まず結論から
- 吃音は長いあいだ、性格の欠陥や身体的な不足を表すために、また笑いを取るために描かれてきた——英国の当事者団体は、言葉の指針の冒頭でそう述べています。
- 同じ団体は、吃音のある声がテレビ・ラジオ・映画で聞こえるようにしてほしい、ただし誰かが吃音を「克服した」「治した」という文脈ではなく、と求めています。
- 吃音の回想録を読み、振り返り、語り合う「読書療法」を試した研究では、参加した当事者が、吃音という経験の捉え方と気持ちの面に変化があったと述べています。
- 同じ研究では、言語聴覚士を目指す大学院生の側も、吃音のある人の経験についての理解が深まり、信頼関係を築く力が増したと報告しています。
- 日本語では、当事者研究や語り(ナラティヴ)を軸にした本、小学4年生以上の子どもが直接手にとって読める本が、自助団体の案内に並んでいます。
ただし、読むことを扱った研究はどちらも参加者が5人・4人という小さな探索的なもので、原典自身が予備的な結果だと断っています。読めば話しやすくなると確かめられたわけではありません。
「個性」として描かれた作品を読んだとき
小説やドラマに吃音のある人物が出てくるとき、その置かれ方は作品ごとにずいぶん違います。苦しさの中心に据えられることもあれば、その人の持ち味のひとつとして描かれることもあります。後者は、当事者にとって素直に嬉しいものなのでしょうか。
当事者の声(子どものいる成人・個人ブログ)
吃音って障害なんだけど。DEEPで描かれる6人もそれぞれに苦しんで、それ故に人生相談サイトで知り合い仲間になるんだけど
その苦しみが個性と取られると、深刻な感じはなくて。
「吃音で困ってる人は沢山いる」て啓蒙ムズカシスなのかなぁ。個性としてだとしてもありがたい話なのかな。軽い吃音持ちには励ましになるのかな?
この書き手は、吃音のある人物が出てくる作品を自分のブログに並べたあと、最後に受け止めを書き添えています。挙げているのは、小学三年生の男の子「ぽっさん」が出てくる西加奈子の小説『円卓』(文藝春秋)と、重度の吃音がありテキストを扱わせると洗練された文章を紡ぐ青年「ページ」が登場する石田衣良の小説『アキハバラ@DEEP』——後者はドラマにも映画にもなり、演じた俳優の評判まで引用されています。作品を通して吃音を知ってもらえるのはありがたい、けれど苦しさが「個性」として受け取られると、困っている人がいることは伝わらない。歓迎と引っかかりが、同じ段落に同居しています。描き方が現実にどう跳ね返るかについては、英国の当事者団体が指針の冒頭で述べています。
出典: 吃音がキャラ、個性として描かれてる諸々(吃音(どもり)ネタを貼ってくブログ)(台帳: V0548)
その指針は、長いあいだ吃音が、性格の欠陥や身体的な不足を表すため、また笑いを取るために使われてきたと述べ、型にはめた描き方には現実の帰結があると続けます——流暢に話す人より弱く能力が低いと誤って受け取られ、話し方に否定的で不適切な反応が返ってくる、というものです。そのうえで団体は、吃音のある声がテレビ・ラジオ・映画で聞こえるようにしてほしい、ただし誰かが吃音を「克服した」「打ち負かされた」「治した」という文脈でではなく、あらゆる内容を作っているアクセントと声の豊かな模様の一部として、と求めています。作品の中の吃音と実際の吃音がどこで食い違うのかは、漫画・アニメの吃音と実際で整理しています。
読んだ一行が、自分の吃音の意味を決めてしまうことがある
物語の力は、良い方にだけ働くとは限りません。強く刺さった一行が、そのまま自分についての説明になってしまうことがあります。自助団体の文学賞に選ばれた手記は、その始まりの場面から書き起こされています。
当事者の声(41歳・市役所職員/自助団体の文学賞 受賞作)
小さいころから本を読むのが好きだった。いろいろな種類の本を読むよりは、どちらかといえば、好きな本の好きな台詞や個所に線を引いて、何度も何度も繰返して読むのが好きだった。ひとりで好きな本の世界に没頭しているのは、至福の時間だった。中学のときに、遠藤周作の『白い人・黄色い人』を読んだ。
