まず結論から
- 「吃音があると恋愛できない」と確かめた研究は手元にありません。この周辺で実際に測られてきたのは、話すときに何を目標に置くかで負担がどう変わるかと、人と関わる場面への強い不安がどれくらい重なるかです。
- 言葉に詰まっているときの感覚は、話している本人にしか分かりません。聞き手は、その感覚に本人がどう反応したかを見聞きしているだけです。「相手が何も言わない」は、伝わっている証拠にも、気にしていない証拠にもなりません。
- 成人に「話すときの目標は何か」を尋ねた調査では、答えが「より流暢に話す/どもらないこと」と「どもるかどうかにかかわらず言いたいことを言うこと」の二つに分かれました。前者の目標を持つ傾向が強い人ほど、場面や語を避け、力んでもがき、恥や恐れを経験しやすいという関連が出ています。
- 思春期以降には、言いにくそうだと話す前に分かってしまうこと(予期不安)→ とっさの言い換え → 人前や電話を避ける、という進み方が知られています。これが強くなると、人と関わる場面を強く怖れる状態(社交不安障害)を伴っていると判断される場合があり、病院に来る成人の吃音の半分程度がそうだとするデータもあります。
- 吃音のはじまりは遺伝や神経の違いにあり、心理的な違いが原因ではありません。性格が弱いから、努力が足りないから、という話ではありません。
ただし、ここに並べたのは大勢を平均した傾向や、研究者が立てた枠組みであって、特定の誰かの恋愛がうまくいくかどうかを言っているものではありません。交際そのものを正面から調べた研究は、手元の資料にはありませんでした。以下は「こうすればうまくいく」という手順ではなく、判断するための材料として読んでください。
好きな人にこそ、言えない
職場の同僚や気のおけない友人には言えたのに、いちばん近づきたい相手の前でだけ言い出せない。この逆転は、めずらしいことではありません。しかも言えない理由は、「嫌われそうだから」とは限りません。
教員になりたいと決めて大学に進んだ男性が、初めての交際を振り返っています。
吃音のある男性・掛田力哉さん(大阪教育大学 特殊教育特別専攻科。自助団体の集まりでの発表記録)
そのまま、先生になるために北海道の教育大学に入りました。そこで、初めて恋人ができたんですよ。好きな人には自分の吃音のことを言えなかったんです。やっぱり言えなかった。言ったら甘えなんじゃないかと思った。ことばの問題があるということで、彼女に負担を負わせるのは嫌だったし、電話でも、一所懸命普通に話すふりをして、一所懸命話をしていました。
あるときから、週末ごとに彼女の実家に行って、その両親ときょうだいと一緒にご飯を食べるという生活が始まったんです。これが地獄でね、彼女にとったら、うちに来て、うちのお父さん、お母さんに見せたいわという気持ちだったかもしれないけれど、地獄だったんです。とにかくなんかしゃべらなきゃしゃべらなきゃと思うけど出ないし、食べてるんだけど、味も分からない。
言わなかった理由として本人が挙げているのは、嫌われるかもしれないという心配ではありません。「言ったら甘えなんじゃないか」「彼女に負担を負わせるのは嫌だった」という言い方です。言わないと決めた結果、電話ではふつうに話すふりをすることになり、週末ごとの食卓では、何種類もあるおかずのうち一種類だけをずっと食べていて「ばっかり食い」というあだ名がついた、とも語っています。同じ発表の中で、この人は「愛のことばをささやくということがない」とも言っています。話す前から先回りして起きるこの動きは、資料の側でも順を追って説明されています。
出典: 2003年 第9回吃音ショートコース【発表の広場】 吃音を人生のテーマに(日本吃音臨床研究会「吃音と上手につきあうための吃音相談室」)(台帳: V0096)
大学病院の医療情報サイトは、思春期以降に言語の症状以外のものが加わっていく経過を「吃音の進展」と呼び、三つの段階で説明しています。まず、この言葉は吃音が出そうだと話す前に予感できるようになること(予期不安)。次に、出そうだと感じた言葉をとっさに別の言い方に置き換えること。そして、吃音が出やすい場面に不安を感じて、人前や電話など話す場面そのものを避けてしまうこと。同じ資料は、こうした症状が強くなると、社交不安障害を伴っていると判断される場合があるとも書いています。
