まず結論から
- 吃音は厳密には病気そのものではなく症状で、音や音節の繰り返しや引き伸ばしが自分の意志と関わりなく、声に出る形でも声が出ないまま止まる形でも起きると定義されています。
- どもりやすい場所には偏りがあり、語や句の始め、長い語や意味の重い語、組み立ての複雑な文のときに目立つと整理されています。
- 別の言い方に置き換えれば言えるのに、自分がいちばん適切だと判断したその語でこそ詰まる、という現れ方が報告されています。
- 同じ人でも場面によって頻度や重さが変わり、聞き手の前・目上の人・自己紹介では悪化しやすく、誰もいないところでの独り言や歌では軽くなりやすいと整理されています。
- 歴史上の人物については、残された記述が限られているため、後から正確な診断を下すには足りないと歴史研究の側が明記しています。
ただし、この記事は大杉栄という個人を診断するものではありません。本サイトが書けるのは「誰が、どこに、そう書き残しているか」までで、百年前の文章から症状の重さを後から判定することはできません。一人の記録を、そのまま自分や家族の見通しに読み替えることもできません。
「か行が一番禁物」——答えを知っていたのに言えなかった夜
名前と逸話だけが並ぶページを何枚めくっても、「誰がそう言っているのか」はなかなか出てきません。けれども、この人の場合は本人が書いたものが残っています。青空文庫に収められている『自叙伝』には、十五歳ごろ、名古屋の陸軍幼年学校にいたときの夕食の場面が書かれています。
大杉栄(明治・大正期の思想家、故人)が自伝『自叙伝』に書いた陸軍幼年学校での場面。かぎ括弧のうち、問いを重ねているのは当時の中隊長にあたる大尉で、答えているのが本人
ある日大尉は、夕飯の時に、きょうの月は上弦か下弦かという質問を出した。
「大杉!」
僕は自分の名を呼ばれて立った。それが下弦だということは勿論僕は知っていた。けれども僕には、そのかという音が、どうしても出て来なかった。吃りにはか行とた行、ことにか行が一番禁物なのだ。いわんや、さらにその下にもう一つか行のげが続くのだ。
「上弦でありません。」
仕方なしに僕はそう答えた。
「それでは何だ?」
「上弦でありません。」
「だから何だと言うんだ?」
「上弦でありません。」
「だから何だ?」
「上弦でありません。」
「何?」
「上弦でありません。」
問い返されればますます言葉の出て来ない僕は、軍人らしく即答するためには、どうしてもそう答えるよりほかに仕方がなかった。それを知っているみんなはくすくす笑った。
答えそのものは分かっていた、と本人が書いています。出て来なかったのは「か」の音のほうでした。「吃りにはか行とた行、ことにか行が一番禁物なのだ」と書いたうえで、「下弦」にはもう一つか行の「げ」が続くことまで説明しています。そこで選ばれたのが、同じ意味を裏返しにした「上弦でありません」という言い方でした。問い返されるたびに言葉はいっそう出なくなり、同じ答えが五度繰り返され、事情を知っている同級生はくすくす笑った、と書かれています。この場面のすぐあとで、本人は自分の吃りについてまとめて書いています——母は幼いころにわずらった気管支のせいにしていたこと、父方の親戚に吃りの人が大勢いたこと、そして父が本の広告で見た「吃音矯正」という薬を買って試したものの、その効は少しもなかったこと。吃音は、語や句の始めや、長い語・意味の重い語のときに目立つと整理されています。
出典: 自叙伝(大杉栄・青空文庫)(台帳: V0501)
ここで起きていることは、いまの研究の言葉で言うと二つに分かれます。ひとつは、どもりやすい場所に偏りがあるということ。語や句の始め、長い語や意味の重い語、組み立てが複雑な文のときに目立つと報告されています。もうひとつは、言い換えると言えてしまう、という現れ方です。
ある仮説論文は、吃音が文の中でとくに意味の重い語に集中して起きることを取り上げ、当事者は別の語に置き換えたり回りくどい言い方にしたりすれば流暢に言えるのに、自分が「これがいちばん正しい、いちばん伝わる」と判断したその語でこそ止まる、と整理しています。同じ論文は、名前を尋ねられたときのように置き換えのきかない場面ではこの逃げ道が使えず、その語だけが恐れの対象になっていく、とも書いています。「下弦」は、月の形を答える以上どうしても必要な一語です。「上弦でありません」は、その一語を迂回する言い方でした。
