まず結論から
- 吃音のある大人は100人に1人ほど(0.96%)と推計され、そのうちおよそ3分の1は、周りに気づかれにくい「隠している吃音」だと見積もられています。身の回りで同じ人に出会わないのは、めずらしいことではありません。
- 吃音のある大人のうち、当事者どうしの集まりに関わっている人は1%に届かないと推計されています。つながっている人のほうが、むしろ少数です。
- 自分から「吃音があります」と伝えること(研究では自己開示と呼びます)は、条件を決めて集めた量的研究18件のうち15件で、相手の受け止めに好意的に働いていました。謝るような言い方より、謝らない言い方のほうが好意的に受け止められています。
- ただし日本の当事者は、同じ物差しを使った米国の調査より、打ち明ける度合いが低いと報告されています。自助グループの経験がある人ほど打ち明ける度合いが高い、という関連も出ています。
- 英国の当事者団体は、SNSで吃音のある日常を発信する人たちを、世の中の見方を変えつつある人として名前入りで紹介しています。発信は、すでに当事者運動の一部です。
ただし、SNSで発信すると本人に何が起きるのかを測った研究は、この記事の手元にはありません。ここに並ぶのは、研究が言える範囲と、4人が自分の言葉で書き残した記録です。同じことが誰にでも起きるという意味ではありません。
ネットで吃音が話題になるとき、何が起きているか
吃音がタイムラインに流れてくるとき、話題の中身は二つに分かれます。一つは当事者自身の発信。もう一つは、誰かの話し方が真似されたり笑われたりしたことへの反応です。この記事では、実際の投稿や書き込みは引用しません。晒す形にしてしまえば、記事のほうが同じことをすることになるからです。かわりに、そこで起きていることを、資料の側から確かめます。
まず、真似や笑いは子どもの世界からすでに始まっています。日本吃音・流暢性障害学会の解説は、おおむね4歳ごろになると周りの子も違いを不思議に思う時期になり、「○○ちゃんはなんで、『あああ』ってなるの?」というような指摘が始まることがある、と書いています。そして、そうした指摘をきっかけに、話すときに力が入って声が出しにくくなったり、体を動かしながら話そうとしたりする子どもも出てくるとしています。日本語の総説も、学齢期に約半数がいじめやからかいを経験するので対策が重要だ、と明記しています。
次に、「真似すると自分もどもるようになる(うつる)」という言い伝えについて。学会の解説は、これを俗説として名指しし、吃音のある子とは遊んではいけないという差別があった(今もあるかもしれない)とまで書いています。研究の側でも同じ結論です。吃音のある親に養子として育てられた子どもで、一般の子どもより吃音が多いという証拠は見つかっておらず、著者らは、親がどもるのを聞いて子どもがどもるようになるという見方は否定される方向だとまとめています。ただし原典自身が、これらの研究は規模が小さく統計的な力が弱いという但し書きを付けています。
では、周りはどうすればいいのか。当事者が運営する「注文に時間がかかるカフェ」のページは、周囲への頼みごとを4つに絞って挙げています——遮ったり、憶測して代わりに言ったりせずに言い終わるまで待つこと、緊張してどもっているわけではないので「リラックスして」「ゆっくり話せばいいよ」とアドバイスしないこと、真似しないこと、他の人と同じように接すること。画面の中でも外でも、頼まれていることは同じです。テレビや報道で吃音がどう扱われてきたかは吃音ニュースに、学校での真似やからかいへの対応は吃音症といじめにまとめています。
「吃音」という名前に、画面の向こうで出会う
SNSが最初に返してくれるのは、仲間ではなく「言葉」であることが少なくありません。自分の話しにくさに名前があると知らないまま、大人になる人がいます。バイト先で挨拶が出ず、その日のうちに辞めると決めた夜に、はじめて「吃り」と打ち込んだ人の記録があります。
当事者の声(アラサーの女性/本人が note に書いた記事。note 名義「マカロニ」)
たしかそのタイミングで、『吃り』をググったんだと思います。そしてTwitterで吃音を検索。想像以上に吃音もちの方々が多くいて、私と同世代の人もたくさんいて、驚きました。同時に、嬉しかったのを覚えています。
そこから吃音もちのお友達が出来たり、当時放送していた福山雅治さんのドラマ『ラブソング』で吃音が取り上げられていることも知りました。
私が悩んでいた事柄は吃音という症状で、ドラマにもなっている。同じ悩みを抱えている人もたくさんいるんだと、とても安心しました。
ずっとモヤモヤしていた悩みが、明確な言葉として表せることを知ったからです。
幼稚園のころから言いにくい音があり、週に何回か「言葉の教室」に通っていた人です。それでも小学校に上がってからは、自分の話しにくさを「ただの緊張によるもの」だと思っていたと書いています。母親からは「緊張した時は大きく深呼吸するんだよ」「周りの人をみんなジャガイモだと思いなさい」と言われ、深呼吸をしても周りがジャガイモでもどもる、と本人は振り返ります。スーパーのレジで4年、足でリズムを取りながら「いらっしゃいませ」の頭の音を出す工夫を重ねた後、次のバイト先の初日に店長とマンツーマンの挨拶練習で固まり、翌日に電話で辞めました。名前にたどり着いたのは、その直後です。自分の話し方に名前がつく前と後では、何が違うのか。まず、人数の話から確かめられます。
