まず結論から
- 吃音の問題を「ことばがどもること」と「どもって困ること」の2つに分けて捉える整理があります。「終わり」と感じているものの多くは、後者の側に積み上がっています。
- 外から吃音の重さを測る検査は、話す場面を避ける・別のことばに言い換える・隠すといった外から見えない部分を捉えられないと、研究自身が断っています。外から見た重さと本人が感じる重さは相関しないという研究の整理もあります。つらさは気のせいではありません。
- 吃音のある成人では、人前で話す場面への強い不安をかかえる人の割合が高いと報告されています。困っているのは、性格や努力の問題ではありません。
- 話すときの目標を「流暢に話す・どもらない」ではなく「どもっても言いたいことを言う」に置いている人のほうが、場面を避けたり力んだり、恥や恐れを感じたりすることが少ないという調査があります。
- 吃音への取り組みは、話す症状を減らすことだけでなく、日々の暮らしの釣り合いを保てるようにする方向にも向けるべきで、流暢さだけを狙う訓練では足りないと述べた研究があります。
ただし、ここに挙げたのはいずれも大勢を平均した傾向や、ある一時点で測った関係であって、あなた一人の先行きを言い当てるものではありません。そして、いま死にたいと思うほどつらいのなら、この先を読み進めるより先に、次の節に進んでください。
いま、つらくて仕方がないとき
気持ちが限界に近いと感じているなら、まずは人につながってください。かかりつけの医療機関、学校や職場の保健の担当者、お住まいの自治体の相談窓口が入口になります。夜間や休日でも受けている窓口があります。どこに掛ければいいか分からないときは、自治体の名前と「こころの相談」で案内にたどり着けます。
窓口の名称・受付時間・対象は地域によって違い、変わることもあるため、この記事では特定の電話番号を挙げていません。手元の資料で確かめられる範囲を書いています。
吃音そのものについては、言語聴覚士(ことばの訓練の専門家)や臨床心理士(カウンセリングの専門家)と協働して支援を組み立てている専門外来を置く医療機関があり、慶應義塾大学病院はその一つです。同院の解説は、病院に来る成人の吃音のうち半分程度は、人前で話す場面などへの強い不安(社交不安障害)を伴っているとするデータもあると紹介しており、そうした場合には、安心して話せる環境をつくるとともに、認知行動療法といった心理療法を応用した支援が挙げられています。
つまり、いま感じている苦しさは、話し方の練習だけが受け皿になるわけではありません。気持ちの側を一緒に見てもらえる場所があります。
「吃音が治らないと僕の人生はない」と思いつめた人
「終わり」という結論は、たいてい一つの前提の上に立っています。吃音が無くならないかぎり、自分の人生は始まらない、という前提です。その前提を、10代のうちに抱え込んだ人の記録が残っています。
当事者の声(1965年に当事者の会を立ち上げ、日本吃音臨床研究会の会長を務める男性。同会サイトの巻頭言)
私は夏休み中の30日間必死で練習したが、まったく効果がなく、秋には練習をやめた。しかし、「ドモリの悲劇」の物語は強烈に残り、「吃音が治らないと僕の人生はない」と思いつめた。吃音悲劇の物語によって私は21歳まで苦しむことになる。
中学2年の夏休み前、「必ず治る」とうたう一冊の本を手にしたときのことを、この人は「胸の高鳴りは忘れられない」と書いています。1か月練習すれば新学期には別人になれる——そう心底思って、30日間を注ぎ込んだ。結果は変わらず、残ったのは練習の成果ではなく「吃音が治らないと人生はない」という一行のほうでした。21歳でもう一度、治ると宣伝する矯正所に1か月通い、そこでも変わらなかったことを本人が書き残しています。手元の資料の側から言えることは一つだけで、吃音の問題を「どもること」と「どもって困ること」の2つに分けて考える整理があり、後者は前者が消えなくても動かせる、という捉え方です。
出典: 吃音悲劇の物語(吃音と上手につきあうための吃音相談室)(台帳: V0440)
この「分けて考える」という整理を、もう少していねいに見ておきます。ある当事者向けの資料は、吃音とは「(1) ことばがどもって (2) 困ること」だと定義し直しています。(1) は、音を繰り返す・伸ばす・つまって出てこないという状態のこと。(2) は、恥ずかしい思いをする、言いたいことが言えずにいらいらする、周囲からのからかいや特別視、緊張したり不安になったりする、話すことを避けてしまう、就職や結婚の問題、落ち込んだり自信が持てなくなったりする——そうした状態を指します。