ここで起きているのは、話し方の問題というより、予定の組み方の問題です。言いにくい語を避けているうちに、その語が出てきそうな場面ごと外れていく。電話が避けられ、初めて行く店が避けられ、相手の家族と会う日が避けられる。吃音のある人の体験を整理した総説は、生活の上での制限として、より地位の低い職業へ誘導されること、収入の損失、失職、そして人から拒まれる経験を挙げ、これらが積み重なって生活の質全体に影響しうると述べています。恋愛だけが特別なのではなく、人と関わる場面の一つとして同じことが起きています。
一緒にいる相手からは、何が見えているのか
吃音と恋愛の話は、たいてい当事者の側からしか語られません。けれど、付き合っている相手の側にも、その人なりの戸惑いがあります。吃音のある夫と暮らす女性が、自助団体のインタビューでそれを話しています。この回は「当事者ではない方」に話を聞く企画として組まれたものです。
話し手は、知り合ったときも付き合い始めたときも、相手に吃音があることは分からなかったと答えています。
吃音のある夫と暮らす妻・Aさん(20歳代・作業療法士。自助団体の公式noteのインタビュー連載。聞き手は団体の代表)
Aさん) その子に対しては、特に「こうしてあげよう」とかは思ってなかったんですけど、主人の場合は、たとえば「この注文する時に、代わりに言ってほしい」とか、「電話が苦手だから、お店の予約を代わりにやってほしい」とか、その都度言われたことをやっています。でも、自分で電話をかけるときもあるんですよ(笑)。彼なりのタイミングがあるんだと思うんですけど、その時その時に合わせて…っていう感じです(笑)。
三谷) なるほどね~。それが1番、良いのかもしれませんね!
Aさん) でも、たまにあるんですけど、この前も職場の飲み会で、すごく吃ってるときがあって。先輩からの質問になかなか答えられなかったんですよね。その相手の先輩は、吃音にもいろんな症状があることをよく知らず、主人に「首、こんなんなって、どうしたの?」って言っていて。私が「酔ってるから、こうなっちゃってるんですー」と誤魔化したみたいになってしまったんですけど…。そういうときに「どうしてほしいのか」ってのは、あんまり分からないですね。
注文を代わる、予約の電話を代わる——やっていることは、その都度言われたことです。決まった手順があるわけではなく、自分で電話をかける日もある、と話し手は笑いながら付け加えています。それでも、飲み会の席のように何も打ち合わせていない場面が来ると、とっさに出たのは酔っているせいだという説明でした。話し手はそれを「誤魔化したみたいになってしまった」と振り返り、こういうときにどうしてほしいのかは分からない、と率直に言っています。この「分からない」は、知識が足りないから生じているのではありません。そもそも外からは見えないものがあるからです。
出典: 「絶対、お互いに歩み寄れるので、思ったことを周りの人に言ってみてほしい。」吃音当事者の奥様にインタビューしました。(北海道吃音・失語症ネットワーク公式note)(台帳: V0076)
吃音のある人の体験そのものを扱った総説は、この点をはっきり書いています。502人の成人に、どもる瞬間とその前後で何を考え、何を感じ、何をしているかを尋ねた調査を紹介したうえで、話すときに詰まっている・制御を失っているという内側の感覚を知っているのは話し手だけだと結論づけています。そこから同じ総説は、聞き手はその判断の根拠になる情報を持っていない、という先行研究の結論を支持するとまで述べます。聞き手にできるのは、その感覚に対して本人が何をしたかを見聞きすることだけだ、というのがこの総説の整理です。
つまり、隣にいる人が「今どのくらいしんどいのか」を当てるのは、原理的に無理があります。だから、相手の様子を読もうとするより、先に決めておくほうが実際的です。代わってほしいのか、待っていてほしいのか、話題を変えてほしいのか、何もしないでほしいのか。この記事の話し手も、どうしてほしいかを教えてくれたらもっとうまく対応できたと思う、と述べています。周囲の関わり方については吃音のある人への接し方でまとめて扱っています。
打ち明けたあと、会話はどうなるのか
打ち明けるかどうかで悩んでいるとき、頭の中にあるのはたいてい「言った瞬間」です。けれど実際に長いのは、その後に続く日々のほうです。
