まず結論から
- 船本優月さんは、2025年6月22日の投稿で吃音について触れ、吃音のある人から声をかけられたこと、そのうちの一人が高校2年生で、次の生徒会長選挙に立候補すると聞いたことを書いています。
- 吃音があることを自分から先に伝えると、聞き手の受け取り方が良い方向に動いたという報告が、複数の実験で出ています。
- 同じ「伝える」でも言い方で差が出ます。謝る言い方よりも、事実として説明する言い方のほうが、友好的・自信があると評価されました。
- 吃音のある17歳が話す動画を大人778人に見せた研究でも、冒頭で事実を伝えた条件は、伝えない条件より良い方向の評価でした。
- ただし原典は、伝えることがすべての場面・すべての人にとって良いとは限らないと、自ら断っています。
ただし、これは「明かしたほうがいい」という指示ではありません。実験が測っているのは、初対面に近い場面で聞き手がどう評価したかであって、明かしたあとに本人が背負うものまでは測っていません。伝えるかどうかを決めるのは本人で、その決定が万人・全場面で有益とは限らないことは原典自身が述べています。
船本優月さんが、吃音について書いたこと
船本優月(ふなもとゆづき)さんは、自身のXで吃音について触れています。2025年6月22日の投稿には、こう書かれています。
吃音当事者の何人かからお声がけいただきました。
そのうち、高校2年生の男の子。
吃音持ちだが、次の生徒会長選挙に立候補するのとこと
未来にはまだまだ希望もあります
本人が公の場で吃音に触れたあと、同じ吃音のある人から連絡が届き、そのうちの一人は高校2年生で、次の生徒会長選挙に立候補すると伝えてきた——本人の投稿に書かれているのは、ここまでです。症状の程度や、いつから吃音があるのかといった来歴は書かれていないので、この記事でもそこには踏み込みません。
そのかわりに、この短い投稿が示している一点を扱います。人前で話す立場の人が吃音を明かしたとき、動くのは本人の評価だけではなく、それを見ていた別の誰かでもある、ということです。以下では、その「明かす」という行為が本人と周りにどう働くのかを、当事者3人の記録と、自己開示を調べた実験から順に見ていきます。
人の前で、自分の名前が出てこない
吃音のない人から見ると、言葉に詰まるのは「緊張しているから」に見えます。当事者にとっては、その場で何が起きているのかの手ざわりがまるで違います。まず、人前で言葉が出なくなるという経験が具体的にどういう場面なのかを、本人の記録から見てみます。
当事者の声(徳島県出身の男性。幼少期から吃音があり、現在はパフォーマー・MC/note の本人記事)
体育祭での出来事。体操部のキャプテンだった僕は、全校生徒(約1000人)の前でクラス1人の名前を読んで「○○くん基準!体操の隊形に開け!」と言わなければいけませんでした。 これ皆さんの学校でもありました?(笑)
先生に断りを入れたんですが、強制的に決められてしました。
基準の生徒の名前が口から出ず、約1000人が目の前でザワザワしていたのを今でも覚えています。
小学3年生のときに言葉が出なくなり、思春期には自分の名前も言えなくなっていた——本人はそう書いています。役目を外してほしいと先生に申し出たが通らず、約1000人の前に立つことになった。その場でざわめきが起きたことを、二十数年たった今も覚えている。ここで起きているのは、話し方のうまい下手ではなく、言う内容が決まっているのに声にならないという事態です。だからこそ、話し始める前にひと言添えるという手立てが、研究の対象になってきました。
出典: 弱点は仕事になる!?吃音症克服で3000人規模のMCになるまで(note)(台帳: V0016)
実際、自己開示を調べた実験では、面接の冒頭で「始める前に、吃音があることをお伝えします。音や語句を繰り返すことがあるかもしれませんが、分からないところがあれば遠慮なく聞いてください」という趣旨の説明をする条件が作られました。言葉が出ない時間が生まれることを、先に言葉にしておく、という発想です。