同じ資料は、吃音の問題の大きさを立方体の体積にたとえたモデルも紹介しています。3つの辺は、ことばの症状そのもの、それに対する周囲の反応、そして症状や周囲の反応に対する本人の反応です。掛け算なので、ことばの症状の辺がそれほど長くなくても、残り2辺が長ければ体積は大きくなる。逆に言えば、体積を小さくする道は1本ではありません。この整理には、「治らないなら何も変わらない」という前提が入っていないところが肝心です。
40年たってから、何を悔いるのか
いま20代なら、この先の40年はまだ一行も書かれていません。すでに書き終えた人が、その40年を振り返って何を悔いていると書いているかは、読んでおく価値があります。
当事者の声(20歳で発症した60代女性。地域の自助グループの「例会参加者の声」に寄せられた手記)
20歳で吃音を発症し、40年以上劣等感や自己嫌悪で、自己否定しつつ生きてきました。
その間、様々な発声法や自己啓発セミナー等で自分なりにお金と時間をかけて、治そうと奮闘してきました。
でも、むしろ悪化することもあり、まさか、努力が逆効果になるとは、と絶望的な気持ちにもなりました。
この手記を書いたのは、先月はじめて自助グループの例会に参加したという女性です。40年以上という長さのほとんどが、治すための努力と、それがうまくいかないことへの落胆で埋まっていたことが、短い文章から読み取れます。悔やんでいる中身も、本人がはっきり書いています——吃音のある自分を半人前と恥じ、人並みになろうとして頑張ってきた半世紀近くを悔いている、人並みを目指すより自分の長所を見つけて伸ばすべきだった、と。そして若い人には、吃音との戦いに明け暮れるより、自分の長所や特技を見つけて伸ばすことに大切な時間を使ってほしい、と書き添えています。この「時間の使いどころ」という論点は、研究の側からも出てきています。
出典: 例会参加者の声(岡山言友会)(台帳: V0109)
18歳から45歳までの成人を対象に、吃音のある64人と吃音のない64人を比べた一時点の調査があります。この研究は「日々の活動の釣り合い」——仕事・学業・家族・余暇といった役割に、無理なく時間と力を配れているか——を質問紙で測りました。結果は、吃音が重い人ほど、この釣り合いも生活全体の満足度も低い方向にあり、釣り合いが取れている人ほど満足度が高い、という関係でした。生活満足度の得点のばらつきは、吃音の重さと日々の活動の釣り合いの2つで74.2%が説明されています。
ここで読み違えたくないのは、この数字が「吃音を軽くすれば満足度が上がる」という証明ではないことです。一時点で測った関係なので、どちらが原因かは言えないと原典自身が明記しています。原典が導いた結論のほうが、この記事には効きます——吃音への取り組みは、話す症状を減らすことだけでなく、日々の暮らしの釣り合いを保てるようにする方向にも向けるべきで、流暢さだけを狙う訓練では足りない、というものです。手記の女性が「長所を伸ばすことに時間を使ってほしい」と書いたことと、指している方向は近いところにあります。
「自分は話すのが苦手な人間だ」という自己像
「人生詰んだ」と結論するとき、たいてい先に決まっているのは、自分がどういう人間かという一行です。話すのが苦手で、人と関わるのに向いていない——その一行を、あとから疑った人がいます。
当事者の声(50歳前後の会社員男性。個人のnote記事)
僕は、それを大人になってから気づいた。
話すのが苦手だったんじゃない。
話すことを、自分で遠ざけていただけだった。
君は本当に、人と話すことが嫌いなんだろうか。
僕の人生の転機は、仕事だった。
この人にとっての転機は、会社にかかってくる電話の応対が避けられない仕事になったことでした。最初は嫌だった、地獄だった、と本人が書いています。それでも、電話越しに自分の伝えたいことが相手に伝わり、相手がちゃんと会話をしてくれる。そのときに「声で伝わる」ことが思っていた以上に嬉しかった、と続きます。振り返って本人が書いているのは、話すのが苦手だと思っていたものの正体は、自分の意見に自信が持てず、相手が受け取ってくれるかが怖かったことで、それを吃音のせいだと決めつけていたのかもしれない、という見立てです。避けることと苦手であることの区別は、研究の側でも分けて扱われています。