2012年の夏、交際相手との食事の席で「実は…私…どもるねん…」と打ち明けた女性がいます。相手はそれを笑って受け止め、もっと重大なことを言われるのかと思った、さあご飯を食べよう、と返しました。書き手はそのとき、話せてほっとしたのと同時に「この人、吃音のこと全然わかってないな」と感じた、と書いています。それからしばらく吃音の話は出ませんでしたが、ある日、相手のほうが人前で話すことへのコンプレックスを自分から話し、書き手は自分だけが苦しんできたと思い込んでいたことに気づきます。二人は翌年に結婚しました。次の一節は、それから3年たった時点で書かれたものです。
吃音のある女性・林佳代さん(教員。自助団体の会報に載ったことば文学賞の受賞作)
結婚してもうすぐ3年。夫とはよくケンカをするし、「吃音は治さなくていいけど、性格がきついのは直してほしい」と言われることもある。だけど、夫は私がどんなにどもっても最後まで話を聞いてくれるので、この人の前ならいくらどもってもいいという安心感がある。ここにも、私の居場所がある。
これからも、どもりで悩んだり、困ったりすることがあると思うけれど、きっと大丈夫…私には居場所が2つもあるのだから。
ここで書かれているのは、相手が吃音に詳しくなったという話ではありません。最後まで話を聞く、という一つのふるまいだけです。しかも同じ文章の中で、書き手は夫とよくケンカをすることも、直してほしいと言われることも並べて書いています。関係が良くなったから安心できたのではなく、どもったまま最後まで聞いてもらえる場所が一つできた、という順序で書かれています。もう一つの居場所として挙げられているのは、同じ当事者が集まる場です。どこを目標にして話すかで、話す場面の負担が変わることは、研究の側でも測られています。
出典: 2015年度 第18回ことば文学賞 2(日本吃音臨床研究会「吃音と上手につきあうための吃音相談室」)(台帳: V0163)
同じ総説は、成人に「話すときの目標は何か」を尋ねた調査を紹介しています。答えは二つの因子に分かれました。一つはより流暢に話す/どもらないこと、もう一つはどもるかどうかにかかわらず言いたいことを言うことです。そして、前者の目標を持つ傾向が強い人ほど、吃音にまつわる悪影響を経験しやすいという関連が出ています。具体的には、場面・音・語を避けること、力んでもがくこと、そして吃音にまつわる恥・罪悪感・恐れを経験することが、有意に多かったと報告されています。後者の目標を持つ人には、その逆のパターンが見られました。
この整理を恋愛の場面に置き換えると、「どもらずに話せるようになってから伝えよう」という順番そのものが、負担の重いほうの目標に自分を置く選び方になっている可能性がある、ということになります。ただしこれは、ある時点で測られた関連であって、目標を変えれば負担が減ると確かめられたわけではありません。言えるのは、目標の置き方が体験と結びついている、というところまでです。打ち明けかたそのものの実験については吃音面接のカミングアウトで扱っています。
そばにいる人が、実際にやっていること
「理解のある人と出会えればいい」と言われても、その理解が具体的に何を指すのかは、あまり語られません。実際に長く一緒にいる二人の記録を読むと、そこにあるのは特別な知識ではなく、順番の話でした。
小学生の頃から吃音のある絵本作家と、その夫で同じく絵本作家の男性。出会いの経緯が、インタビュー記事に書かれています。
吃音のある絵本作家・わたなべあやさんと、夫のきだにやすのりさん(宗教専門紙が運営する媒体の実名インタビュー。引用は記者による記述)
きだにさんは石川県出身。金沢美術工芸大学を卒業後、埼玉県で高校美術教諭になった。勤務後に通っていた絵本教室でわたなべさんに出会い、会話をする中で吃音だと知った。
結婚後、きだにさんはわたなべさんの了承を得て、小学校からの吃音体験を絵本に描いた。
順番に注目してください。先に出会い、会話をする中で吃音だと知った、と書かれています。吃音があると知ったうえで受け入れたのではなく、知ったのは会話が始まったあとでした。そしてもう一つ、体験を作品にするときに「了承を得て」という一語が置かれています。相手の話を扱うかどうかを、相手が決めている形です。絵本は、主人公の女の子が吃音のために友達ができず、学校で独りぼっちでいるところから始まります。終盤では大人になった主人公が、友達の結婚式でお祝いの言葉を伝えようと勇気を振り絞る場面が描かれ、これは実話で、本番では友達の前に登場したわたなべさんの隣に、きだにさんが付き添ったと記されています。こうした「一緒にいる」という形が、当事者にとって何を意味するかは、資料の側でも触れられています。
