まず結論から
- KANTAさんは公開インタビューで、小学4年生のころに軽症の吃音症になったこと、音読や発表が苦手になったこと、自己紹介で症状が出てオーディションに落ちたことがあることを、自分の言葉で書いています。
- 同じインタビューで、落ち続けるうちに自分自身を嫌いになったこと、そのときに救われたのが音楽だったこと、そして夢は「希望になれるアーティストになりたい」ことだと述べています。
- 10代は、吃音が「ときどき起きること」から「自分は何者かという感覚(アイデンティティ)の一部」へ変わっていく時期だと、13〜17歳の3人に聞き取りをした研究が報告しています。
- その研究は、同じように吃音のある手本になる人がいないことが、吃音を前向きに受け止めにくくする要因のひとつだと述べています。
- 本人が感じるつらさは、どれだけ目に見えてどもるかだけでは決まりません。9〜14歳の306人を調べた研究では、生まれつきの感じ方のくせ(気質)や、不安・落ち込みの強さのほうが大きく関わっていました。
ただし、ここで書けるのは本人が公にした範囲と、研究が大勢をまとめて述べたことまでです。一人の人の症状の重さ・今の状態・これからの見通しを、この記事から読み取ることはできません。
KANTAさんが、吃音について書いたこと
まず、本人が書いたことだけを確認します。2025年9月に公開されたインタビューで、KANTAさんは2008年5月21日生まれ・東京都出身と紹介されています。
吃音について本人が書いているのは、始まった時期と、そのあと何が苦手になったかです。小学4年生のときに軽症の吃音症になり、そこからは授業の中での音読や、クラスの人に何かを発表することといった、人前で話すことが苦手で嫌いになったと述べています。ダンスの場面でも、先生に何かを伝えるときや初対面の人と話すときに症状が出ることがあった、とも書いています。
次に、10代に入ってからのことです。中学1年生からいろいろなオーディションを受け始めるなかで、自己紹介をするときに吃音症が出ることがあり、それが理由で落ちることもあった。落ちていくうちに自分自身を嫌いになり、ものごとを否定的に考えるようになって、ダンス以外ではあまり人前に出なくなった——本人はそう振り返っています。これまでで一番悔しかった瞬間を問われた欄にも、「吃音症が理由でオーディションなどに受からなかったこと」と書かれています。
そのうえで、救いになったものとして挙げているのが音楽です。音楽を聴いているときやダンスをしているときは唯一自分を認めることができ、楽しい時間だったと述べています。将来の夢を問われた欄では、自分と同じ境遇の人や「好きだけどできない」という悩みを持つ人が、何かを踏み出すきっかけになるパフォーマンスをできるアーティストになること、と答えています。
ここに書いたのは、この公開インタビューに本人の言葉として載っている範囲だけです。症状の程度・現在の状態・治療や訓練の有無については本人が述べておらず、この記事でも書きません。
その日まで「吃音」という言葉を知らなかった、という人がいる
人前で話す立場の人が吃音を話したとき、いちばん強く反応するのは、必ずしも同じ当事者とは限りません。自分の子どもに同じことが起きていて、それに名前があることを、その日まで知らなかった人がいます。
2歳で吃音が出た息子がいる母の声(30代・5歳と3歳の子を育てる個人ブログ)
私自身も息子にこんな症状が出るまで正直吃音症のことを知りませんでした。
その特性を持って、こんなに人の目に触れるオーディションに参加していること、とっっっても勇気があることだと思うし、こっちまで本当に勇気をもらいました。
2歳で吃音が出た息子と、ことばの教室に相談した娘を育てている母親が、配信の第2話を見た日の夜にこう書いています。番組の感想として始まったブログですが、途中から主語が息子に移り、最後は息子もきっと大丈夫だ、という言葉で締めくくられています。画面の向こうの10代を見て、自分の子の10年後を想像した——そういう読み方をした人が、他にもいたことが記録から分かります。実際この母親は、動画のコメント欄に「自分も吃音です」「子どもが吃音です」という書き込みが多数並んでいたこと、それを見て「仲間はたくさんいるんだと思えた」ことを、同じ記事に書き残しています。手本になる人がいるかどうかは、研究の側でも小さな話ではありません。