出典: 吃音は、君を誤解させやすい試練。やがて、晴れる。(note)(台帳: V0310)
吃音のある大人500人以上に尋ねた調査を引いて、ある総説は、聞き手には見えない反応があると整理しています——特定の音・ことば・場面を避ける、どもりそうだと思ったときにとっさに別のことばへ言い換える、といった行動です。この調査では、およそ半数が少なくともときどきこうした行動をとっており、1〜2割は「よく」「いつも」とっていました。避けているあいだ、外からは何も起きていないように見えます。だからこそ、自分でも「話すのが苦手だから避けた」と読んでしまいやすい。
同じ総説は、話すときの目標そのものが体験を左右するという結果も紹介しています。500人以上への調査で、目標は大きく2つに分かれました——「より流暢に話す・どもらないこと」と、「どもるかどうかにかかわらず言いたいことを言うこと」です。そして、前者の目標を強く持っている人ほど、場面や音やことばを避け、力んでもがき、恥・罪悪感・恐れを経験しやすいという関係が示されています。目標をどこに置くかは、気の持ちようの話ではなく、その後の行動と感情に結びついている、ということです。
「まわりに全部見られている」という感覚
「もう終わりだ」という結論には、たいてい観客がついています。まわりは自分のどもりに気づいていて、評価を下し終えている——その前提を、同じことばに出会った当事者が疑っています。
当事者の声(吃音のある男性ブロガー。自身のブログの記事)
死ぬしかないまで追い詰められる事では無いんですね
いや、本当に
吃音症は死ぬ事を意識するほどのことではない
この人は、自分のブログにたどり着いた人が打ち込んだことばの中に「吃音 死ぬしかない」を見つけて、正直なところ「なんでやねん」と思ったと書いています。そのうえで理由として挙げているのが、このブログで繰り返し言っていることとして書かれた「基本的に人は自分を見ていない」という一行です。今日すれ違った同僚の服装を思い出せるか、と本人は問いかけます。これは一人の受け止め方であって、いま苦しい人に「大げさだ」と告げるためのものではありません。ただ、同じことばを見た当事者がこう返した、という事実は残っています。自分の中で起きていることと、外から見えていることは、別々に動きます。
出典: 吃音 死ぬしかない(吃音症と全力で立ち向かう(たまに逃げる)ブログ)(台帳: V0439)
ことばが出ない瞬間に何が起きているかを、外から言い当てることはできません。吃音のある大人502人に、どもる瞬間の考え・感情・行動を尋ねた調査を引いて、ある総説は、詰まっている・コントロールを失っているという内側の感覚を知っているのは話し手だけだと結論しています。同じ総説は、どもる瞬間に恥ずかしさを「よく」「いつも」感じると答えた人が45%、きまり悪さが53%、気持ちが消耗すると答えた人が49%という数字を挙げつつ、こうした反応はよくある体験である一方、その形も起こり方も人によって大きく違うと述べています。
ここから出てくる帰結は、向きが2つあります。一つは、外から見えている量は、自分が思っているほど多くないかもしれないということ。もう一つは、外から測った重さは、あなたの苦しさの物差しにならないということです。外から測る重症度の検査は、避ける・言い換える・隠すといった外から見えない部分を捉えられないと、その検査を使った研究自身が断っています。外から見た重さと本人が感じる重さは相関しないという研究の整理もあります。どちらの向きから見ても、他人の目に映った自分は、自分の人生を採点する材料にはなりません。
「詰んだ」と感じているものの中身
ここまで声を先に置いてきたのは、数字が先に来ると、それが結論の裏づけとして読めてしまうからです。そのうえで、研究が実際に何を測ってきたのかを見ておきます。困っていることに名前と大きさがつくと、扱えるものと扱えないものを分けやすくなります。
生活の面では、ある総説が、吃音のある大人について、より地位の低い職業へ誘導されること、収入の損失、失職、社会的な拒絶が報告されてきたと整理しています。子どもでは、学校の成績や課外活動、人間関係を築くこと、自分で決める力を育てることに困難が生じうるとも述べられています。これらは積み重なって生活の質全体に及びうる、というのがこの総説の見方です。つまり、あなたが感じてきた不利は、少なくとも研究の側でも起こりうることとして扱われています。