出典: 妻の吃音体験を絵本に きだに・わたなべ夫妻(福祉仏教 for believe)(台帳: V0044)
相手のことを「話し方を直せば楽になるはずの人」として見ないために、押さえておきたい整理があります。吃音の全体像を世界保健機関の枠組みに当てはめて説明した総説は、吃音のはじまりは遺伝・エピジェネティクス(生まれ持った設計図の使われ方の違い)・神経の違いにあり、たとえば心理的な違いにあるのではないと明記しています。そのうえで、そこから生じる運動・言語・感情・認知・気質の違いが、話そうとしたときに「制御を失う」「固まる」という感覚を直接に生む、と説明します。外から見える繰り返しや詰まりは、その感覚に対する本人の反応として現れているものだ、という順序です。
もう一つ、同じ立場の人と会える場もあります。吃音の専門機関の資料は、言友会などの自助グループについて、当事者の集まりなので言語聴覚士のような学術的な知識や専門的な指導・支援が受けられるわけではない、と先に断ったうえで、同じ問題を持つ仲間と出会い、当事者同士でないと感じられない連帯感のなかで悩みを聞いてもらったり、同じ悩みを持つ立場から具体的な助言をもらったりできる、と書いています。恋愛の話を、前置きなしで分かってもらえる相手がいる場所でもあります。
人と会うこと自体が怖くなってきたとき
恋愛の悩みだと思っていたものが、途中から「人と会う予定そのものが重い」に変わっていることがあります。ここは、研究がまとまって扱ってきた領域です。
マッコーリー大学の研究者らは、吃音と不安の研究状況をまとめた総説で、2000年ごろまでの研究は標本が小さく不安の測り方も一面的だったために結果が食い違っていたと整理しています。そのうえで、社交不安の質問紙と精神科の診断的な評価を大きな標本で用いた近年の研究では、はるかにあいまいさの少ない結果が出ていると述べ、吃音のある成人のあいだで社交不安障害の割合が驚くほど高いことを示す研究が積み上がっているとしています。社交不安障害とは、人と関わる場面や人前でふるまう場面で、恥をかくこと・きまり悪い思いをすること・低く評価されることを強く怖れる状態で、よくみられ、しかも長く続くものだと同じ総説は説明しています。
日本の大学病院の資料も、病院に来る成人の吃音の半分程度は社交不安障害を伴っているとするデータもある、と書いています。数字の出どころは資料によって違いますが、「珍しいことではない」という点は共通しています。二次障害としての整理は吃音の二次障害とはで詳しく扱っています。
もう一つ、「どもる回数の多さ」と「本人のしんどさ」の関係について、新しい報告があります。慶應義塾大学医学部と東京都立大学、東海大学医学部の研究者らは、吃音だけがある成人26人と、吃音に加えて話す速さや流れが乱れて聞き取りにくくなる状態(早口言語症とも呼ばれるクラタリング)を併せ持つ成人14人を集め、社交不安・話すことへの構え・吃音についての考え方・生活への影響を測る4つの質問紙に答えてもらいました。
結果として、二つの群のあいだに、すべての尺度とその下位項目で統計的に有意な差はありませんでした。ただし有意水準には届かないまま、社交不安の尺度の「回避」の下位項目などでは、二つの群の差が中くらいの大きさとして見えていたとも書かれています。差が無いと確かめられたのではなく、この人数では差を検出できなかった、と読むところです。
目を引くのは、そのあとの相関(一方が高いときにもう一方も高い、という関係の強さ)の解析です。話し方に実際に現れた非流暢さの頻度と、吃音についての全般的な受け止めを測る項目の得点が有意に関係していたのは、吃音だけの群だけでした。クラタリングを併せ持つ群では、この二つは関係していませんでした。原典は、社交不安はどちらの群にも起こりうるが、外から測れる重さ・話すことへの受け身さ・不適応な考え方の結びつき方が違う、と結論し、評価と支援を一律にせず分けて考える必要があると述べています。
⚠ この研究は合わせて40人の規模で、ある時点で測った関係です。ここから「どもる回数が多いほど苦しい」とも「話し方が軽ければ困っていない」とも読めません。どちらの読み方も、この人数の研究が支えられる範囲を超えています。
恋愛の悩みでも、相談していい
話し方のせいで人づきあいが狭くなっている、言い出せないまま何年も過ぎている——こうした困りごとは、相談していい内容です。相手が恋人であっても変わりません。
