まず結論から
押見修造さんは、自分も登場人物と同じように名前がうまく言えないこと、その体験をもとにした作品を描いたことを、映画公開時のインタビューで本人が語っています(本人の言葉は、この下で原文のまま引きます)。そのうえで、手元の資料から言えることを並べます。
- 思春期以降は、最初の音が出しにくくなる症状(難発)が中心になり、失敗の体験が重なると会話や社交を避けるようになる、と学会の解説は述べています。言いにくい単語を言い換えて吃音を隠すと、目立たなくなる代わりに、日々警戒しながら生活することになるとも書かれています。
- 面接の冒頭で「自分は吃音がある」と説明として伝えた話者は、謝るように伝えた話者や何も言わなかった話者より、友好的・外向的・自信があると評価されました。
- ただし原典自身が、伝えることはすべての場面・すべての人に有益とは限らないと書いています。
- 学齢の子ども80人を比べた研究では、感情を立て直す力・共感・相手の気持ちを読み取る力のいずれも、吃音のある子のほうが低いと報告されました。しかもそれは吃音の重さとは関係していませんでした。
ただし、ここに並べたのは、本人が公表した範囲の事実と、集団を対象にして調べられたことです。押見さんの現在の状態や、特定の誰かのこれからを説明するものではありませんし、「表現すれば楽になる」という手順を示すものでもありません。
押見修造さんは、自分の吃音について何を語っているのか
まず確かめたいのは、本人がどこまで、どんな言い方で語っているのか、でしょう。ここは推測を挟まず、本人の言葉をそのまま置きます。
漫画家・押見修造さん本人の声(自作の映画化にあたってのインタビュー・映画情報サイト)
割と気持ちよかったですね。僕も(映画のヒロイン・志乃と同じく)自分の名前がうまく言えないんですが、あまり人に真剣に話すような機会がなかったので。友人などは(吃音があると)わかっていたと思いますし、僕自身は笑いに変えて乗り切っていたところがありますが、漫画の形にすることでようやく吐き出せたような気がします
デビューから約10年後、担当編集者から単行本1巻分ほどの分量の企画を持ち掛けられたことが、この作品の始まりだったと記事は書いています。動機として本人が挙げているのは、それまで自分の吃音に関する引き出しを使っていなかったこと、それをポップに描けたら自分の青春時代も浮かばれるのではないかと思ったこと。自分のつらかった経験を「黒歴史」と呼ぶ言い方には、過ぎ去ったものとして客観化する感覚があると思うが、自分の場合はいまだに囚われている感覚がある、とも語られています。読んだ人に漫画の形で追体験してもらうのが理想だ、という言葉で締められています。吃音の臨床でも、外から見える話しにくさを減らすことだけが対象ではないと論じられています。
出典: 漫画家・押見修造が吃音と向き合うまで 青春の痛みを描く理由(シネマトゥデイ)(台帳: V0407)
2022年のレビューは、吃音の臨床が扱うべきものとして、詰まる感覚やコントロールを失う感覚に対して本人がどう反応するか、周囲の環境がどうなっているか、生活のうえでどんな制約が生じているかを挙げています。そして、その反応をやわらげる取り組みの例として、マインドフルネス(いまの自分の状態にそのまま注意を向ける練習)や脱感作(怖い場面に少しずつ慣れていく練習)、自分に吃音があると相手に伝えること、そして自分に必要な配慮を自分で求めることを並べています。「話し方をどうにかする」以外の置きどころが、臨床の側にも並んでいるということです。
学会の解説は、思春期以降の経過をこう書いています。症状は連発(音の繰り返し)や伸発(引き伸ばし)よりも難発が中心になり、発話場面での失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じ、次第に会話や社交を避けるようになる。中高生では部活動や入学面接、大学生ではゼミの発表や就職活動、社会人では職場の電話応対などが、困難を感じやすい場面として挙げられています。上の語りにある「笑いに変えて乗り切っていた」という部分も、この流れの中に置いてみると、珍しい対処ではないことが分かります。
話す場面は避けたのに、描くことはできた
ここからは、押見さん以外の当事者の記録です。「話す」と「作る」が同じ人の中で別々に扱われている例は、ほかにもあります。
当事者の声(24歳・イラストレーター/DTPデザイナーのゆゆぱんちさん・ペンネーム/宗教専門紙が運営するメディアの取材記事)
私は、一般企業で働く人が行う電話や営業などの仕事はできません。でも、自分の好きなことを仕事にしたらやっていけるかもしれないと思いました。もちろん絵を描いていくのも大変な仕事ではありますが、自分の経験を漫画に描けるのは強みです
この人は美術専門学校で漫画家を目指し、出版社に応募した作品が受賞しています。その一方で、授業にプレゼンがあると聞けば途端に学校を休み、出席しないと決めていた、と記事は書いています。理由は、わざわざ吃音症だと講師に伝えたくなかったから。のちに派遣社員として働くときには、面接で自分の症状を素直に伝えて受け入れられ、会社にかかってくる電話は別の社員が対応するという協力を得ています。同じ人の中で、伝えなかった場面と伝えた場面が並んでいます。この「伝える/伝えない」は、研究でも比べられてきました。
