(日本吃音臨床研究会「吃音と上手につきあうための吃音相談室」)(台帳: V0157)
2016年に出た実験は、この「人がいるだけで変わる」を測ろうとしたものです。吃音のある大人20人と、吃音のない大人21人が、同じ文を繰り返し声に出し、そのあいだ唇の動きを赤外線の目印で追いかけました。条件は2つで、聞き手がいる条件と、いない条件です。
この実験がうまいのは、聞き手の作り方です。面識のない男女2人が部屋に入り、参加者の真後ろの椅子に座って、最後まで姿を見せません。見た目による偏りを避けるためです。そのかわり、途中で3〜5回わざと咳をして、男女がそこにいることが分かるようにしました。つまり、姿は見えないが、聞いていることは分かるという状態を、意図してつくっています。配信の向こう側に人がいる状態と、形のうえでよく似ています。
結果は、はっきり分かれました。聞き手がいる条件では、吃音のある大人の発話だけが、文の中の動きの型が決まった方向へ、そして安定しすぎる方向へ動きました。吃音のない大人には、この動きがありませんでした。著者らはこれを、社会的な場面での話しにくさを補おうとして、融通の利かない硬い話し方を取っているのではないか、と解釈しています。あわせて、注意が外に向くと運動はうまくいき、体の内側に向くと邪魔される、という別の分野の仮説を引き、ふだんは意識せずにできている発話に注意が向くこと自体が、その働きを妨げうると述べています。
注意しておきたいのは、著者自身が並べている限界のほうです。データは実験室という不自然な環境で集められ、参加者は画面から比較的単純な文を読み上げただけでした。吃音は主に意味のあるやりとりの中で現れるものなので、結果がどこまで広げられるかには懸念がありうる、と著者らは書いています。聞き手を入れたのは社会的な場面に近づけるためですが、その条件は意図的にやりとりを含まない設計でした。だからこの実験は、「配信ではこうなる」ではなく、「聞いている人がいるというだけで、吃音のある人の発話は変わりうる」というところまでを示すものです。
決まった言葉と、その場で出す言葉——形式は選べる
同じ「話す仕事」でも、場面ごとに話しやすさはまるで違います。だとすれば、話す形そのものを組み替える余地があるはずです。それを場面ごとに書き出した手記があります。書いたのは、医師歴約20年の耳鼻咽喉科医で、本人にも吃音があります。学術誌の特集に寄せた文章のなかで、5つの場面と、そこでの工夫を順に挙げています。
吃音のある耳鼻咽喉科医本人の声(大学病院勤務・医師歴約20年/学術誌『医学教育』に掲載された本人執筆の手記。引用は5つの工夫のうち4つ目と5つ目)
四つ目は,「手術前カンファレンス発表」.大学病院では外来医長として,翌週の手術のプレゼンテーションをしないといけないが,OHP,プロジェクター,マイクを使っている.このシステム自体は当科で以前から使われていたが,OHPで手術症例の内容をまとめた文章を見せながらマイクでプレゼンすると言いやすい.吃音のために声が小さくなる可能性があるが,マイクで大きくできるため,有用である.
五つ目は,「学会発表」.年に数回,学会発表があるが,7分の時間制限のある発表では,吃音の調子が悪いときに発表時間を超えることがある.その対策として,事前に発表動画を録画して,当日に動画を流す場合,会場のマイクを使った音声と同じであり,違和感はなく,時間通りに発表を終えられるメリットがある.