隠したまま過ごす、という選択
もう一つ、多くの当事者が実際に選んでいるのが「言わない」ほうです。隠し通すことは、うまくいっているあいだは何の問題もないように見えます。
当事者の声(大阪出身の男性。小学生のときに吃音が出始めた/吃音の体験談サイトの本人記事)
吃音者でも友達はできますし、学校生活も楽しく過ごすこともできます。友達と海にも行けますし、バーベキューもできます。やることは非吃音者と変わりません。そんなこともあって大学生は中学、高校のときより吃音を重要視していませんでした。
しかし、吃音のことは隠し通していました。当時は気付いてないだけで、今思えば隠し通すことに一生懸命になっていたのかも知れません。
友人ができ、遊びにも行き、日々の暮らしは他の学生と変わらなかった。それでも、吃音のことだけは誰にも言わずにいた——そのことに本人が気づいたのは、大学を出たあとの振り返りの中でのことでした。隠していることに気づかないほど、隠すことが日常になっていたわけです。同じ人が、3回生になって就職活動の時期に入ったところで、吃音を重く見はじめたとも書いています。話す場面が評価の対象になった瞬間に、それまで無かったことにできていたものが前に出てきます。
出典: 【体験談】吃音者の大学生活の不安としておけばよかったコトを振り返ってみた(HAPPY FOX)(台帳: V0362)
この「時期によって重さが変わる」という現象は、専門機関の資料にも書かれています。吃音の情報を集めた公的な解説ページは、小学校の時期を大きな支障なく過ごせるようになった子どもでも、思春期にあたる中学・高校の時期や、就職活動の時期に、うまく話せないことで悩んだり不安を感じたりする場合があるとしています。同じ資料は、多くの場合そうした時期を乗り越えるなかで不安や悩みは再び軽くなっていくとも述べています。
言わないまま働き続けると、どうなるか
隠すという選択は、学生のあいだで終わるとは限りません。働き始めてからも続けられ、そのまま何年も経つことがあります。
当事者の声(36歳の男性。小学5年生から吃音の自覚がある/note の本人記事)
実際に仕事で必要なのは頭の良し悪しではなくコミュニケーションが取れるかどうか、業種や職種にもよるとは思いますが、面接などでは喋れるか喋れないかで優劣をつけられるのです。
吃音があることを言わないまま働き、転職を重ねてきた男性が、面接という場面をこう振り返っています。仕事の中身ではなく、その場で滑らかに話せるかどうかが選考の材料になる——本人がそう受け取ってきた、という記述です。この人は後に精神科を受診し、吃音以外の診断も受けて、配慮のある働き方へ移ったと書いています。ここで研究の側に問いを渡せます。先に伝えるという選択は、聞き手の受け取り方を実際に動かすのか。これを正面から測った実験があります。
出典: 吃音症を隠し続け16社転職した(note)(台帳: V0027)
面接の冒頭でひと言添える条件と、何も言わない条件を比べた実験では、観察者338人が動画を見て話し手の印象を評価しました。話し手の話し方そのものは条件をそろえてあり、違うのは冒頭のひと言だけです。
自分から伝えると、周りの受け取り方は変わるのか
同じ研究グループの別の実験では、開示した話し手と開示しなかった話し手の動画を見比べてもらいました。聞き手は、吃音があることを自分から伝えた話し手のほうを、友好的・外向的・自信があるとして選びやすく、伝えなかった話し手のほうを、不親切・内気として選びやすかったと報告されています。原典は、この結果を、自己開示は吃音のある人が聞き手の受け取り方に良い影響を与えるために使える手立てだという見方を支持するもの、とまとめています。
より新しい研究は、大人だけでなく思春期の当事者を対象にしています。吃音のある17歳の男性が話す動画を大人778人に見せ、冒頭に何も付けない条件(289人)と、事実を伝える短い開示を付けた3つの条件(開示の場面に出る吃音が軽いもの143人・中くらいのもの180人・重いもの166人)に分けて評価を比べたものです。開示のあとに続く本編の音声は、どの条件でも同じものが使われています。