気持ちの面では、人から見られる場面や人前で話す場面への強い不安が続き、その場面を避けるようになる状態(社交不安障害)との関わりが繰り返し調べられてきました。吃音のある成人でこの状態が高い割合で見られるという知見が積み上がっている、と総説がまとめています。吃音のある成人と、年齢や男女比をそろえた吃音のない成人を比べた調査では、吃音のある人に不安の高さが目立ち、ある時点でこの状態にあたる人は少なくとも40%と推定されています。日本の医療機関の解説にも、病院に来る成人の吃音のうち半分程度が伴っているとするデータがあると書かれています。
ここで、言い添えておかなければならないことがあります。これらは集団を平均した割合であって、「あなたがそうだ」という診断ではありません。名前がついている状態には、支援の道筋もついています——気持ちの側については、安心して話せる環境をつくることと、認知行動療法といった心理療法を応用した支援が挙げられています。
そして、重さの測り方には限界があります。吃音の重症度を測る検査は、外から観察できる行動については標準化された信頼できる道具である一方、避ける・言い換える・隠すといった側面は捉えられず、隠す形が中心の人については解釈にこの限界を考慮すべきだと、研究自身が書いています。検査の点数と本人が感じている負担が一致しない報告も紹介されており、重症度は心理的・社会的な負担をそのまま予測するわけではないと述べられています。外から見た重さと本人が感じる重さは相関しないという先行研究の整理は、別の研究でも示されています。
職場で起きることについては、内面化されたスティグマ——吃音に向けられる世の中の否定的な見方や決めつけを、本人が自分のものとして取り込んでしまうこと——という説明があります。それは恥や自分を責める気持ち、自分は力不足だという感覚につながり、話す役割やまとめ役を避ける、会議で発言したがらない、悪く評価されるのが怖くて昇進を断る、といった形で現れうるとされます。まわりの理解の乏しさや、話しやすい環境への配慮がないことが、この思い込みをさらに強めうるとも書かれています。自分の側だけの問題ではない、ということです。
この節で挙げた調査は、いずれも一時点で測ったものや、自己申告の質問紙によるものを含みます。原因と結果の向きは言えず、参加者の集め方にも偏りがあると原典自身が断っています。数字は「こういうことが起こりうる」という範囲までを示すもので、一人の見通しではありません。
「もう終わりだ」と決める前に、陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 一つの場面の結果で、人生全体を採点する
面接で言えなかった、電話に出られなかった、という一つの場面は、確かに起きたことです。ただ、吃音の問題の大きさは、ことばの症状・周囲の反応・本人の反応という3つの辺の掛け算として考えられています。1つの辺の長さだけで体積を決めることはできません。その日の出来事を書き留めておくと、あとで読み返したときに、いつも同じ結果だったわけではないことに気づきやすくなります。
落とし穴2 − 「治ってから」と決めて、いまの生活を全部保留にする
話し方が変わってから働く、変わってから人に会う、と順番を決めてしまうと、その間の時間が空白になります。40年以上を治すための努力に使って、人並みを目指すより長所を伸ばすべきだったと書いた人がいました。研究の側でも、流暢さだけを狙う取り組みでは足りず、日々の暮らしの釣り合いを保てるようにする方向にも向けるべきだと述べられています。「治ってから」ではなく「いま動かせるところから」に置き換えるほうが、根拠のある順番です。
落とし穴3 − つらさを一人で抱えて、どこにも当たらない
気持ちの不調は、吃音のある人によく起こることとして研究が扱ってきたものです。よくあることだからこそ、受け皿も用意されています。言語聴覚士や臨床心理士と協働して支援を組み立てている専門外来があり、気持ちの側については、安心して話せる環境づくりと、認知行動療法といった心理療法を応用した支援が挙げられています。相談の場で症状が出ない、何から話せばいいか分からないという心配があるときは、困った場面を書き留めたメモを持っていくだけでも話が進みます。
まずは気づいたことを書き留めておくことから小さく始め、専門の相談先に当たれる場合はそちらが確実です。
よくある質問
吃音があると、人生は終わりなのですか?