日本言語聴覚士協会は、聞こえやことばの障害は目にはみえにくいが、社会生活をおくる上で深刻な問題を引き起こす、と書き出したうえで、ことばの障害の種類を説明するなかでスムースに話をすることが難しい吃音もことばの障害に含まれると明記しています。同じページは、言語聴覚士を、専門知識と技術を用いて検査・訓練・指導・援助を行い、機能の獲得や改善、能力の回復・拡大を図って、障害のある人がよりよい生活を送れるように支援する専門職だと定義しています。職能団体が自分たちの守備範囲として書いている、ということです。
ただし、探し方には注意が要ります。吃音の専門機関の資料は、言語聴覚士の取り扱う業務は多岐にわたるため、必ずしも全ての言語聴覚士が吃音の指導や支援を行えるわけではないと書いています。希望する場合は、あらかじめ病院等に直接問い合わせるか、日本言語聴覚士協会や各都道府県の言語聴覚士会に尋ねる、という手順がそこに示されています。
人と関わる場面への強い不安がはっきりしているときは、話し方の練習だけでは届きません。大学病院の資料は、社交不安障害を伴うような成人の吃音では、安心して話せる環境を作るとともに、考え方と行動の両方に働きかける心理療法(認知行動療法)を応用した支援が良いと考えられている、と書いています。総説の側も、言語聴覚士と心理士が協力して、包括的な評価と支援の組み立てを作る必要があると述べ、吃音のある人の社交不安障害に対する認知行動療法の効果を確かめることが今後の課題だとしています。
次のようなときは、一人で抱え込まずに相談を考えてみてください(当てはまらなくても相談して構いません)。
- 気になる相手からの誘いを、行きたいのに言いやすさを理由に断ることが増えてきた
- 言いにくい語を言い換え続けていて、会っているあいだずっと気を張っているのがつらい
- 相手の家族や友人と会う予定が決まると、そのことばかり考えて眠れない日が続く
この3つは相談を考えるきっかけとして挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。1つめと2つめは、予期不安から言い換え・回避行動へ進む経過の説明にもとづいています。
吃音と恋愛をめぐる3つの落とし穴
落とし穴1 − 相手が何も言わないことを、気づかれていない証拠にする
詰まっている・制御を失っているという感覚を知っているのは話し手だけで、聞き手はその感覚に本人がどう反応したかを見聞きしているにすぎません。総説は、聞き手はそもそも判断の根拠になる情報を持っていない、という先行研究の結論を支持するとまで書いています。ここから分かるのは、相手の沈黙は情報ではない、ということです。気づいていないのか、気づいていて触れずにいるのかは、聞いてみるまで決まりません。逆に、隣にいる人が「今どうしてほしいか」を当てられないのも同じ理由です。実際、吃音のある夫と暮らす人も、とっさの場面でどうしてほしいのかは分からない、と述べています(台帳: V0076)。
落とし穴2 − 「どもらずに話せるようになってから」と順番を決める
話すときの目標を尋ねた調査では、答えが「より流暢に話す/どもらないこと」と「どもるかどうかにかかわらず言いたいことを言うこと」の二つに分かれ、前者の傾向が強い人ほど、場面や語を避け、力んでもがき、恥・罪悪感・恐れを経験しやすいという関連が出ています。これはある時点で測った関連なので、目標を変えれば負担が減ると約束するものではありません。それでも、伝えるかどうかの前に「どもらないこと」を条件として置くやり方が、負担の重いほうの目標の側にあることは押さえておいてよい事実です。
落とし穴3 − 言いやすさで、会う人と行く場所を選び続ける
言いにくい語を避けているうちに、その語が出る場面ごと予定から外れていきます。資料は、吃音が出やすい場面に不安を感じて人前や電話など話す場面を避けてしまう段階を、進み方の一つとして書いています。総説の側も、生活の上での制限として、人から拒まれる経験を含む複数の事柄を挙げ、それらが積み重なって生活の質全体に影響しうると述べています。避けること自体が悪いのではなく、避けた回数が記録に残らないまま「もともと興味が無かった」に書き換わっていくのが厄介なところです。
どんな場面で言葉が出にくかったか、どんな場面では楽だったかを書き留めておくと、あとから見返せますし、相談するときに自分の状態を説明しやすくなります。相談できる場合は、言語聴覚士に相談するのが確実です。
よくある質問
吃音があると恋愛は無理なのですか?
