まず結論から
- 版元の公式ページは、この作品を「"自分の名前が言えない"女子高校生・大島志乃(おおしま・しの)の、とってもどかしくて、でもそれだけじゃない学校生活」を描いた作品として紹介しています。なお、このページの本文に「吃音」ということばは一度も出てきません。
- ことばを出せずに間があいてしまう詰まり方には名前があります。国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説は、音のくりかえし(連発)、引き伸ばし(伸発)、ことばを出せずに間があいてしまう難発(ブロック)の三つを吃音の特徴的な症状として挙げています。
- 思春期以降は、この難発(最初の音が出しにくくなる症状)が症状の中心になるとされています。
- 「名前を言ってください」と言われて自分の名前を言うことは、よく覚えていて努力の要らないはずの行為でありながら、伝える責任の重さから頭の制御を使いすぎてしまう場面だ、と説明する理論があります。同じ論文は、吃音特有の詰まりが、どもりたくないと最も強く思っているときにこそ起きる、反応的なものだとも述べています。
- 相談先は、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員、本人が希望する場合の発話訓練、そして自助団体です。学校や職場では、発表や電話応対の免除などの配慮を求めることができます。
ただし、ここに並べたのは現実の人について書かれた解説と、理論として提案された説明で、作品の登場人物を診断するものではありません。名前が出てこない理由を説明した論文について著者自身が、自分たちの主張の多くはまだ推測の段階で、実証による裏づけを待っていると書いています。
名前を呼ばれた数秒のあいだに、何が起きているのか
題名は「名前が言えない」ですが、実際にその場に立つと、言えないのは名前だけではなく、返事も、そのあとの一言も同じように止まります。まず、教室で名前を呼ばれた瞬間を書き残した記録から見ていきます。
当事者の声(名義 みなか雨・小学3年生のときの記憶。現在は地元で声優として活動していると本人が記載/個人ブログ note)
出席確認の時、名前を呼ばれた他のクラスメートがテンポよく「はい!元気です!」と答えていく。そして、とうとう自分の名前が呼ばれた時です。
声が引っかかって、上手く出ません。頭の奥がぼうっと熱くなり、息を吸い込むことも忘れてしまいました。実際どの程度黙っていたのかは定かではありませんが、僕には、その時間がまるで永遠のように感じました。
クラスメートの視線が、僕を貫くように刺してきます。
転勤の多い家庭に育ち、小学2年生までは特別学級にいた人です。その学級では比較的しゃべれていたので、自分の話し方を意識することはなかった、と書いています。3年生に上がる時期にまた引っ越し、普通のクラスに入った最初の出席確認が、この場面でした。絞り出すように返事をしたあと、1時間目が始まる前の時間に、クラスメートから返事をからかうような声色で何度もまねされた、と続きます。それがトラウマになり、今でも鮮明に思い出せるほど覚えている、とも。国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説は、この「ことばを出せずに間があいてしまう」詰まり方を、吃音の特徴的な症状の一つとして挙げています。
出典: 吃音症だった僕が、声優になるまでの話(note)(台帳: V0486)
症状の型は三つに分けて説明されています。国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説は、音のくりかえし(連発。「か、か、からす」)、引き伸ばし(伸発。「かーーらす」)、ことばを出せずに間があいてしまう難発またはブロック(「・・・・からす」)のどれか一つ以上が見られることを特徴的な非流暢として挙げ、こうした話し方の乱れを吃音と定義しているとしています。題名の「名前が言えない」に当たるのは、三つ目の難発です。外からは「黙っている」ようにしか見えないので、いちばん誤解されやすい型でもあります。
周囲が違いに気づき始める時期についても、記述があります。日本吃音・流暢性障害学会の解説は、4歳ごろ(早い子は2、3歳でも)本人が「言いにくい」「他の子の話し方と違う」と気づき始めること、そして周囲の子どもも違いを不思議に思う時期になり、おおむね4歳ごろから「○○ちゃんはなんで、『あああ』ってなるの?」というような指摘が始まることがあると書いています。同じ解説は、こうした指摘をきっかけに、発話に力が入って声が出しにくくなったり、体を動かしながら話そうとしたりする子が出てくるとも述べています。