出典: 私が吃音だと気付いた時の話。(note)(台帳: V0198)
吃音のある人は、学童期以降から成人までのある時点で全人口の0.8%程度とされ、100人に1人弱の割合です。設計の強い研究をもとに大人だけを計算し直した推計では、吃音のある大人は0.96%で、見積もりのぶれを見込んだ範囲は0.65〜1.44%でした。内訳は、周りから分かる吃音が0.63%、周りに気づかれにくい「隠している吃音」が0.33%でした。原典自身が、隠している吃音の割合は多めに見積もられている可能性があり、ごく軽いことも多いと注記しています。
この「気づかれにくい」がくせもので、学年に数人いるはずなのに、教室でも職場でも出会えないということが起こります。学会の解説も、思春期以降は最初の音が出しにくくなる症状(難発)が中心になり、失敗が重なると会話や社交を避けるようになること、言いにくい単語を言い換えて巧みに隠そうとすることがあると書いています。隠れている人どうしは、隠れたままでは出会えません。画面の向こうに同じ言葉を使う人がまとまって見えるというのは、それ自体が、現実の生活では起きにくいことでした。自分の話し方に名前があると知る道筋は他にもあり、映像で知る場合については吃音の動画で扱っています。
隠すのをやめて、自分から出してみる
見る側から書く側に回るとき、最初の壁は「これを書いて大丈夫か」です。仕事の場では吃音が出ないよう単語を選んで話していた経営者が、あるとき方針を変えたときのことを書いています。
当事者の声(軽部凌さん・出版社経営者/本人が note に書いた記事)
吃音もADHDも、長い間「隠した方がいいもの」だと思っていた。
ビジネスの場では吃音が出ないように、なるべく短い文章で言葉が詰まらないような単語を選んで話していた。
隠せば隠すほど、自分のエネルギーを消耗した。 本当の自分を出せない場所で、多くの人と関係を作るのは正直しんどかった。
でも、ある時に「実は自分は吃音があります」と最初にSNSで配信してみた。
そうしたら、想像をはるかに超える反響があった。
幼少期から吃音があり、言葉が詰まることが今でもよくある、と書く人です。2024年12月に受けた検査で、担当医からADHDの傾向があると言われたことも同じ記事に書かれています。冒頭で本人は、「吃音とADHDを克服した」とは一ミリも思っていない、克服なんてしていないし、軽減はできてもそもそも完治するものでは無いと考えている、と断っています。そのうえで、出したあとに何が起きたかを書きます——発信した当初は「こんなこと書いて大丈夫か」と何度も迷ったが、弱さをさらした瞬間、同じ悩みを持つ人が向こうから集まってきた、と。伝えるかどうかで相手の受け止めが変わるかは、30年分の研究をまとめたレビューが調べています。
出典: 吃音+ADHDの僕が「生きづらいと感じる人生」を思う存分楽しむための3つのポイント(note)(台帳: V0425)
自分から「吃音がある」と相手に伝えることを、研究では自己開示と呼びます。条件を決めて集めた量的研究18件のうち15件(約83%)で、自己開示は全体として好意的に働いていました。伝え方を条件として比べた研究に限ると、13件中12件(約92%)で、謝るような言い方や何も言わない場合より、謝らない言い方のほうが好意的に受け止められています。著者らは、謝らない形で伝えることが、「どもる人はこうだ」という決めつけを向けられるかもしれないという負担(ステレオタイプ脅威)をやわらげるとしています。ただし同じレビューは、伝える場面・年齢・吃音の頻度や重さ・相手が吃音のある人と面識があるかどうかによる違いは、調べた研究がまだ少ないとも書いています。
隠し続けることにも、別の負担があります。500人を超える吃音のある大人への調査では、特定の音や語や場面を避ける、どもりそうだと思ったときに言葉を言い換えるといった、聞き手には見えない行動を、約半数が少なくともときどきとっており、1〜2割は「よく」または「いつも」とっていました。SNSは、この「言い換え」が要らない場所でもあります。文字で書くかぎり、言いにくい音は関係ありません。
もっとも、日本で実際にどのくらい伝えられているかは別の話です。自助グループなどを通じて集めた日本の吃音のある成人の調査では、打ち明ける度合いは、同じ物差しを使った米国の調査より低いという結果でした。より高い自己開示と結びついていたのは、男性であること、自助グループの経験があること、自分の吃音を受け入れている度合いが高いこと、吃音への偏見を自分自身に向けてしまう度合い(自己スティグマ)が低いことで、著者らは、日本の当事者が伝えにくい傾向には社会文化的な違いが表れているのかもしれないと述べています。世の中にどれくらい知られているかという話は、吃音の認知度にまとめています。