なぜ特定の語だけが止まるのかについては、この論文が仮説を示しています。話す動きに急ブレーキをかける側の働きをする脳の場所が、「この語は危ない」という警告の信号に過敏に反応してしまい、その抑制が、信号の付いた語だけに結びつく——だから同じ文の他の語は滞りなく出る、という説明です。ただしこれは検証のしかたまで含めて提案されている仮説であって、確定した所見としては書かれていません。どの音が苦手かという話そのものはカ行が言えないのは吃音?発音の問題?と吃音の出にくい音(難発)の記事で詳しく扱っています。
まわりの人が書き残した、話しぶりの記憶
本人の記述だけでは、外からどう見えていたかは分かりません。この人の場合、それも残っています。亡くなった直後に、友人や同志ら十六人が追悼文を書いた本があり、その中で多くの人が話し方に触れているのです。自助団体・香川言友会の会員が、その本を図書館で借りて読み、二か所を引いて紹介しています。
大杉栄(思想家・故人)についての同時代の記録。本人の死の直後に友人・同志ら十六人が書いた追悼文集『新編 大杉栄追想』(2013年・土曜社)から、自助団体の会員が二か所を引用して紹介したもの(それぞれの書き手の名は紹介文には示されていない)
「大杉君は非常にどもった。ことにカキクケコの発音をするときには、あの大きな眼をパチクリさせ、金魚が麩を吸うような口つきをした。それでいて非常な話好きであり、かつ話上手であった」
「上目を使い白眼をし顎をシャクリながら少しどもってポツリポツリ話す話しぶりはすこぶる魅力があった。大杉が若い女の心をつかむのはこの話しぶりであったろう」
ひとつ目に書かれているのは、本人が自伝で「か行が一番禁物」と書いたのと同じ音です。カキクケコにさしかかったときの目と口の動きが、外から見た形で記録されています。そのうえで、同じ一文がこう続きます——それでいて非常な話好きであり、かつ話上手であった。ふたつ目は、少しどもりながらポツリポツリ話す、その話しぶり自体が魅力だったという書き方です。詰まる音は変わらないのに、記憶されている姿は、幼年学校の夕食の席で五度同じ答えを繰り返した少年とはずいぶん違います。同じ人の中でも場面によって吃音の出方が変わることは、研究の側でも百年前から注目されてきたと整理されています。
出典: 吃音の本棚(香川言友会)(台帳: V0444)
この「場面によって変わる」は、近年になってようやく一つの定義にまとめられました。話す場面・文脈・課題が変わったとき、また日ごとの揺れを含めて時間が経ったときに、吃音の頻度や重さに目立った変化が起きること——これが定義です。同じ論文は、これをでたらめな揺れとみなすべきではないとも書いています。
そのうえで、変わり方は三つに分けられています。一つ目は、多くの人に繰り返し確認されてきた決まった型の変わり方。二つ目は、一日のうちでも、数日から数か月の単位でも起きる時間の変わり方。三つ目は、同じ場面が人によって逆向きに働くという個人差です。
一つ目については、軽くなりやすい場面と悪化しやすい場面が並べて挙げられています。軽くなりやすいのは、誰もいないところでの独り言、歌、声をそろえて一緒に読むこと(斉読)、強い没頭や高揚の状態、話し方をふだんと変えたときです。悪化しやすいのは、聞き手の前で話すとき、目上の人と話すとき、自己紹介や自分の名前を言うときだとされています。名を呼ばれて立ち、上官に問い返され、同級生が聞いている——という夕食の席は、悪化しやすいとされる条件がいくつも重なった場面でした。場面による変わりやすさはジョージ6世の吃音は実話かの記事でも扱っています。
「内気」は吃りの影響なのか——本人の自己分析
本人は、自分の性分についても書いています。編集者の松岡正剛が『大杉栄自叙伝』(中公文庫2001年版)から引いて紹介している一節です。同じページには、投獄されるたびに外国語を一つ覚えるという「一犯一語」のモットーと、本人がそれをもっと過激に言い換えた「俺は十カ国語で吃りたい」という言葉も記録されています。
大杉栄(思想家・故人)が自伝に書いた自分の性分についての記述。編集者の松岡正剛が、書評の連載で『大杉栄自叙伝』(中公文庫2001年版)から引用して紹介したもの(かぎ括弧の中が本人の文章)
こういう大杉を大杉自身は「内気」だとみなしていた。本書にはこのような文章が出てくる。
「こう云うと人はよく笑うが、僕にはごく内気な、恥ずかしがりのところがある。ちょっとしたことですぐ顔を赤くする。人前でもじもじする。これも生まれつきであろうと思うが、吃りの影響も決して少なくあるまいと思う」