そう確かめた研究は手元にありません。この周辺で測られてきたのは、話すときに何を目標に置くかで負担がどう変わるかと、人と関わる場面への強い不安がどれくらい重なるかです。当事者の記録には、交際相手に打ち明けて結婚した人、出会ったあとの会話の中で吃音を知ってもらった人の語りが残っています(台帳: V0163, V0044)。結婚そのものについては吃音で結婚できない?で別に扱っています。
彼氏・彼女に吃音のことを伝えたほうがいいですか?
交際の場面で、伝えた場合と伝えない場合を比べた研究は手元にありません。参考になるのは、話すときの目標を尋ねた調査で、「どもらないこと」を目標にする傾向が強い人ほど、場面や語を避け、恥や恐れを経験しやすいという関連が出ていることです。ある時点で測った関連なので、伝えれば楽になると約束するものではありません。当事者の記録では、打ち明けた日にその場では通じなかったものの、あとから相手のほうが自分のコンプレックスを話してきたという例があります(台帳: V0163)。
相手は本当に気にしていないのでしょうか?
相手が何を思っているかは、その人に聞くほかありません。研究の側から言えるのは、詰まっているという内側の感覚を知っているのは話し手だけで、聞き手はその感覚への反応を見聞きしているだけだ、ということです。つまり「相手が何も言わない」は、伝わっている証拠にも、気にしていない証拠にもなりません。見た目や第一印象の話は吃音でモテない?でまとめています。
付き合っている相手に吃音があります。どう接すればいいですか?
正解の手順を示した資料は手元にありません。当事者の配偶者の記録では、注文や店の予約をその都度頼まれたときに代わっている一方で、自分で電話をかける日もあると書かれており、決まった型ではなくその時々に合わせる形が語られています(台帳: V0076)。同じ人が、とっさの場面でどうしてほしいのかは分からないとも述べています(台帳: V0076)。外からは内側の感覚が分からない以上、あらかじめ本人と決めておくのが現実的です。周囲の関わり方は吃音のある人への接し方でまとめています。
人と会うこと自体が怖くなってきました。どこに相談すればいいですか?
吃音はことばの障害に含まれると日本言語聴覚士協会が明記しているので、言語聴覚士に相談してよい内容です。ただし全ての言語聴覚士が吃音の指導や支援を行えるわけではないため、病院等に直接問い合わせるか、協会や都道府県の言語聴覚士会に尋ねる手順が案内されています。人と関わる場面への強い不安が重なっているときは、安心して話せる環境を作るとともに、考え方と行動の両方に働きかける心理療法を応用した支援が良いと考えられています。
まとめ
- 「吃音があると恋愛できない」と確かめた研究は手元にない。測られてきたのは、話すときの目標の置き方と負担の関係、そして人と関わる場面への強い不安の重なりである。
- 詰まっているという内側の感覚を知っているのは話し手だけで、聞き手はその反応を見聞きしているだけ。相手の沈黙は、伝わっている証拠にも気にしていない証拠にもならない。
- 話すときの目標は「どもらないこと」と「どもっても言いたいことを言うこと」の二つに分かれ、前者の傾向が強い人ほど回避・力み・恥や恐れを経験しやすいという関連が出ている。ある時点で測った関連で、因果ではない。
- 予期不安から言い換え、場面の回避へと進む経過が知られており、強くなると社交不安障害を伴うと判断される場合がある。成人の吃音で社交不安障害の割合が高いことを示す研究は積み上がっている。
- 吃音だけの成人26人とクラタリングを併せ持つ成人14人を比べた研究では、質問紙の平均点に有意差は無かったが、どもる頻度と本人の受け止めが関係していたのは吃音だけの群だけだった。40人規模のため慎重に読む必要がある。
- 吃音はことばの障害に含まれるので言語聴覚士に相談してよいが、全員が吃音を扱えるわけではないため事前の問い合わせが要る。