決まりきったことばほど、言えなくなる
不思議なのは、その場で考えて話すときより、言うことが決まっている場面のほうが難しくなることです。名前はその極端な例です。この作品を読んだ当事者が、まさにそこを書いています。
当事者の声(『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』を読んだ記録。書いた症状の具体例も劣等感もすべて自分の実体験だと本文に明記/個人ブログ note)
このマンガには出てこないが、他に吃音者にあるあるな場面としては、授業の音読でまったく読めないや電話対応で会社の名前が言えないなどがある。
これらに共通するのは「言うべきセリフ」が決まりきっていることだ。つまり一般的にはただ読めばいいだけ。即興でお話を考えてしゃべるより楽なはすだ。
でも吃音者の本人にとって言いづらい言葉があったりすると、決まり文句なのにまったく言えなくなる。周りからすれば不思議でしょうがない。決まってる言葉なのにと。
この人は、10年前の発売当時からこの作品を読みたいと思いながら、読めずにいました。理由は、興味が無かったからではありません。描写が近すぎて、読めばいろいろな時の感情が思い出されてつらくなるだろうと分かっていたからだ、と書いています。10年が経ってようやく読み、泣きながら読んだ、とも。文章の最後には、そこで挙げた症状の具体例も劣等感も、すべて自分の吃音のある者としての実体験だと明記されています。「決まっている言葉なのに言えない」という、周りには不思議に見える現象そのものを、研究の側も説明の対象にしてきました。
出典: ずっと読むことができなかったマンガを読んだ話―押見修造『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(note)(台帳: V0255)
デラウェア大学の研究者が2022年に発表した論文は、この現象を「自動」と「制御」という二つの処理の組み合わせで説明しています。とっさの叫びやあいさつのような決まり文句は、ほとんど自動で出てくる発話です。反対に、訓練で新しく習う話し方は、ほぼ全部を意識して組み立てる発話です。論文は、どちらかに極端に寄った発話は頭の中での食い違い(葛藤)が小さいので流暢になる、と述べています。詰まりが起きやすいのは、その中間——高度に自動でありながら、同時に高度な制御も必要な発話です。
そして、その代表例として名指しされているのが、名乗る場面です。論文は、吃音のある人にとって、言われて自分の名前を言うことは「高度に自動でありながら、高度に制御された行為」だと書いています。自分の名前を言うことは本来よく学習された努力の要らない作業のはずなのに、その行為が背負っている伝える責任の重さのために、制御の処理を過剰に使ってしまう——というのが、論文の説明です。名前が特別に難しいのは、覚えていないからでも、緊張しているからでもなく、「絶対に言えて当たり前」だと本人も周りも思っているからだ、という筋道になります。
同じ論文は、この詰まりが自分の意思とは逆向きに起きることも述べています。吃音のない人も、言い間違えそうなときに言いよどみますが、それは発話の制御を保つために自分から先回りして出しているものです。これに対して吃音特有の詰まりは反応的で、戦略として作られたものではなく、どもりたくないと最も強く思っているときにこそ起きる、と書かれています。論文は、この「固まる」感覚こそが当事者の感じている制御の喪失の正体だろうとしたうえで、それは吃音に付随して起きる二次的な行動ではなく、吃音特有の非流暢そのものに欠かせない構成要素だと述べています。ただし著者自身が、自分たちの主張の多くは現時点では推測であり、実証による裏づけを待っていると断っています。
教室で積み重なっていくもの
名前が言えない場面は、一度きりでは終わりません。学校には、名乗る・読む・手を挙げるという行事が毎日のように並んでいます。小学4年生から高校3年生までを振り返った作文があります。
当事者の声(高校3年生・みほ/吃音親子サマーキャンプの作文教室で書かれた作文・日本吃音臨床研究会のサイト掲載)