出典: 吃音症でも好きな仕事に就く ゆゆぱんちさん(福祉仏教 for believe)(台帳: V0110)
テキサス大学オースティン校の研究者らは、面接場面の動画を使った実験を行いました。話し手は面接の冒頭で、①説明として伝える(「始める前にお伝えしますが、私は吃音があります。音や句の繰り返しが聞こえるかもしれませんが、分かりにくいところがあれば遠慮なく聞いてください」という趣旨)②謝るように伝える ③何も言わない、の3通り。これを338人の観察者が見て、話し手の印象を評定しました。
結果は、説明として伝えた条件が、謝る条件よりも、また何も言わない条件よりも、友好的だと評価されやすいというものでした。差がいちばん大きかったのは「自信があるように見えるか」で、説明として伝えた条件は何も言わない条件を大きく上回っています。同じ研究グループの別の実験でも、伝えた話し手のほうが友好的・外向的・自信があると選ばれやすく、伝えなかった話し手は「よそよそしい」「内気だ」と選ばれやすい傾向が報告されています。黙っていれば穏当に済む、とは限らないということです。
制度の側にも置き場所があります。学会の解説は、2016年に施行された障害者差別解消法により学校や職場での吃音に対する差別的言動および差別的扱いが禁止されていること、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった合理的配慮(本人の困りごとに合わせて、やり方のほうを調整してもらうこと)を求めることができることを書いています。ただしその際、医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があるとも添えられています。
吃音を作品の前面に出すと、「そういうキャラ」になってしまわないか
自分の経験を作品にするとき、当事者の側には固有の迷いがあります。作ったものが、実力ではなく背景で受け取られてしまうのではないか、という迷いです。
当事者の声(22歳・ラッパーの達磨さん/カラオケ企業が運営するメディアのインタビュー)
あと僕にとってももう一つターニングポイントとなったのが、ラップの中で吃音症について触れるようになったことです。最初は葛藤があったんですよ。ラッパー達磨として、ラップの実力で勝負したかったのに、吃音を全面に押し出したら、吃音という「キャラクターの力」になってしまうんじゃないかって。
この人が吃音を自覚したのは中学に上がってから。高校生になるまでは親や友だちにも言えず、喋る前にタメを作ったり、どもりにくい言葉選びをしたりしていた、と語っています。迷いを解いたのは自分の決断ではなく、オーディションの審査員からの助言でした。吃音のことを歌詞に入れたほうが絶対にいい、と言われたのだといいます。親に打ち明けたのは、高校生のラップの大会に出場するタイミングが初めてでした。伝えるかどうかは、その人の性格の問題というより、条件と場面の問題として現れています。
出典: ラップがあったから僕は「本音」を叫べた。吃音症のラッパー・達磨の人生を変えた「歌のチカラ」(Singing 歌いながらいこう)(台帳: V0134)
前の節で紹介した実験は、伝えることを勧める結論で終わってはいますが、そのうえで限界も明記しています。吃音の重さを変えた条件を置いていないこと、評定に使った尺度の形式や動画の長さの制約があること、そして伝えることがすべての場面・すべての人にとって有益とは限らず、使うかどうかの判断も、その結果として本人の内側と外側に起きることも、人によって変わりうるということです。
もう一つ、同じ研究グループが見つけている偏りがあります。女性の話し手は男性の話し手より、よそよそしい・知的でない・自信がないと選ばれやすく、観察者は動画を見ているあいだ気が散ったと答える傾向がありました。同じように伝えても、受け取られ方は話し手が誰かによって動くという報告です。「伝えればうまくいく」という一本の筋ではなく、条件つきの技法として扱われているのが、研究の側の書き方です。
2022年のレビューも、自分に吃音があると伝えることを、本人の反応をやわらげる取り組みの一つとして挙げているだけで、全員がやるべき手順としては書いていません。同じレビューは、一人ひとりが吃音をどう経験しているかを理解することから始めるべきだと述べています。実在の人物が公表することの効き方については、吃音の有名人の記事でも扱っています。
「つらい経験をしたから、人の気持ちが分かる」のか
当事者が描いたものが人の心に届くとき、その理由を「苦労した人だから、人の気持ちが分かるのだろう」と説明したくなることがあります。ここは、手元の研究がきれいに支持してくれない場所です。
ギレスン大学医学部などの研究チームが2026年に報告した研究は、学齢の子ども80人(吃音のある子41人・吃音のない子39人)を、感情を立て直す力のチェックリスト、共感の指標、目もとの表情から相手の気持ちを読み取る検査の子ども版で比べました。結果は、吃音のある子のほうが感情の調整の難しさが大きく、共感の指標が低く、相手の気持ちを読み取る検査の成績も低い、というものでした。注意が別にある子(ADHD)を除いて計算し直しても、主な結果は変わりませんでした。