手記は5つの場面を順に挙げています。診察室前の患者の呼び出しは番号表示にし、いないときは他のスタッフに頼む。患者との会話は、調子が悪いときは電子カルテやスマートフォンの画面に拡大した文字を見せながら話す。他の病院への電話は、代表番号で自分と相手の名前を言わなければならず、そこで詰まると何度も聞き返される苦痛があるので、他のスタッフに掛けてもらう。そして引用した4つ目と5つ目——画面とマイクを併せて使うこと、時間制限のある発表は事前に録画しておくこと。どれも「吃音を治す」工夫ではなく、話す形のほうを組み替える工夫です。なぜ形が変わると出方が変わるのかは、理論の側で説明されています。
出典: 発達障害(吃音)のある医師(『医学教育』55巻2号・特集「インクルーシブ教育を考える」)(台帳: V0020)
2022年に出た理論の論文は、場面によって話しやすさが変わる理由を、2種類の処理の組み合わせで説明しています。ひとつは、意識しなくても勝手に進む処理。もうひとつは、意識して組み立てる処理です。どちらかに極端に寄った話し方は、なめらかになります——とっさの叫び、ひとりごと、あいさつのような決まり文句は前者に寄っており、訓練で身につける新しい話し方は後者に寄っている。どちらも、頭の中でのぶつかり合いが小さいからだ、というのが論文の説明です。
逆に、いちばん起きやすいのは、その両方を同時に高い水準で使わなければならない発話です。論文がその代表として挙げるのが、「名前を言ってください」と言われて自分の名前を言う場面です。本来はよく覚えていて努力のいらない行為なのに、伝える責任の重さから意識的な処理を使いすぎてしまう、と説明されています。配信でいえば、名乗りと、とっさの一言が、ちょうどここに当たります。先に引いた記事で、本人が「意識してしゃべっているときは出ない」一方で「とっさに仲間への報告が必要になるとき」に詰まると話していたのは、この説明の線の上にあります。
一時的になめらかになる条件のほうも、研究の側で列挙されています。脳の回路を扱った総説は、声を合わせて読むこと、メトロノームに合わせること、外国語のアクセントや役を演じることのような身についていない話し方、ホワイトノイズ、そして歌を挙げ、さらに自分の声の聞こえ方を遅らせたりずらしたりする装置も一時的な変化をもたらしうるとしています。日本吃音・流暢性障害学会の解説も、歌うとき・2人で声を合わせるとき・独り言のときなどに、一時的ですがなめらかになる人が多いと書いています。台本を読み上げる時間、キャラクターとして話す時間、歌う時間は、この並びの近くにあります。名乗り・雑談・寄せられたコメントへのとっさの返しは、この並びにありません。演じることと話しやすさの関係はブルース・ウィリスと吃音とエミリー・ブラントと吃音の記事が、歌については吃音と歌の記事が扱っているので、ここでは触れるにとどめます。
もう一つ、形式の話に必ず添えておきたいことがあります。同じ学会の解説は、調子の良い状態・悪い状態が数週間から数か月にわたって続く人も多く、この変動を「波」と呼ぶと書いています。ある月の配信がうまくいったことも、別の月に苦しいことも、どちらも同じ人に起こります。
見る側から、声を出す側へ
配信を「する」側に回る理由は、有名になりたいから、とは限りません。吃音とチック症があると自分で書いている作家が、15年ぶりにギターを手に取ったことを綴った文章があります。この人は、自分の制作の様子をときどきライブ配信しています。
当事者本人の声(土井田一将さん・ソーシャルアート作家/本人が個人ブログ note に書いた記事。吃音症とチック症があると本人が記している)
はじめまして。
私は、吃音症やチック症があります。
歌うときに顔がピクッと動いたり、話すときに吃ったりしまうことがあります。
それがずっと、自分の中で小さなコンプレックスでした。
文章はこのあと、生まれつき左手の中指が少し曲がっていてギターのコードを押さえにくいこと、上手い人の演奏を見て「こんなの無理だ」と思ったことへ進み、それでも「完璧な形なんて、実は必要なかった」と書きます。上手い下手ときれいな声という物差しで自分の声を測っていたから歌うのをやめたのかもしれない、とも振り返っています。文章の末尾には、ジャンベやギターや絵の制作を日常の合間に配信していること、たまにライブ配信をしていることが、本人の言葉で添えられています。声を出す場を、評価される場ではなく制作の場として持ち直した、という形です。画面の中で流暢に見えるかどうかが、その人の吃音をどこまで表しているのかは、研究の側が問い直してきたところです。
出典: 声を出す(note)(台帳: V0352)
吃音のある人の体験を治療に生かすことを論じた総説は、外から見える流暢さの意味そのものを問い直しています。流暢さを高める技法を使っているとき、聞き手には流暢に聞こえても、本人はより大きな努力を払っている場合がある。そうして得られた流暢さは、吃音のない人の自然な流暢さとは別物で、「見せかけの流暢さ」と呼ばれてきた、と総説は紹介します。さらに、外から分かる乱れが無いまま、話しているときにコントロールを失う感覚を抱いている「隠れた吃音」もあるとされます。だから、観察できるどもりが無いことを「吃音が無い」「うまくいっている」の指標に使うと、その人の吃音を表面だけで捉えることになり、実際には話すこと自体を避けているだけなのに支援を早く打ち切られる危険がある、と総説は述べています。
同じ総説は、聞き手には見えない行動があることも数で示しています。特定の音や語や場面を避ける、詰まりそうだと思ったときに言葉を言い換える——500人を超える吃音のある大人への調査では、約半数が少なくともときどきこうした行動をとっており、1〜2割は「よく」または「いつも」とっていました。配信の画面には、避けた言葉も、言い換えた言葉も映りません。