今までの自分の吃音を振り返ってみると、いろいろなことがあったなあと思います。小さいときに、友達の家のインターホンを押したときに、自分の名前が言えなくて泣いて家まで帰ったこと。小4で代表委員に立候補し、全校生徒の前で自分の名前がなかなか言えなくて泣いたこと。小学校の音読で最初の音がなかなか出せなくてすぐ終わるような文章を何分もかかってしまい、その場から逃げ出したかったこと。他にもここに書ききれないくらい吃音で嫌だったこと、苦しかったこと、泣いたことはいっぱいありました。
この作文は、親子で参加するキャンプの2日目の朝、参加者全員が机に向かって書く作文教室で書かれたものです。書いたのは、小学4年で初めて参加し、高校3年で卒業の時期を迎えた本人。並んでいるのは、友達の家のインターホン、全校生徒の前での立候補、教室の音読——どれも、言うことがあらかじめ決まっている場面です。そのたびに吃音を憎んでいたし、「吃音じゃなかったらこんなに苦しい思いはしなかったのに」と何度も思った、と続きます。そして今は、原因はどうでもいいし治したいとも思わない、ただ日常では無意識に言いやすいことばに換えてしゃべってしまっている、と書いています。こうした場面が重なると何が起きるかについては、解説の側にも記述があります。
出典: 第16回吃音親子サマーキャンプ〜作文と感想〜(日本吃音臨床研究会「吃音相談室」)(台帳: V0197)
国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説は、幼い頃は症状に驚いたり不満を感じたりしてもその場限りの一時的なものだが、成長とともに吃音が固定化し、うまく話せないことが多くなってくると、周囲の人から指摘される場面も多くなり、子どもは自分のことばの出づらさをはっきりと意識するようになる、と書いています。その結果、話す前に不安を感じるようになったり、話す場面に恐怖を感じたりし、うまく話せないことを恥ずかしく思うようにもなる——そしてこの心理は、「うまく話せない」という経験が増えれば増えるほど強くなる、と続けています。作文に並んだ場面の数は、そのまま積み重なった経験の数です。
症状の型そのものも、年齢とともに変わっていくと考えられています。先ほどの論文は、音や音節の繰り返し(連発)は、ことばの上での食い違いを自分で直そうとする自然な反応なので幼い子に最も多い型になる、と説明しています。一方、いったん動き出したものに急ブレーキをかける脳の回路は学齢期になるまで成熟しない可能性があり、その回路が育つにつれて、ブロック(難発)や引き伸ばし(伸発)が主な型になっていくのではないか、としています。同じ論文は、意識してゆっくり話すことが流暢さを高める方法としてよく知られているのは、固まる反応が起きる前に食い違いを解く時間を稼げるからだ、とも述べています。
高校生の年ごろから先で、何が変わるのか
作品の主人公は高校生です。では、その年ごろから先は何が変わるのか。ここは、自然に軽くなる人と、そうでない人とに分かれるところでもあります。
吃音のある女性の声(取材時29歳・奥村安莉沙さん/地方紙のニュースサイトの取材記事。引用には本人の発言と記事の地の文の両方が含まれます)
現在29歳の奥村安莉沙さんは、2歳の頃に発症。意思疎通ができないほどの重度の難発吃音(なかなか言葉が出てこない)を抱え、子供の頃は喋り方を真似してからかわれたり、学校では理解のない教師から音読ができないことを「集中していない」と叱られたりしたこともあったという。
吃音は成長に伴って自然に治るケースも多いとされるが、奥村さんは逆に症状が悪化。「就職活動の面接では、自分の名前を言うので精一杯という状態でした」と振り返る。
2歳で症状が出て、学校では話し方をまねされ、音読ができないことを集中していないと叱られた——記事が挙げているのは、教室で起きた出来事です。その先で、この人の場合は軽くなりませんでした。就職活動の面接で「自分の名前を言うので精一杯」だったという状態は、学校を出たあとに待っていた場面です。記事には、この後に経験した事故の場面で助けを呼ぼうとしても「助けて」の「た」が出てこなかったことも、本人の言葉として書かれています。現在は啓発の活動に取り組み、吃音への理解が広まり、当事者がありのままの自分を肯定できる社会になってほしいと語っています。思春期以降の経過については、学会の解説がひとまとまりの記述を置いています。