見ているうちに、自分と人を比べてしまう
同じ立場の人が並んで見えることは、安心にも、しんどさにもなります。1年半のあいだ吃音のことを投稿し、400人を超える人に見守られるようになった学生が、投稿が減った理由を自分で書き残しています。
当事者の声(りょーさん・19歳・教育学部の学生/本人が note に書いた記事。冒頭に「一定の吃音当事者の方に不快感を与える可能性があります」という断りが置かれている)
このことに気づいたのが、Xの投稿が激減した今年6月頃のことでした。 同じ吃音当事者であって同じ苦労をしている仲間にもかかわらず、どこかギャップを感じている自分がいました。 7月末の注カフェ大阪万博を直前で辞退したのも、これが理由です。
3歳で吃音が始まり、5歳から6歳のあいだ言語聴覚士のもとで発話訓練を受け、通級指導教室にも5歳から15歳まで10年通った人です。それでも大きな改善はなかった、と本人は書いています。この記事で本人が正直に打ち明けているのは、これまで「自分と同じくらい、あるいは自分より多くどもる」と思った当事者に出会えたことがない、という感覚でした。同時に、自分と話したときに調子が良かっただけかもしれない、とも書き添えています。そして、軽いから楽だとは決して思っていない、人に理解されにくい精神的な苦しさはむしろ軽度の吃音のほうが大きいと思う、と続けます。頭では分かっているのにうまく自分のものにできず、苛立ちと悔しさ、自己嫌悪すら抱いている——それが今の自分だ、と本人はこの記事を結んでいます。同じことを繰り返し考えてしまう状態については、研究の側にも記述があります。
出典: 自分の吃音に思うこと(note)(台帳: V0292)
吃音のある人の体験を治療に生かすことを論じた総説は、考えの面での反応として二つを挙げています。一つは反すう(同じ否定的な考えを何度も繰り返してしまうこと)、もう一つは、これからどもるだろうという予期です。反すうの多い吃音のある大人は、少ない人よりも、吃音に関わる生活への悪影響が有意に大きいという研究が紹介されています。予期は過去のやりとりの経験によって強められ、次に話す場面での恐れを増す、とも書かれています。タイムラインは、この「繰り返し考える」材料をいくらでも供給します。
もう一つ、環境の側の話も同じ総説にあります。社会はしばしば吃音のある人を否定的に描き、吃音を異常なものとする理想を強めてしまう。そうした評価を受けることが、「流暢であるべきという期待に、自分の落ち度や限界のせいで応えられない」という自己スティグマにつながる、という整理です。比べる相手が同じ当事者であっても、ものさしが「どれだけ流暢か」になっていれば、同じことが起こりえます。なお、自助団体に参加していたり治療を求めたりする吃音のある成人の約20%から半数近くに、人と接する場面で強い不安が続く状態(社交不安症)が合併していると報告されています。しんどさが続くなら、それは気の持ちようの問題として片づけないほうがよい範囲に入ります。
「ネットで繋がれてるから」と、足が遠のいていた
つながった先に、会うかどうかという分かれ道があります。北海道言友会の会員である男性が、久しぶりに札幌のイベントに出た日の記録に、自分でも意外だったという一節を書いています。
当事者の声(57歳・北海道言友会の会員/個人ブログ。札幌で開かれた上映会とお喋り会に参加した日の記録)
お会いできて良かったと思うのと、会ってみないとわからないなぁと改めて。
ここ数年、北海道言友会の活動に参加するのが前向きではない。
その理由は「ネットで繋がれてるから」なのだけど、
今回のイベントで「会ってみないとわからん」と改めて思いました。
会場は市民活動の施設の6階の会議室、参加者は10人ほど。上映のあとに参加者の自己紹介があり、お菓子を食べながら質疑応答という進行だったと本人は書いています。誘いはSNSのメッセージで届きました。この日の映像に出ていた当事者が重い難発で、企画した人の合いの手やホワイトボードで進行が支えられていたこと、配慮について事前に聞いておけば自分もサポートできたと反省したことも記されています。その人が「怖い」という言葉を何度も口にしたのが意外だった、投稿はすべて読んでいたが「怖い」という感覚は記憶になく、強者のイメージを持っていた——と本人は書きます。ただしイベント終了後の食事会には「ビビッて参加できず」帰宅した、とも正直に書き残しています。文字だけでは分からないことがある一方で、実際に会う場に関われている人は、どのくらいいるのでしょうか。
出典: 「当事者の語りがアートになるとき」札幌上映会&お喋り会雑感(吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ)(台帳: V0246)
この点を推計した研究があります。英語圏のインターネット上の吃音の支援グループ、英国の全国的な吃音の慈善団体、マンチェスターの地域の自助グループから集めた原データをもとに、当事者コミュニティへの関与は、国際的な集まりで0.99%、全国規模の団体で0.63%、地域の集まりで1.01%と推計されました。原典は結論で、吃音のある大人のうち当事者コミュニティに関わっているのは1%未満だと述べています。しかも著者らは、脱落や重複の数え上げのため、実際の関与はこれより低かっただろうと注記しています。つながっているように見える世界は、当事者全体からすればごく一部です。