この研究でもう一つ大事なのは、これらの成績が吃音の重さとは関係していなかったことです。話し方が重く見えるかどうかで、感情や対人面の難しさを見積もることはできない、ということになります。著者らは、こうした難しさが話し方の重さとは別に生じているのだから、発話の流暢さと並べて、感情の調整と社会的な認知にも手当てする評価と支援が要る、と結論しています。
この結果を、目の前の一人に当てはめて読まないでください。対象はトルコの学齢の子ども80人で、ある時点で測った比較です。大人には当てはめられませんし、平均の差は「その子がこうだ」という話ではありません。言えるのは、「吃音があるから人の気持ちが分かるようになる」という筋道も、その逆の決めつけも、この研究からは出てこないということです。作品が誰かに届く理由は、経験の量ではなく、その人が何をどう書いたかの側にあります。
自分や家族のことが気になったときの相談先
ここまで読んで、自分や身近な人のことが気になった場合の行き先を挙げておきます。学会の解説は、子どもについては、楽に話しやすくなるように周囲のコミュニケーション環境を整える方法(環境調整)や、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法などを年齢や状態に合わせて行うとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談しましょうと書いています。
中高生以上・成人については、本人が吃音の治療を希望する場合、言語聴覚士による発話訓練を受けるという選択肢があるとしています。発話訓練だけで症状が改善しない場合や、吃音に対する不安が強い場合は、カウンセリングや心理療法が役立つこともある、とも書かれています。
それとは別の道として、自助団体があります。学会の解説は、吃音の自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもある、と述べています。団体によって目的も規模も異なりますが、吃音のある当事者が「吃音があるのは自分だけではない」と認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことが概ね活動の中心だとされ、1965年に発足した「言友会」が日本で最も歴史が古い団体として、若者を対象とした団体や女性の集いを開催する団体とともに挙げられています。
次のようなときは、作品や記事を読んで終わりにせず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 発表・面接・電話など、特定の場面を避け始めている
- 言いにくい言葉を言い換えて切り抜けるのが常になり、いつも警戒している感じがある
- 子どもが話し方をからかわれたと言っている、または話すこと自体を減らしている
この3つは、相談を考えるきっかけとして一般的に挙げられるもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。学校や職場での配慮の求め方は、学会の解説に根拠法とともに整理されています。
この話題で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 作品の中の人物に病名を当てて、それで分かった気になる
作者本人が自分の経験を語っていることと、作中の人物がどういう状態なのかは、別の話です。読者が見ているのは作り手が選んだ描写であって、診断ではありません。現実の側では、話しにくさに伴う困りごとは、外から見える話し方の重さとは別に生じていることが報告されています。作品の描写と現実のずれについては漫画・アニメの吃音と実際の記事に、描かれ方が当事者の扱われ方に返ってくる話はアニメ・漫画の吃音の記事にまとめています。
落とし穴2 − 「表現で乗り越えた人」の物語を、自分や誰かの物差しにする
作品にすることで楽になった、という語りは、その人がそう語ったという事実であって、手順ではありません。臨床の側も、自分に吃音があると伝えることを、本人の反応をやわらげる取り組みの一例として挙げているだけです。伝えることを比べた実験さえ、すべての場面・すべての人に有益とは限らないと明記しています。誰かの経路を自分の宿題にしないでください。
落とし穴3 − 「伝えれば必ずうまくいく」と考える
説明として伝えた話し手が、謝るように伝えた話し手や何も言わなかった話し手より肯定的に評価された、というのは確かに報告されています。しかし同じ研究は、女性の話し手が男性の話し手より否定的に選ばれやすいという偏りも見つけています。伝えるかどうかは、場面と相手と自分の状態で決めてよい選択で、決めるための材料を持っておくことのほうが役に立ちます。どんな場面で話しにくかったか、そのとき何をしたかを書き留めておくと、相談のときに話が早くなります。まずは記録から始め、言語聴覚士やことばの教室に相談できる場合はそちらが確実です。
よくある質問
押見修造さんは、自分に吃音があると公表しているのですか?