出典: 「何度も死にたいと思った」吃音の知られざる苦悩 当事者の女性が「社会の無理解を変えたい」と立ち上がる(神戸新聞NEXT)(台帳: V0127)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、思春期以降になると吃音の症状は連発や伸発よりも難発(最初の音が出しにくくなる症状)が中心になり、難発が頻繁に出ると発話が困難になってやりとりに支障をきたす、と書いています。困難を感じやすい場面として挙げられているのは、中高生では部活動や入学面接、大学生ではゼミの発表や就職活動、社会人では職場の電話応対です。名乗る場面がそのまま並んでいます。
同じ解説は、その先で起きることも書いています。話す場面での失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じ、次第に会話や社交を避けるようになる。また、吃音を巧みに隠そうとして、言いにくい単語を言い換えるなどの工夫をすることもある——この場合、吃音は目立たなくなりますが、実際は吃音が出ないかを日々警戒しながら生活することになり、ストレスや悩みを抱え込みやすくなる、とされています。言い換えという工夫は、名前には使えません。前の節の作文にも「日常では無意識に言いやすいことばに換えて喋っちゃってる」という一文がありました。日々使えている手が、名乗る場面でだけ一斉に使えなくなるわけです。
自己紹介という場面そのものへの向き合い方、先に伝えるかどうかの決め方は、吃音で自己紹介が怖いの記事にまとめています。女性の当事者について分かっていることは、女性の吃音の記事で扱っています。
この作品が置かれてきた場所と、作品が入口になること
手元の資料で確かめられる範囲で、この作品がどこまで広がったかを整理しておきます。版元の公式ページは、作品を「"自分の名前が言えない"女子高校生・大島志乃(おおしま・しの)の、とってもどかしくて、でもそれだけじゃない学校生活」を描いたものとして紹介し、第1話を無料で公開したうえで、第2話以降は有料配信と単行本で読めると案内しています。単行本は2012年12月7日に太田出版から発売されたと同じページに記載があります。
その後の展開も同じページに書かれています。実写映画は2018年7月14日より全国公開され、公開前に文部科学省特別選定作品に選ばれたこと、DVDが発売されていること、2020年3月22日からNetflixで配信が始まったことが記されています。映画公開を記念したオフィシャルブックには、原作者が6年ぶりに描き下ろした表紙イラストと、完全描き下ろしのスピンオフ読み切り18ページ、10代のキャストの撮影スチールアルバムや手書きアンケート、監督インタビューが収録されている、とも案内されています。
ここで一つ、押さえておきたいことがあります。この公式ページの本文には、「吃音」ということばが一度も出てきません。使われているのは「自分の名前が言えない」という表現だけです。作品と吃音を結びつけているのは、版元の説明ではなく、読んだ当事者の記録や、作者本人が別の場で語った言葉のほうです。この記事が作中の人物に病名を当てないのは、遠慮からではなく、手元の一次資料がそう書いていないからです。
作品を入口に吃音を論じること自体は、日本語の専門誌にも前例があります。東北大学医学部生理学の研究者が2022年に書いた解説は、吃音があったとされる英国王と、その治療にあたったオーストラリア出身の言語療法士との交友を史実にもとづいて描いた2010年の映画を題材にしています。この解説は、作品が、言語療法士の一見風変わりに見える治療や振る舞いの土台にある「話すという行為」と、障害としての吃音を、神経科学の視点から検討していると述べています。作品から入って、話し方の癖ではなく発話の仕組みの側に降りていく——この記事がたどったのも、同じ道筋です。創作の描写と現実の診断の関係については、アニメ・漫画の吃音の記事に、作者本人が公開の場で語った経験については押見修造の吃音の記事にまとめています。
相談先と、周りに頼めること
読んで、自分や家族のことが気になった場合の行き先を挙げておきます。日本吃音・流暢性障害学会の解説は、子どもについて、楽に話しやすくなるように周囲のコミュニケーション環境を整える方法や、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法などを年齢や状態に合わせて行うとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談しましょうと書いています。中高生以上・成人については、本人が吃音の治療を希望する場合、言語聴覚士による発話訓練を受けるという選択肢があるとしています。発話訓練だけで症状が改善しない場合や、吃音に対する不安が強い場合は、カウンセリングや心理療法が役立つこともある、とも書かれています。