発信そのものは、すでに当事者の活動の一部になっています。英国の吃音支援団体が公開している一覧は、芸術・SNS・社会運動を通じて世間の見方を変えつつある人たちを紹介するのが目的だと冒頭で述べ、そのなかにSNSで発信する人たちの区分を設けています。ただしこれは団体がまとめた一覧であって、発信することが誰にとってもよい選択だと示した研究ではありません。動画を見ること・撮ることそのものは吃音の動画の記事で、歌やステージのように「見られながら話す」仕事は吃音のアイドルの記事で扱っています。
配信をしていても、相談していい
画面の中で話せているからといって、困りごとが無いわけではありません。相談先を先に置いておきます。日本言語聴覚士協会のページは、ことばの障害の種類を説明するなかで、失語症や言語の発達の遅れ、舌の手術のあとの発音の困難、声帯の病気による発声の問題と並べて、スムースに話をすることが難しい吃音もことばの障害に含まれると明記しています。専門職の団体が、吃音を自分たちの守備範囲として書いている箇所です。
探し方には注意が要ります。吃音ポータルサイトは、言語聴覚士(ことばと聞こえの専門職)が国家資格で、養成課程に吃音が含まれていると説明したうえで、業務が多岐にわたるため必ずしも全ての言語聴覚士が吃音の指導や支援を行えるわけではないと書いています。病院や協会、都道府県の言語聴覚士会に事前に問い合わせる、という手順もそこに示されています。
同じ立場の人と会う場もあります。日本吃音・流暢性障害学会の解説は、自助団体について、当事者が「吃音があるのは自分だけではない」と認識し、共通の体験を語り合い、互いに援助し合うことが活動の中心だと説明しています。吃音ポータルサイトは、自助グループは当事者の集まりなので言語聴覚士のような学術的な知識や専門的な指導は受けられないと先に断ったうえで、同じ悩みを持つ仲間と出会い、当事者どうしでないと感じられない連帯感のなかで悩みを聞いてもらえる、とも書いています。日本の当事者の調査で、自助グループの経験がある人ほど自分から伝える度合いが高かったことも、あわせて思い出しておいてよいところです。
制度の側にも後ろ盾があります。学会の解説は、2016年に施行された障害者差別解消法により学校や職場での吃音に対する差別的言動・差別的扱いが禁止されているとしたうえで、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった配慮——法律の言葉では合理的配慮、本人の申し出に応じて学校や職場が行う調整のことです——を求めることができると書いています。その際に医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があるとも添えられています。配信そのものが個人の活動でも、事務所や制作会社との打ち合わせ、外部との電話で困っているなら、それは配慮を求めてよい困りごとです。
次のようなときは、様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 配信では出ないために「困っていない」と受け取られ、電話や打ち合わせでの困りごとを言い出せない
- 言いにくい言葉を避け続け、収録も編集し続けていて、出ないかどうかを日々警戒するのがつらい
- 声を使う活動をやってみたい気持ちがあるのに、詰まる場面を思い浮かべて手前で止まり続けている
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。2つめの「隠すことの負担」は、学会の解説が書いている中高生以上・成人の特徴にもとづいています。
配信と吃音をめぐる3つの落とし穴
落とし穴1 − 画面の中でなめらかに話しているのを見て「もう困っていない」と受け取る
流暢さを高める技法を使っているとき、聞き手には流暢に聞こえても本人はより大きな努力を払っている場合があり、外から分かる乱れが無いままコントロールを失う感覚を抱いていることもある、と総説は論じています。避けた言葉も、言い換えた言葉も、画面には映りません。500人超の調査では、約半数が少なくともときどきこうした見えない行動をとっていました。配信で自分の吃音を話した本人が、それでも対面ではもっと出てしまうと語っていたとおり、ある場面で話せていることは、他の場面で困っていないことの証拠になりません。
落とし穴2 − 「配信なら楽なはず」と、本人の代わりに決める
一時的になめらかになる条件には、声を合わせて読むこと、メトロノーム、役を演じること、歌などが並びますが、名乗りや、とっさの一言はその並びにありません。理論の論文は、いちばん起きやすいのは「よく知っているのに、きちんと言わなければならない」発話だとし、その代表に自分の名前を言う場面を挙げています。しかも聞いている人がいるというだけで、吃音のある人の発話は硬い方向へ動きます。「顔を出さないなら平気だろう」という見立ては、この2つを飛ばしています。やるかどうかも、どんな形でやるかも、本人が決めることです。
落とし穴3 − 推測で「あの配信者は吃音だ」と言い広める
この記事が名前を出したのは、本人が自分の配信で話し、その内容が公にされた1件だけです。話し方の印象から誰かの健康の話を推し量って広めることは、その人の情報を本人の手から離すことになります。自分から伝えることの研究が扱ってきたのは、あくまで本人が自分から相手に伝える行為でした。英国の支援団体の一覧も、この点では慎重で、世間の見方を変えつつある人として紹介する形を取っています。
そのうえで、自分のことが気になっているなら、記録を残しておくと役に立ちます。名乗り・雑談・とっさの返し・電話のどの場面で出やすかったか、どの形式なら楽だったかを書き留めておくと、相談のときに自分の状態を説明しやすくなります。相談できる場合は、言語聴覚士に相談するのが確実です。
よくある質問
吃音のあるVTuberや配信者はいますか?