受賞作の書き出しです。その作品には、醜い顔を持つ神学生と、斜視のせいで父親からも嘲られて育った主人公が交わす対話があり、自分の顔立ちは背負うべき十字架なのだ、という言葉が出てきます。どもりで苦しんでいた中学生はこれに衝撃を受け、どもりは自分にとって背負うべき十字架なのだと考えるようになりました。本人が振り返るところでは、その解釈はやがて、うぬぼれた自分への罰だという考えに進み、どもるたびに自分を責める日々に変わっていきます。三十を過ぎて自助グループの吃音教室に参加したとき、そこで聞いた言葉が「すっと私の中に落ちた」と書き、「気がつくと私は十字架を下ろしていた」と続けています。読むことが人に何をもたらすのかは、研究としても調べられています。
出典: 第16回ことば文学賞〜あるどもり人(びと)の告白〜(吃音と上手につきあうための吃音相談室)(台帳: V0157)
手記や回想録を読むことが読み手に何をもたらすのかは、研究の対象にもなっています。パデュー大学の研究者らは、吃音の回想録を読み、振り返り、語り合う取り組み(読書療法)を、吃音のある成人5人と、言語聴覚士を目指す大学院生6人に、指導つきのセッションの中で試しました。心理学の分野にある枠組みを当てはめると、物語への没入、自分と重ね合わせること、感情の解放、気づき、自分だけではないという感覚——この5つが挙がり、参加した当事者のうち少なくとも2人は、5つすべてを経験していたとしています。自分と重ね合わせる力は、支えにも重荷にもなる、ということでもあります。
一冊が、受け止め方を変えることもある
読む時期と本が合ったとき、長く抱えてきたものの見え方が変わることがあります。50歳になってから一冊の本に出会った人が、その前後を書き残しています。
当事者の声(50歳・能登在住/note)
私は小さい頃から吃音に悩まされ、周りからの防衛と劣等感が当たり前だった。一生逃れられないもの、嫌でも付き合っていかなければならないものと思っていた。今では、違和感がないほど共存している。
『どもる体』という本を読んだあとに書かれた文章です。この書き手は、言い換えや聞き役に徹することで吃音と付き合ってきたと書いています。挙げているのは「言いたいことを言えない」「内向的な性格を生み出した」「聞き上手になろうと決めた。それが特技だと思っていた」といった項目で、自分の名前をスムーズに言えないことは「想像を絶する苦痛だ」と書かれています。その人が、原因と治し方を書いていないこの本を読んで、どもりは精神的なものではなく体が発するエラーが現れているだけだ、と受け取り直しました。冷静に読めるのはこの年齢だからかもしれない、とも書いています。読むことを調べた研究でも、変化が語られたのは考え方と気持ちの面でした。
出典: どもる体を読んで自分と向き合う(note)(台帳: V0025)
読書療法を試した研究で、参加した当事者が語ったのも、吃音という経験の捉え方と気持ちの面の変化でした。話し方そのものが変わったという報告ではありません。似た試みは映画でも行われていて、ラマー大学の研究者らが吃音のある成人4人に4週間のプログラム(映画を用いた取り組み)を行った探索的な研究では、面接から5つのテーマが出ています——弱さを見せられるようになったこと、力づけられたこと、自分を省みることを促されたこと、所属している感覚が生まれたこと、自分に向けた引け目が弱まったことです。プログラムのあとに2つの質問紙の得点が下がったことも報告されていますが、原典自身が、これは4人を対象にした結果であり、より大規模な臨床試験への予備的な支持にあたると述べています。
作品を入口に、吃音を論じた文献もある
作品は、研究者が吃音を説明するときの入口にもなってきました。日本の神経内科系の雑誌に載った日本語の解説記事は、吃音があったとされる英国王と、その治療にあたったオーストラリア出身の言語療法士との交友を描いた2010年の映画を題材にしています。書いたのは東北大学医学部の生理学の研究者で、この作品は、言語療法士の一見風変わりに見える治療や振る舞いの土台にある、発話と、障害としての吃音を神経科学の視点から検討している、と述べています。
つまり、作品を入口に「話すという行為そのものの仕組み」まで下りていく読み方が、日本語でも公表されているということです。ただし、この解説の抄録は短く、作品の筋や人物の描かれ方そのものは書かれていません。映画を観たあとの話は、吃音映画のほうにまとめています。
書くとき・語るときの言葉には、当事者団体の指針がある
作品や記事の中で吃音をどう書くかについては、英国の当事者団体が具体的な言い換えの規則を公開しています。読む側にとっても、自分が読んだ文章がどんな型で書かれているかを見分ける物差しになります。