もう一つの道が、当事者どうしの集まり(自助団体)です。同じ解説は、吃音のある当事者が「吃音があるのは自分だけではない」ということを認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことが、こうした団体の活動の中心だとしています。1965年に発足した「言友会」が日本で最も歴史が古く、定例会や全国大会を開催していること、近年では若者を対象とした団体や、女性の集いを開催する団体も設立されていることが、名前つきで挙げられています。この記事で引いた高校3年生の作文も、親子で参加するキャンプの作文教室で書かれたものでした。
学校や職場に頼めることもあります。学会の解説は、2016年に施行された障害者差別解消法により、学校や職場での吃音に対する差別的な言動および差別的な扱いが禁止されていること、そして発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長などの合理的配慮(本人の困りごとに合わせて、やり方のほうを調整してもらうこと)を求めることができることを書いています。ただしその際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があるとも添えられています。出席確認の返事や名簿順の音読のような、進行を少し変えるだけで済む場面は学校の中にたくさんあります。
次のようなときは、作品を読んで終わりにせず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 名乗る場面や音読のある授業を避け始めている
- 言いやすいことばへの言い換えが常になり、いつも身構えている感じがある
- 子どもが「話し方をまねされた」「笑われた」と言っている
この3つは、相談を考えるきっかけとして本記事が挙げたもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。
この話題で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 作品の登場人物に病名を当てて、それで分かった気になる
読者が見ているのは作り手が選んだ描写であって、経過でも診断でもありません。版元の公式ページも、この作品を紹介するのに「吃音」ということばを使っていません。現実の側で確かめられているのは、名前が出てこない詰まり方に難発という呼び名があること、思春期以降はその難発が中心になるとされていることまでです。登場人物に名前を当てる代わりに、同じ場面に立っている現実の人が何を経験しているかを見るほうが、読んだ人にできることに近いはずです。描写と現実の関係はアニメ・漫画の吃音の記事で扱っています。
落とし穴2 − 「緊張しているから名前が出ないのだろう」と考える
名乗る場面が難しい理由を、気の持ちように置き換えると行き止まりになります。理論として提案されている説明は逆向きで、自分の名前を言うことは本来よく学習された努力の要らない作業であるのに、その行為が背負う伝える責任の重さのために制御の処理を使いすぎてしまう、というものです。同じ論文は、この詰まりが反応的で戦略的ではなく、どもりたくないと最も強く思っているときにこそ起きると述べています。「落ち着けば言える」という助言が届かないのは、そのためです。ただし、この説明は著者自身が実証による裏づけを待つ段階だと断っています。
落とし穴3 − 「今は目立たないから大丈夫」で終わらせる
言いにくい単語を言い換える工夫が身につくと、周りから見た症状は目立たなくなります。学会の解説は、その場合、実際は吃音が出ないかを日々警戒しながら生活することになり、ストレスや悩みを抱え込みやすくなると書いています。そして言い換えは、自分の名前には使えません。困った場面・出やすかった日・そのとき何をしたかを書き留めておくと、自分でも何が起きているかが見えるようになり、相談のときにそのまま渡せる材料になります。日々の様子を「見える化」する手段の一つとしてアプリを使う方法もあります(アプリは記録・継続の支援であり、治療をうたうものではありません)。言語聴覚士やことばの教室に相談できる状況なら、そちらが確実です。
よくある質問
『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』は、吃音を扱った作品なのですか?