手元の資料に、そう結論づけた研究はありません。研究が測ってきたのは、生活の満足度や日々の活動の釣り合い、人前で話す場面への不安、仕事や収入の面で起こりうる不利といった、場面ごとの大きさです。いずれも大勢を平均した傾向で、一人の見通しを言うものではないと原典自身が断っています。
「死ぬしかない」と思うほどつらいとき、どこに相談すればいいですか?
かかりつけの医療機関、学校や職場の保健の担当者、お住まいの自治体の相談窓口が入口になります。窓口の名称や受付時間は地域で違うため、この記事では特定の連絡先を挙げていません。吃音そのものについては、言語聴覚士や臨床心理士と協働して支援を組み立てている専門外来を置く医療機関があります。
吃音は軽いと言われました。それでも苦しいのは気のせいですか?
気のせいとは言えません。外から測る重症度の検査は、避ける・言い換える・隠すといった外から見えない部分を捉えられないと、研究自身が断っています。検査の点数と本人が感じている負担が一致しない報告も紹介されており、重症度は心理的・社会的な負担をそのまま予測するわけではないとされています。外から見た重さと本人が感じる重さは相関しないという研究の整理もあります。
治すのをあきらめたほうがいい、ということですか?
そうは書いていません。どうするかを決めるのは本人です。ただ、話すときの目標を「どもるかどうかにかかわらず言いたいことを言う」に置いている人のほうが、場面を避けたり力んだり、恥や恐れを感じたりすることが少ないという調査があります。また、流暢さだけを狙う取り組みでは足りず、日々の暮らしの釣り合いを保てるようにする方向にも向けるべきだと述べた研究があります。
吃音があると、仕事や収入で不利になるのですか?
ある総説は、吃音のある大人について、より地位の低い職業へ誘導されること、収入の損失、失職、社会的な拒絶が報告されてきたと整理しています。一方で、まわりの理解の乏しさや配慮のなさが本人の思い込みを強め、会議での発言や昇進を自分から避ける形につながりうるという説明もあります。どちらも「必ずそうなる」という話ではなく、起こりうることとして書かれています。
まとめ
- 「終わり」と感じているものの多くは、どもること自体ではなく、どもって困ることの側に積み上がっている。この2つを分ける整理がある。
- 外から測る重症度は、避ける・言い換える・隠すといった部分を捉えられず、本人の負担をそのまま予測もしない。外から見た重さと本人の重さは相関しないという整理もある。
- 生活の満足度や日々の活動の釣り合い、仕事や収入の不利、人前で話す場面への強い不安は、研究が実際に測ってきたもの。つらさは気のせいではない。
- 話すときの目標を「どもっても言いたいことを言う」に置いている人のほうが、避ける・力む・恥や恐れを感じることが少ないという調査がある。取り組みは流暢さだけでなく、暮らしの釣り合いの側にも向けるべきだとされる。
- 同じところまで行った4人は、そこで終わっていない。そして、気持ちのつらさには相談先がある。一人で抱えないでほしい。