結果は、開示のない条件と比べて、軽い・中くらい・重いのどの開示条件でも、聞き取りやすさ・流暢さ・聞きやすさの調整後の評価が良い方向に動いた、というものでした。話し方による不利の感じ方も低く、落ち着いている・怖がっていない・自信がある・外向的・有能といった印象も強まっています。原典は、事実を伝える自己開示を、吃音のある思春期の人が使える自己主張(セルフアドボカシー)の選択肢として位置づけています。
ここは慎重に読む必要があります。この研究は、参加者をくじ引きのように割り付けた実験ではなく、条件ごとに別の人が見た比較です。また、年齢・性別・専攻や職業を考慮に入れる前には「軽い開示と重い開示が、中くらいの開示より良く見える」という並びがありましたが、それらを考慮に入れると、その並びは頑健ではなくなったと原典自身が書いています。
研究の外側にも、同じ向きの言葉があります。英国の吃音支援団体STAMMAは、人前で話す立場の人たちが吃音について語った言葉を集めています。元英国閣僚のエド・ボールズさんは、自分の吃音を初めて公にしたときのことを、重荷が下りたようだったと述べ、それ以来ずっと吃音について話してきたこと、抱え込むほど苦しくなることを語っています。アメリカのジョー・バイデンさんは、吃音のある人に向けて、恥じることは何もなく誇るべき理由がある、吃音は夢の実現を阻む障害にはならない、と語ったと紹介されています。
同じ伝えるでも、謝る言い方と事実を伝える言い方で差が出る
冒頭の実験に戻ります。この研究がていねいなのは、「伝えるか伝えないか」だけでなく、伝え方を2種類に分けたところです。一つは、吃音があることを事実として説明し、分からなければ聞いてほしいと添える言い方。もう一つは、うまく話せないことをあらかじめ詫びる言い方です。
友好的かどうかの評価では、事実として説明した条件が、詫びる条件よりも、また何も言わない条件よりも高く評価されました。差がいちばん大きかったのは、自信があるように見えるかどうかの評価です。事実として説明した条件がもっとも高く、次に詫びる条件、いちばん低いのが何も言わない条件でした。詫びる言い方であっても、何も言わないよりは自信があるように見えていた——差がそう出たのは、この項目だけです。
原典は、外向的に見えるか・自信があるように見えるか・不安げに見えるかの3つについて、差の大きさは中くらいだったとしています。「差の大きさ」というのは、集団どうしを比べたときに差がどれくらいはっきりしているかを表す目安で、大きいほど、見た人のあいだで評価がそろって動いたことを意味します。
ここから言えるのは、「伝えたほうがいい」ではなく、伝えると決めたなら、詫びるのではなく事実として説明するほうが、聞き手の受け取り方は良い方向に動きやすいということです。そして原典は、結論の最後にこう断っています。吃音を明かすことは、すべての場面・すべての人にとって有益とは限らない。使うかどうかの判断も、そのあとに起きること——自分の内側の反応も、相手の反応も——人によって違いうる。研究が支えているのはここまでで、その先は一人ひとりの状況の話になります。
吃音の公表をめぐる3つの落とし穴
落とし穴1 − 「公表すればうまくいく」と読む
実験が測っているのは、初対面に近い場面で、短い動画を見た人がどう評価したかです。同じ職場や学校で何年も付き合う相手との関係、明かしたあとに本人が引き受けるものまでは測られていません。原典自身が、明かすことはすべての場面・すべての人に有益とは限らないと書いています。良い結果が出た研究があることと、あなたの明日の会議でうまくいくことは、別の話です。
落とし穴2 − 先に詫びてから話し始める
気を遣って「うまく話せなくてすみません」から入るのは自然な反応ですが、実験の結果はその逆を示しています。詫びる言い方より、吃音があることを事実として説明する言い方のほうが、友好的とも自信があるとも評価されました。謝罪は相手の負担を減らすつもりの言葉でも、聞き手には「困っている人」という枠として届きうる、ということです。