版元の公式ページは、この作品を「自分の名前が言えない」女子高校生の学校生活を描いた作品として紹介していますが、そのページの本文に「吃音」ということばは一度も出てきません。作品と吃音を結びつけているのは、読んだ当事者の記録や、作者本人が別の場で語った言葉のほうです。この記事では、作中の人物に病名を当てることはしていません。
本当に、自分の名前だけが言えないということがあるのですか?
ことばを出せずに間があいてしまう詰まり方は難発(ブロック)と呼ばれ、音のくりかえし(連発)・引き伸ばし(伸発)と並ぶ吃音の特徴的な症状の一つとされています。理論として提案されている説明では、言われて自分の名前を言うことは、本来よく学習された努力の要らない作業でありながら、伝える責任の重さから制御の処理を使いすぎてしまう場面だとされています。この記事で引いた4人の記録にも、出席確認、立候補、就職面接と、名乗る場面が並んでいます。
子どものときの「か、か、からす」と、大人の「・・・・からす」は別のものですか?
どちらも吃音の特徴的な症状として同じ解説の中に並んでいます。日本吃音・流暢性障害学会は、思春期以降になると症状は連発や伸発よりも難発が中心になると述べています。理論の側では、繰り返しはことばの上での食い違いを自分で直そうとする自然な反応なので幼い子に多く、急ブレーキをかける脳の回路が学齢期にかけて育つにつれてブロックや引き伸ばしが主な型になっていくのではないか、と説明されています。
名前が言えない子に、学校でしてもらえることはありますか?
学会の解説は、2016年に施行された障害者差別解消法により学校や職場での吃音に対する差別的言動および差別的扱いが禁止されていること、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長などの合理的配慮を求めることができることを書いています。ただし、その際に医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があるとも添えられています。まずは小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談することが挙げられています。
作品を読んで自分のことだと思いました。次はどこへ行けばいいですか?
相談先として挙げられているのは、子どもなら小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員、中高生以上・成人なら本人が希望する場合の言語聴覚士による発話訓練、不安が強い場合のカウンセリングや心理療法です。それとは別に、当事者どうしの集まりもあります。学会の解説は、1965年に発足した「言友会」が日本で最も歴史が古いこと、近年では若者を対象とした団体や女性の集いを開催する団体も設立されていることを挙げています。
まとめ
- 版元の公式ページは、この作品を「自分の名前が言えない」女子高校生の学校生活を描いた作品として紹介している。ただしそのページに「吃音」の語は出てこない。
- ことばを出せずに間があいてしまう詰まり方は難発(ブロック)と呼ばれ、連発・伸発と並ぶ吃音の特徴的な症状の一つ。思春期以降はこの難発が中心になるとされている。
- 名乗る場面が難しいのは、本来よく学習された努力の要らない行為でありながら、伝える責任の重さから制御の処理を使いすぎてしまうからだ、とする理論がある。詰まりは反応的で、どもりたくないと最も強く思っているときにこそ起きるとも述べられている。ただし著者自身が実証による裏づけを待つ段階だと断っている。
- うまく話せない経験が増えるほど、話す前の不安や恥ずかしさは強くなる。言い換えで目立たなくできても、日々警戒しながら生活することになり、その言い換えは名前には使えない。
- 作品から入って発話の仕組みの側に降りていく道筋には、日本語の専門誌にも前例がある。相談先は小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員、発話訓練、自助団体。学校や職場には合理的配慮を求められる。