読みどころは、順序のほうにあります。本人はまず「これも生まれつきであろう」と書き、そのうえで「吃りの影響も決して少なくあるまい」と続けています。つまり、内気だから吃るのだ、とは書いていません。書かれているのは逆向きの見立てです。青空文庫にある『自叙伝』本文の同じ箇所では、このあとに続きもあります——言いたいことがなかなか言えないのでじりじりする、いら立つ、気も短かくなる、人が何か笑っていると自分の吃るのを笑っているのではないかと気を廻す、というものです。どれも、話せなかったあとに起きたこととして並んでいます。話す場面を避けることと不安は、いまの診断の基準にも書き込まれています。
出典: 736夜『大杉栄自叙伝』大杉栄(松岡正剛の千夜千冊)(台帳: V0502)
研究の側は、性格を原因としては見つけていません。二十世紀には吃音が主に心の問題と考えられ、精神分析的な方法や行動療法が用いられましたが、性格の特徴や親子のやりとりを調べた研究では、吃音と一貫して結びつく心理的なパターンは見つからなかったと報告されています。
一方で、話す場面を避けることと不安のほうは、いまの診断の枠組みに正面から入っています。米国精神医学会の診断基準は2013年の第5版で吃音の扱いを改め、診断名を変更したうえで、話す場面についての回避と不安の基準を新たに加えました。同じ総説は、多くの人にとって、回避と社交不安(人と接する場面での強い不安)こそが最も生活を妨げる特徴になりがちだと明記しています。
なぜ場面で変わるのかについても、先の仮説論文が一つの説明を出しています。吃音が現れる場面と消える場面を分けているのは、話しながら自分の言い間違いに意識的な注意が向いているかどうかと、社会的評価——人にどう見られるかという自分への値踏み——が働いているかどうかの二つで、この二つが重なったところで吃音が出て、どちらかが欠けると軽くなる、というものです。歌や強い没頭では注意が言葉から離れ、誰もいないところでの独り言では聞き手がいないぶん値踏みが働かない、という説明になっています。ただしこれも仮説であり、どう反証しうるかを著者ら自身が別に書いている段階です。
広告で買われた「吃音矯正」の薬と、説明が入れ替わってきた歴史
自伝に出てくる父の行動——本の広告で「吃音矯正」とうたう薬を見つけては買ってきて試す——は、当時としては特別なことではありませんでした。原因の説明も、それに対応する手当ての方法も、時代ごとに大きく入れ替わってきたからです。
古代ギリシャでは、舌の乾きが原因だと考えられていました。十九世紀には発声器官の異常が原因とされ、大がかりな外科手術による治療が行われて、傷や別の障害を残すこともありました。舌に重りを付ける器具や、口に入れる装具も使われています。別の総説も、かつては喉頭や舌の形の異常が原因とみなされ、その部位への外科手術や薬品の処置が行われたが症状は改善しなかった、と振り返っています。脳の働きの異常として吃音を捉える見方が出てきたのは二十世紀初頭のことです。
そのあと、説明はもう一度入れ替わります。二十世紀には吃音が主に心の問題と考えられ、精神分析的な方法や行動療法が用いられました。精神分析の理論は、幼い時期の親子のやりとりで解決されなかった葛藤の現れとして吃音を説明しようとしましたが、同じ総説は、これが吃音への偏見を強めてしまったとはっきり書いています。
吃音を、子どもの普通の言いよどみに対する周囲——多くは親——の不利な反応から学習された行動とみなす説もありました。この説は吃音の中核の症状を説明できなかった一方で、どもりを避けようとして身についていく振る舞い(二次的な症状)のほうは説明しうる、と整理されています。英国の支援団体は、著名人の一覧の但し書きの中で、親が吃音の原因になることはない、と正面から書き添えています。
始まる時期についても、いまはかなりはっきりしています。各国の研究から、大多数は子どものごく早い時期に始まり、九歳を過ぎてから始まったという報告はほとんどないことが確立されている、と疫学のレビューは整理しています。自伝に「生れつきの吃りであったらしい」「小学校の頃には半分唖のようだったことを記憶している」と書かれていることは、この時期の分布とは矛盾しません。手当ての考え方がどう変わってきたかは吃音治療の父は誰かの記事で詳しく扱っています。
歴史の中の人の記録は、どこまで確かめられるのか
歴史上の人物と吃音を結びつける話は、たいてい他人が書いた数行しか手がかりがありません。その数行から何をどこまで言えるのかを、正面から論じた研究があります。ローマ帝国の四代目の皇帝クラウディウスを扱った、梨花女子大学の歴史研究です。