映画公開時のインタビューで、自分も作品のヒロインと同じように自分の名前がうまく言えないこと、友人には分かっていたと思うこと、自分は笑いに変えて乗り切っていたところがあること、漫画の形にすることでようやく吐き出せたような気がすることを、本人が語っています。この記事で引いているのは、その公開インタビューの言葉だけです。重さや現在の状態については、本人が語っていないため書いていません。
自分の経験を作品にすると、吃音が楽になるのですか?
そう言える根拠は、この記事の出典の中にはありません。押見さんが「漫画の形にすることでようやく吐き出せたような気がします」と語っているのは、本人の実感として語られたものです。臨床の側では、詰まる感覚への本人の反応や、周囲の環境、生活上の制約も扱うべきだと論じられ、その取り組みの例としてマインドフルネスや脱感作、自分に吃音があると伝えること、必要な配慮を自分で求めることが挙げられています。
面接や職場で、自分から吃音があると伝えたほうがいいのでしょうか?
伝え方によって印象が変わるという実験があります。面接の冒頭で説明として伝えた話し手は、謝るように伝えた話し手や何も言わなかった話し手より、友好的・自信があると評価されました。別の実験でも、伝えた話し手のほうが友好的・外向的・自信があると選ばれやすいと報告されています。ただし原典自身が、すべての場面・すべての人に有益とは限らないと書いています。学校や職場では、発表や電話応対の免除などの配慮を求めることもできます。
吃音があると、人の気持ちに敏感になるのですか?
手元の研究はそうなっていません。学齢の子ども80人を比べた研究では、吃音のある子のほうが感情を立て直す力・共感・相手の気持ちを読み取る検査の成績が低いと報告されています。しかもそれは吃音の重さとは関係していませんでした。対象はトルコの学齢の子どもで、ある時点で測った比較です。一人ひとりに当てはめて読むものではありませんが、「経験したから分かるようになる」という説明の根拠にはなりません。
大人になってからでも、相談する場所はありますか?
あります。学会の解説は、本人が治療を希望する場合に言語聴覚士による発話訓練という選択肢があるとし、発話訓練だけで改善しない場合や不安が強い場合はカウンセリングや心理療法が役立つこともあるとしています。また、自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった変化のきっかけになることもあると述べています。
まとめ
- 押見修造さんについて確かなのは、本人が公開インタビューで語った範囲——自分も名前がうまく言えないこと、笑いに変えて乗り切っていたこと、漫画の形にすることでようやく吐き出せたような気がすること——まで。それ以上の推測はこの記事では書かない。
- 思春期以降は難発が中心になり、失敗体験が重なると会話や社交を避けるようになる。言い換えで隠すと目立たなくなる代わりに、日々警戒しながら生活することになる。
- 面接の冒頭で説明として吃音を伝えた話し手は、謝るように伝えた話し手や何も言わなかった話し手より、友好的・自信があると評価された。ただし原典は、すべての場面・すべての人に有益とは限らないと明記している。
- 学齢の子ども80人の比較では、感情を立て直す力・共感・相手の気持ちを読み取る力のいずれも吃音のある子で低く、それは吃音の重さと関係していなかった。「経験したから分かるようになる」とも、その逆とも言えない。
- 相談先は、子どもなら小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員、中高生以上・成人なら言語聴覚士による発話訓練やカウンセリング。自助団体という道もある。