本人が公にした記録として、2022年8月にゲームのプレイ配信の最中に自分の吃音について話したバーチャルライバーがいます。物心ついたころから吃音があること、意識して話しているときは出ないが、とっさに仲間へ報告が必要になるときは詰まってしまうことを本人が語り、その内容がニュースサイトで報じられました(台帳: V0391)。この記事が名前を出しているのはこの1件だけで、他の配信者の話し方から吃音の有無を推し量ることはしません。英国の吃音支援団体は、SNSで吃音のある日常を発信する人たちを一覧で紹介しています。
顔を出さず声だけなら、吃音は出にくくなりますか?
「顔を出さないから楽になる」と言える研究は、この記事の手元にはありません。むしろ、姿を見せない聞き手が部屋にいて咳で存在だけを知らせる条件で文を読むと、吃音のある大人の唇の動きだけが、聞き手のいない条件より型にはまり、硬い方向へ動きました。ただしこれは実験室で画面の文を読む課題で、やりとりを含まない設計だと著者自身が断っています。姿が見えるかどうかより、聞いている人がいるかどうかのほうが効いている、というところまでが言えることです。
台本を用意したり、録画して編集したりするのは「ごまかし」ですか?
研究の整理はそうは言っていません。一時的になめらかになる条件として、声を合わせて読むこと、メトロノーム、役を演じることのような身についていない話し方、歌などが挙げられています。学会の解説も、歌うときや独り言のときに一時的になめらかになる人が多いとしています。吃音のある医師は、時間制限のある学会発表を事前に録画した動画で行い、時間どおりに終えられると手記に書いています(台帳: V0020)。一方で、隠す工夫には日々の警戒という負担が伴うとも学会は書いており、画面に映らない努力があることを総説も指摘しています。形式を選ぶことと、しんどさを一人で抱えることは別の話です。
配信で吃音のことを打ち明けたほうがいいですか?
「打ち明けるべき」と言い切れるものではありません。自分から伝えることは、条件を決めて集めた研究18件のうち15件で全体として好意的に働き、謝らない言い方のほうが好意的に受け止められていました。ただし伝える場面・年齢・吃音の頻度や重さによる違いは、調べた研究が少ないと同じ報告が書いています。不特定多数が見る配信は、その調べられていない場面に入ります。日本の当事者は打ち明ける度合いがもともと低い傾向にあり、自助グループの経験や自己受容と関連していました。いつ・誰に・どこまで話すかは、本人が場面ごとに決めることです。
応援している配信者に吃音があるかもしれません。ファンはどう接すればいいですか?
本人が公にしていないなら、推測して口にしないことです。研究が扱ってきた自己開示は、本人が自分から相手に伝える行為でした。公にした本人が、悩んでいる人の気持ちが少しでも軽くなればと願っていると述べたように、伝えた理由は人それぞれです(台帳: V0391)。また、画面の中で流暢に見えることは、その人の吃音を表面だけで捉えた物差しだと総説は論じています。調子の良い状態・悪い状態が数週間から数か月続く「波」があることも、学会の解説に書かれています。
まとめ
- 配信の中で自分から吃音について話し、その内容が公にされた配信者がいる(台帳: V0391)。自分から伝えることは研究18件中15件で好意的に働き、謝らない言い方のほうが受け止めがよかった。ただし日本の当事者の打ち明ける度合いは米国より低い。
- 顔を出さないことと、人前に立たないことは別。姿を見せない聞き手が咳で存在だけを知らせる条件でも、吃音のある大人の発話だけが硬い方向へ動いた。ただし実験室で文を読む課題で、やりとりは含まれていない。
- 一時的になめらかになる条件は、声を合わせる・メトロノーム・役を演じる・ホワイトノイズ・歌、そして歌や独り言。名乗りやとっさの一言はその並びになく、理論は「よく知っているのに、きちんと言わなければならない」発話が最も起きやすいとする。
- 話す形そのものを組み替えている当事者がいる。画面とマイクを併用する、時間制限のある発表は事前に録画する——吃音のある医師が場面ごとの工夫を手記に書いている(台帳: V0020)。調子には数週間から数か月の「波」もある。
- 画面に映る流暢さは、本人の努力も、避けた言葉も映さない。配信をしていても相談してよく、吃音はことばの障害に含まれる。全員が吃音を扱えるわけではないので事前の問い合わせが要る。電話応対の免除などの合理的配慮を求めることもできる。