この論文は、古代の著述家が残した記述をたどり、幼いころから歩き方が不安定で、腕と頭に震えがあり、言葉に詰まったり発音がうまくいかなかったりする話し方の問題があったと書かれていること、知的な能力は劣っていなかったのに公職に適さないとみなされたことを整理しています。近年の解釈を支える根拠として、症状が幼少期から時期によって変わり、即位後は職務を果たせる比較的安定した状態を保っていたと史料が示す、とも述べます。
そのうえで、この論文はいちばん大事な留保を自分で書いています。現在まで残っている歴史上の記述は非常に限られているため、症状について正確な診断を下すには足りない、というものです。診断名を後から当てられるかという論点は韓非子は吃音だったのかの記事で詳しく扱っています。
もうひとつ、この論文が史料からたどっているのが、まわりの態度です。母・姉・祖母は彼を蔑んで扱い、養祖父は状態が良くなることを期待して比較的寛容だったものの、結局は公職から外す選択がなされました。そして、歩き方と話し方は、亡くなったあとも嘲笑の対象であり続けたと書かれています。二千年近く離れた別の国の話ですが、笑われた記憶が本人の文章に残るという点では、幼年学校の夕食の席の記述と地続きに読めます。
名前の一覧を出している団体の側も、扱いに線を引いています。英国の STAMMA は分野ごとの一覧を公開したうえで、ネット上で吃音があると言われていても裏づけとなる資料が見つからない人物には、名前の横に疑問符を付けていると明記しています。歴史上の人物の区分には、英国王ジョージ6世、暗号解読で知られるアラン・チューリング、進化論のチャールズ・ダーウィン、そしてクラウディウスや古代ギリシャの弁論家デモステネスが並びます。デモステネスが浜辺で口に小石を含み、波の音に負けじと叫んだという有名な話も、「そう言われている」という書き方で載っています。米国の Stuttering Foundation も分野別の一覧を公開しており、政治指導者・公職者という区分を設けています。一覧の読み方そのものは吃音の有名人の記事で扱っています。
相談先として名前が挙がるのは、幼児・学齢の子ども向けの「ことばの教室」と言語聴覚士です。次のようなときは、様子を見るだけで抱え込まず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 言いにくい語を避けるために、話す場面そのものを減らし始めている
- 名前を言う・点呼に答えるなど、言い換えのきかない場面が近づくと強い不安がある
- 声が出ないまま言葉が止まる状態が増え、体の緊張を伴うようになってきた
この3つは、相談を考えるきっかけとして一般的に挙げられるもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。
この話を読むときの3つの落とし穴
落とし穴1 − 「上弦でありません」を、機転のきいた武勇伝として読む
言い換えて切り抜けた話は、痛快な逸話として引用されがちです。けれども本人の書き方は違います。同じ答えを五度繰り返し、問い返されるほど言葉が出なくなり、笑われ、翌日の外出を止められた場面として書かれています。言い換えという工夫は、置き換えのきく語にしか使えず、名前のように置き換えのきかない場面では逃げ道にならない、とも指摘されています。
落とし穴2 − 「内気」を吃音の原因として読む
本人は「これも生まれつきであろう」と書いたうえで「吃りの影響も決して少なくあるまい」と続けており、内気が原因だとは書いていません。研究の側でも、性格の特徴や親子のやりとりを調べた研究では、吃音と一貫して結びつく心理的なパターンは見つかりませんでした。ただし、話す場面についての回避と不安は、いまの診断の基準に加えられており、多くの人にとって最も生活を妨げる特徴になりがちだとも書かれています。
落とし穴3 − 明治の家庭の対応を、いまの助言として受け取る
広告で見た「吃音矯正」の薬を買って試すという対応は、原因の説明そのものが入れ替わり続けてきた時代の産物です。古代ギリシャの舌の乾き、十九世紀の外科手術や舌の重り、二十世紀の心の問題——どれも当時はもっともらしい説明でした。親子のやりとりに原因を求めた理論が偏見を強めてしまったことも、総説が明記しています。英国の支援団体も、親が吃音の原因になることはないと書いています。
まずは、どんな場面で言葉が出にくいか、そのとき何が起きたかを書き留めておくところから始めると、相談するときの手がかりになります。相談できる場合は、言語聴覚士やことばの教室に相談するのが確実です。
よくある質問
大杉栄に吃音があったというのは本当ですか?