- 吃音に「苦しんでいる」「冒されている」と言う代わりに、「その人は吃る」と書く。
- 誰かの吃音を「ひどい」「衰弱させる」と形容せず、同じく「その人は吃る」と書く。
- 吃音を「打ち負かす」「克服する」と言うのを避ける。治せるものではないから、というのが団体の挙げる理由です。
- 物事が滞ったり失敗したりする様子を表すのに、吃るという語を使わない。
- 誰かの吃音を「今日は調子が悪い」と評さない。その人はただ話しているだけだから、としています。
これは言葉の使い方についての当事者団体の要望であり、幼児期の経過について述べたものではありません。
日本語の側では、日本吃音臨床研究会が書籍と教材の案内を公開しています。そこには、吃音の問題を「治す」から「吃る事実を認める」へ、さらに吃音とうまくつき合いながらどう生きていくかという「生き方」の問題としてとらえ直す必要を訴える本や、どもる人たちと当事者研究の実践が出会った記録、語り(ナラティヴ)が引き出す物語る力を扱う本が並びます。小学4年生以上の子どもが直接手にとって読むことができる、話しことばで書かれた本もあり、こちらには作家・重松清のメッセージが収録されていると案内されています。読む人別の選び方は、吃音の本のほうで整理しました。
読んだあとに気になったら、どこへ
作品を読んで自分や子どものことが気になったときの相談先は、言語聴覚士と、学校にある「ことばの教室」です。吃音を扱う専門の資料は、年代によって最初にすることが違うと書いています。
幼児期については、本人の話し方を直すのではなく、まず周りの人の接し方のほうを変えるところから始めるとされています。周りの人がゆったりと楽に話し、吃るかどうかではなく内容を聞くように努める、といった具体策です。そのうえで、悪化が見られる場合、どもり始めてから1年半から2年以上経っている場合、就学1年前までに治っていない場合、吃音の家族歴がある場合などには訓練を行うとしています。
大人については、話し方の訓練だけで良くなる例は少なく、半数を超える人で気持ちの面への対応が必要になるとしています。挙げられているのは、うまく話せるかどうかにこだわらず楽なやりとりを目標に置き直す方法(認知行動療法)や、わざとどもってみせて自分が吃ることを先に伝えてしまう方法(随意吃)です。後者については、吃ることを周囲に伝えると心理的な負担が減り、楽にやりとりができるようになると書かれています。
相談に行くときに知っておくとよいことが、もうひとつあります。相談の場では、思ったほど症状が出ないことが多いのです。その様子を見て「気にならないですね」「軽い吃音ですね」という言葉がかけられることがありますが、それが養育者にとってプラスに働くことは少ない、と専門の解説は指摘しています。家で自由に話しているときの様子を伝えるつもりで行くと、話が早くなります。相談先の選び方は吃音の相談先、言語聴覚士の探し方は吃音と言語聴覚士にまとめています。
吃音の小説を読むときに陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 作品の描き方を、そのまま現実の吃音だと受け取る
作品の中の話し方は、物語を成り立たせるために選ばれた表現です。英国の当事者団体は、吃音が長いあいだ性格の欠陥や身体的な不足を表すため、また笑いを取るために使われてきたと述べ、そうした型が現実の受け取られ方に跳ね返ると指摘しています。作品で見た印象を、目の前の人の説明にしないほうが安全です。
落とし穴2 − 強く刺さった一行を、自分についての説明にしてしまう
読書療法の枠組みで挙げられている5つのうちには、自分と重ね合わせることが含まれています。それは支えにもなりますが、上の手記のように、一行の意味づけが長く自分を縛ることもあります。刺さった言葉は、書き留めておいて、あとから読み返せる形にしておくと扱いやすくなります。
落とし穴3 − 読むこと自体に、治る効果を求めてしまう
読書療法も映画を用いた取り組みも、参加者は5人・4人の探索的な研究で、原典自身が予備的な結果だと断っています。報告されているのは考え方と気持ちの面の変化で、話し方が変わったという結果ではありません。読んでどう感じたか、どんな場面で話しにくかったかを、日付とともに残しておくと、相談のときに手元の材料になります。書き留めることから小さく始め、相談できる先があるならそちらが確実です。
よくある質問
吃音のある人が出てくる小説には、どんな作品がありますか?