会う場に何があるのかも、資料に書かれています。日本の自助団体について学会の解説は、吃音のある当事者が「吃音があるのは自分だけではない」ということを認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことが概ね活動の中心だとしています。1965年に発足した言友会が日本で最も歴史が古く、近年では若者を対象とした団体や、女性の集いを開催する団体も設立されています。一方で、期待しすぎないための但し書きもあります。吃音ポータルサイトは、セルフヘルプグループは当事者の集まりなので、言語聴覚士のように学術的な知識や専門的な指導・支援が受けられるわけではない、と明記したうえで、当事者どうしでないと感じられない連帯感や、同じ悩みを持つ立場からの具体的な助言は、そこでしか得られないとも書いています。日本の当事者調査でも、自助グループの経験がある人ほど自分から伝える度合いが高いという関連が報告されています。
画面の外にある相談先と、制度の後ろ盾
SNSで得られるものと、専門家に相談して得られるものは別です。子どもについては、小児を扱う言語聴覚士(ことばとコミュニケーションの専門職)や、ことばの教室の教員が相談先として挙げられています。大人については、吃音の自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもある、とされています。言語聴覚士の探し方については、吃音ポータルサイトが相談の入口をまとめています。
制度の側にも後ろ盾があります。日本語の総説は、就学・就労支援として、診断書によって障害者差別解消法に基づく合理的配慮(本人の申し出に応じて学校や職場が行う調整)を求められること、状況により手帳の取得もありうることを書いています。また同じ総説は、言語訓練だけでは長期的な有効率が低く、心理面・社会面のサポートも必要だとしています。SNSで支え合うことは、この「心理面・社会面」の一部を担いうる一方で、それだけで完結させる想定のものではありません。
次のようなときは、画面の中だけで抱え込まず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- タイムラインを見たあとに落ち込む時間が長くなり、話す場面そのものを避けはじめている
- 学校や職場で真似や笑いを受けていて、自分では止められない
- 子どもの話し方が気になっていて、ネットの情報だけでは判断がつかない
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。相談先の探し方は吃音の認知度の記事にも書いています。
SNSと吃音をめぐる3つの落とし穴
落とし穴1 − 画面の中の当事者像を、吃音の全体像だと思う
発信している人は、当事者のごく一部です。吃音のある大人のうち当事者コミュニティに関わっているのは1%未満と推計され、実際の関与はさらに低かっただろうとされています。しかも大人の吃音の3分の1ほどは、周りに気づかれにくい「隠している吃音」と見積もられています。よく見かける人が明るく発信していても、静かに読んでいるだけの人のほうがはるかに多い、というのが数字の側の景色です。誰かの語りは、あなたの見通しではありません。
落とし穴2 − 「出せば必ずうまくいく」と考える
自分から伝えることには、好意的に働いたという研究が多くあります。ただし同じレビューは、場面・年齢・吃音の頻度や重さ・相手の面識による違いは調べた研究が少ないと書いています。日本の当事者はそもそも打ち明ける度合いが低い傾向にあり、自助グループの経験や自己受容と関連していました。いつ・誰に・どこまで出すかは本人が場面ごとに決めることで、出さなかったから悪い、という話にはなりません。名前を出すかどうかも同じです。
落とし穴3 − 真似や笑いに、真似や笑いで返す
「真似するとうつる」という言い伝えは、学会が俗説として名指しで否定しており、養子の研究でも、親がどもるのを聞いて子どもがどもるようになるという見方は支持されませんでした。それでも真似をしないでほしいと当事者団体が頼んでいるのは、うつるからではなく、それが本人に何を残すかのためです。同じ理由で、真似をした人を画面上で追い詰めることも、たいてい目的を果たしません。当事者団体が挙げている頼みごとは、待つ・アドバイスしない・真似しない・同じように接する、の4つです。
そのうえで、自分のことが気になったなら、どんな場面で出やすかったか、そのとき周りがどう応じたかを書き留めておくと、専門家に相談するときに伝えやすくなります。記録は毎日の習慣にすると続きます。相談できる場合は、言語聴覚士やことばの教室に相談するのが確実です。
よくある質問
吃音のことをツイッター(X)で調べると、何が見つかりますか?