本サイトは故人を診断できないので、書けるのは「誰が、どこに、そう書き残しているか」までです。本人の自伝『自叙伝』(青空文庫に収録)には、陸軍幼年学校で「下弦」と答えられなかった場面、母に叱られ打たれた少年時代、父が「吃音矯正」とうたう薬を買って試したことなどが、一人称で書かれています。亡くなった直後に友人・同志ら十六人が書いた追悼文集にも、話し方についての記述が残っており、自助団体のサイトがその一部を引用して紹介しています。
大杉栄はどの音が苦手だったのですか?
本人は自伝で「吃りにはか行とた行、ことにか行が一番禁物なのだ」と書いています。追悼文集に載った同時代の記録にも、カキクケコの発音のときの様子が書かれています。研究の側では、どもりやすさに偏りがあることは共通して報告されており、語や句の始め、長い語や意味の重い語、組み立てが複雑な文のときに目立つとされています。ただし、どの音が苦手かは人によって違い、同じ人の中でも移り変わると整理されています。
「上弦でありません」と言い換えたのは、どういうことなのですか?
別の言い方に置き換えれば言えるのに、自分がいちばん適切だと判断したその語でこそ止まる、という現れ方が報告されています。同じ論文は、名前を言うときのように置き換えのきかない場面ではこの逃げ道が使えず、その語だけが恐れの対象になっていく、とも書いています。「下弦」は月の形を答える以上どうしても必要な一語で、「上弦でありません」はそれを迂回する言い方でした。
母親に叱られて打たれたことが、吃音の原因になったのですか?
そう読むことはできません。性格の特徴や親子のやりとりを調べた研究では、吃音と一貫して結びつく心理的なパターンは見つかりませんでした。親子のやりとりに原因を求めた理論はかつて広まりましたが、それが吃音への偏見を強めてしまったことも総説が明記しています。英国の支援団体も、親が吃音の原因になることはないと書いています。一方で、周囲の反応から学習された振る舞いという説明が当てはまる余地があるのは、どもりを避けようとして身についていく二次的な部分のほうだと整理されています。
ほかに吃音があったとされる歴史上の人物はいますか?
英国の STAMMA が歴史上の人物の区分を公開しており、英国王ジョージ6世、アラン・チューリング、チャールズ・ダーウィン、ローマ皇帝クラウディウス、古代ギリシャの弁論家デモステネスらが挙がっています。米国の Stuttering Foundation も分野別の一覧を公開し、政治指導者・公職者の区分を設けています。ただし STAMMA は、裏づけとなる資料が見つからない名前には疑問符を付けると明記しており、歴史研究の側も、残された記述からは正確な診断を下すには足りないと書いています。
まとめ
- 大杉栄の吃音について本サイトが書けるのは、本人と同時代の人がどこに何を書き残しているかまでである。自伝『自叙伝』(青空文庫収録)に本人の一人称の記述があり、追悼文集からの引用を自助団体のサイトが紹介している。
- 本人は「吃りにはか行とた行、ことにか行が一番禁物なのだ」と書き、「下弦」を「上弦でありません」と裏返して答えた場面を残している。どもりやすい場所に偏りがあることは研究でも報告されている。
- 置き換えれば言えるのに、いちばん適切だと判断した語でこそ止まるという現れ方が報告されており、置き換えのきかない語では逃げ道が使えないとも指摘されている。
- 同じ人でも場面で変わる。聞き手の前・目上の人・自己紹介では悪化しやすく、独り言や歌では軽くなりやすいと整理されている。追悼文集には「話好きであり、かつ話上手であった」という別の姿も残っている。
- 性格を原因とする一貫したパターンは見つかっていない。一方で、話す場面についての回避と不安は今の診断の基準に入っており、最も生活を妨げる特徴になりがちだとされる。歴史上の人物については、残された記述から正確な診断を下すことはできない。