この記事で挙げた作品名は、当事者が自分の文章の中で挙げていたものに限っています。個性としての描かれ方に複雑な受け止めを書いたブログでは西加奈子『円卓』と石田衣良『アキハバラ@DEEP』が、文学賞の受賞作では遠藤周作『白い人・黄色い人』が挙げられていました。日本語で読める吃音関連の書籍の案内は、日本吃音臨床研究会が公開しています。
小説を読むと、吃音は良くなりますか?
そう確かめた研究は見当たりません。回想録を読んで語り合う取り組みを試した研究が報告しているのは、参加した当事者が吃音という経験の捉え方と気持ちの面の変化を語ったことで、参加者は成人5人でした。映画を用いた4週間のプログラムも対象は4人で、原典自身が、より大規模な臨床試験への予備的な支持にあたると述べています。
読むのがつらいときは、どうすればいいですか?
無理に読み進める必要はありません。研究で行われた読書療法は、指導つきのセッションの中で回想録を読み、振り返り、語り合うという形でした。一人で読み切ることを勧めるものではないので、つらければ閉じて、話せる相手がいるときに戻るという扱いで構いません。
作品の中の吃音は、実際の吃音と同じですか?
同じとは限りません。英国の当事者団体は、吃音が性格の欠陥や身体的な不足を表すため、また笑いを取るために使われてきたと述べ、その型が現実の受け取られ方に跳ね返ると指摘しています。同じ団体は、吃音のある声が「克服した」「治した」という文脈ではなく、声の豊かな模様の一部として扱われることを求めています。
子どもが自分で読める本はありますか?
日本吃音臨床研究会の案内には、小学4年生以上の子どもが直接手にとって読むことができる、話しことばで書かれた本が挙げられています。保護者・ことばの教室の先生・通常の学級の先生に向けた手引きや、幼児期・学童期の質問への回答集も同じ案内に並んでいます。
まとめ
- 吃音は長いあいだ、性格の欠陥や身体的な不足を表すため、また笑いを取るために描かれてきたと、英国の当事者団体が指摘している。同じ団体は「克服した」「治した」という文脈での扱いをやめるよう求めている。
- 作品の中で吃音が「個性」として描かれることには、歓迎と引っかかりの両方がある——当事者本人が、作品を並べたブログの最後にそう書き残している。
- 強く刺さった一行が、自分の吃音の意味づけを長く決めてしまうこともある。自助団体の文学賞の受賞作が、その始まりから解けるまでを書いている。
- 回想録を読んで語り合う取り組みでは、参加した当事者が吃音の捉え方と気持ちの面の変化を語り、言語聴覚士を目指す学生の側も理解と関係づくりの力が育ったと報告されている。ただし参加者は5人と6人の探索的な研究。
- 作品を入口に発話と吃音を神経科学の視点から論じた日本語の解説もある。気になることが出てきたときの相談先は、言語聴覚士とことばの教室。