この記事の手元に、SNS上の吃音の話題を数えた調査はありません。確かめられるのは、当事者本人が書き残した記録のほうです。ある当事者は、バイトを辞めた翌日に「吃り」と打ち込み、そこから吃音のある友人ができたと書いています(台帳: V0198)。英国の当事者団体も、SNSで吃音のある日常を発信する人たちを一覧で紹介しています。一方で、吃音のある大人のうち当事者どうしの集まりに関わっている人は1%未満と推計されています。
SNSで「吃音がある」と公表したほうがいいですか?
決まった正解はありません。研究では、自分から伝えることは量的研究18件のうち15件で相手の受け止めに好意的に働き、謝らない言い方のほうが好意的に受け止められたと報告されています。ただし場面や年齢による違いは研究が少なく、日本の当事者は打ち明ける度合いがもともと低い傾向にあります。実名にするか、どこまで書くかを含めて、本人が決めてよい範囲です。
SNSで同じ当事者を見ていると、比べてしんどくなります。
同じ状態を書き残している当事者がいます(台帳: V0292)。研究では、同じ否定的な考えを繰り返してしまう反すうの多い吃音のある大人は、少ない人より生活への悪影響が有意に大きいと報告されています。社会の否定的な描き方が自己スティグマ(世間の偏見を自分自身に向けてしまうこと)につながる、とも述べられています。自助団体に参加していたり治療を求めたりする吃音のある成人の約20%から半数近くには社交不安症の合併が報告されており、つらさが続くなら相談の対象になります。
ネットでつながっていれば、当事者会に行かなくても十分ですか?
「ネットで繋がれてるから」と足が遠のいていた当事者が、久しぶりに会に出て「会ってみないとわからん」と書き残しています(台帳: V0246)。学会の解説は、自助団体の活動の中心を、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことだとしています。ただし吃音ポータルサイトは、当事者の集まりでは言語聴覚士のような専門的な指導や支援は受けられないと明記したうえで、そこでしか得られないものもあると書いています。用途が違う、と考えるのが近いようです。
吃音の真似をした投稿を見かけました。どうすればいいですか?
「真似するとうつる」という俗説は学会が否定していますが、真似をしないでほしいという頼みは当事者団体から出ています。同じページは、待つ・アドバイスしない・真似しない・他の人と同じように接する、の4つを挙げています。学齢期には約半数がいじめやからかいを経験するとされ、対策が重要だと総説に書かれています。子どもが真似を受けている場合は、画面の外で学校に相談する道筋が吃音症といじめにあります。
まとめ
- 吃音のある大人は0.96%と推計され、その3分の1ほどは周りに気づかれにくい「隠している吃音」とされる。現実で出会えないぶん、画面の向こうが最初の出会いの場になりやすい。
- 自分から伝えること(自己開示)は量的研究18件中15件で好意的に働き、謝らない言い方のほうが受け止めがよかった。ただし日本の当事者の打ち明ける度合いは米国より低く、自助グループの経験や自己受容と関連していた。
- 隠すことにも負担がある。500人超の調査では、場面や語を避ける・言い換えるといった見えない行動を約半数が少なくともときどきとっていた。
- 比べてしんどくなるのは珍しくない。反すうの多い人は生活への悪影響が大きく、社交不安症の合併も報告されている。つらさが続くなら相談の対象になる。
- 当事者コミュニティに関わっているのは吃音のある大人の1%未満。会う場には自助団体があり、専門的な指導は言語聴覚士の領分だと明記されている。真似や笑いについては、「うつる」という俗説は否定されており、当事者団体の頼みは待つ・助言しない・真似しない・同じように接するの4つ。