落とし穴3 − ひとりで抱えたまま決めようとする
明かすかどうかは本人が決めることですが、決める前に相談できる相手がいるほうが楽になります。吃音を初めて公にしたときのことを、重荷が下りたようだったと振り返り、抱え込むほど苦しくなると語った人もいます。
相談先として名前が挙がるのは、子ども向けの「ことばの教室」と言語聴覚士です。小学校に入っても吃音が続いている子どもでも、ことばの教室や言語聴覚士の適切な指導・支援を受けることで、多くの場合、身体の緊張を伴う重い吃音があまり見られなくなったり、緊張をうまくコントロールしながら話す方法を身につけたりして、日常生活の中でそれほど大きな支障なく過ごせるようになるとされています。人前で話す予定が近づいていて不安が強いときや、話すことを避け始めているときは、様子を見るだけで抱え込まず、相談を考えてみてください。
あわせて、どんな場面で言葉が出にくかったのかを書き留めておくと、相談のときに手ぶらで行かずに済みます。まずは気づいたことを一行書き留めるところから始め、相談できる場所があればそちらが確実です。
よくある質問
船本優月さんには吃音があるのですか?
本人が自身のXで吃音について書いており、吃音のある人から声をかけられたことを伝えています。この記事で扱えるのは、その投稿に書かれている範囲までです。症状の程度や、いつから吃音があるのかといった来歴は書かれていないため、ここでも触れていません。
吃音があることは、周りに伝えたほうがいいのですか?
伝えた条件のほうが、聞き手の受け取り方が良い方向に動いたという報告は複数あります。ただし原典は、明かすことがすべての場面・すべての人にとって有益とは限らないと自ら断っています。決めるのは本人で、研究の結果は「こうすべきだ」という指示ではありません。
伝えるとしたら、どう言えばいいですか?
実験では、うまく話せないことを詫びる言い方より、吃音があることを事実として説明し、分からなければ聞いてほしいと添える言い方のほうが、友好的とも自信があるとも評価されました。差がいちばん大きかったのは、自信があるように見えるかどうかの評価です。
吃音があると、人前で話す仕事は難しいのですか?
手元の研究は、そうした仕事に就けるかどうかを直接調べたものではありません。分かっているのは、冒頭で吃音があることを事実として伝えた条件のほうが、聞き取りやすさ・聞きやすさや、落ち着き・自信といった印象の評価が良い方向に動いた、ということです。原典は、事実を伝える自己開示を、思春期の当事者が使える自己主張の選択肢として位置づけています。
子どもが人前で話すのを嫌がります。どこに相談できますか?
「ことばの教室」や言語聴覚士が相談先として挙げられています。小学校に入っても吃音が続いている場合でも、適切な指導・支援を受けることで、日常生活の中でそれほど大きな支障なく過ごせるようになることが多いとされています。
まとめ
- 船本優月さんの投稿に書かれているのは、吃音について触れたこと、吃音のある人から声をかけられたこと、そのうちの一人が高校2年生で次の生徒会長選挙に立候補すると聞いたこと——ここまでである。
- 吃音があることを自分から伝えた条件のほうが、聞き手に友好的・外向的・自信があると受け取られやすかったという報告がある。
- 吃音のある17歳の動画を大人778人に見せた研究でも、開示の場面に出る吃音が軽くても重くても、開示のない条件より評価は良い方向だった。ただし無作為に割り付けた実験ではない。
- 伝え方では、詫びる言い方より事実として説明する言い方のほうが評価が高い。差がいちばん大きいのは「自信があるように見えるか」だった。
- それでも、明かすことがすべての場面・すべての人に有益とは限らないと原典自身が述べている。迷うときは、ことばの教室や言語聴覚士といった相談先を頼ってよい。