出典: 【息子と重なる】吃音症でも夢を叶える姿に涙。【THE LAST PIECE】(ママLv.5、クッパJr.と戦ってます)(台帳: V0545)
13歳から17歳の吃音のある3人に、じっくり話を聞き取った研究があります。この研究は、吃音を前向きに受け止められるようになるかどうかに影響するものとして、同じように吃音のある手本になる人がいないこと、吃音にまつわる否定的な感情、そして人とのやりとりでの嫌な経験の3つを挙げています。研究が実際に聞き取って整理した結果でも、10代の時期には否定的な経験のほうが優勢になりやすいとされています。
一方で、同じ研究は、参加した3人の全員が吃音にまつわる前向きな経験も持っていたことを報告しています。具体的には、自分を偽らずにいられる感覚と、他の人とのつながりです。3人とも、吃音は自分という人間の大事な一部だと感じていました。
そして、子どもの吃音は親の育て方のせいで起きるものではありません。日本のガイドラインは、近年の研究の結果として、吃音が始まる原因の大半は遺伝によるもので、育て方が悪いから吃音を発症するという説は否定されていると明記しています。それでも、自分の育て方が悪かったのかもしれないという罪の意識を抱く母親がいまだに多い、とも書いています。
名前が出てこない、あの数秒に何が起きているか
吃音を知らない人から見ると、言葉が出ない数秒は「黙っている時間」に見えます。けれど、その数秒のあいだに本人の中で何が起きているかを、自分の記憶から書いた人がいます。
50代女性の声(自身に吃音があった当事者・個人ブログ)
授業中に指名されて答えたり、音読する前の最初の一音が出るまでのあの空白の、無言の時間、、、クラスメイトの視線やざわつきを感じながら、嫌だったー、緊張したー、焦ったー、私には恐怖と恥をシャワーのように浴びる時間でした。
今思うと、1人でホント踏ん張ってよくやってきたよね。
番組で自分の名前がなかなか出てこない場面を見て、自分の学校時代を思い出したという50代の女性の記録です。書かれているのは、教室で指名されてから最初の一音が出るまでの時間の長さと、そのあいだに浴びていたものの名前——恐怖と恥です。そして、その時間を短くしたのではなく、そのまま黙って待った教師がいたこと、周りの視線をそらしてくれたと感じたことが、恐怖が和らいだ時期として書き残されています。本人が受けている負担は、外から見える詰まり方の大きさとは別のところにもある——このことは、研究の側でも数字で確かめられています。
出典: 【吃音】自分の名前が言えない心の痛み(生き方こじらせ歴50年の私が自分と仲良くなっていく日々♬)(台帳: V0546)
吃音のある9歳から14歳の子ども306人を対象に、本人が感じている吃音の影響の大きさが何で説明できるかを調べた研究があります。調べたのは、目に見える吃音の重さ、生まれつきの感じ方や反応のくせ(気質)、不安と落ち込みの強さ、年齢、性別です。
結果として、外から分かる吃音の重さも本人が感じる影響と関係していましたが、その関わり方は小さいものでした。それよりはっきり関わっていたのは気質のほうで、人に近づいていく傾向が強い子ほど影響を小さく感じ、いらだちや悲しみを抱えやすい子ほど大きく感じていました。不安や落ち込みの強さも、独立して影響の大きさと結びついていました。性別は関係していませんでした。
この研究は、目に見える吃音の重さが影響の大きさと無関係だと言っているわけではありません。原典は、この年齢の子どもたちの中でも受け止め方はばらばらで、ある子にとっては外から分かる吃音の重さとほとんど関係なく、別の子にとってはいくらか関係している、という書き方をしています。裏を返せば、「あまりどもっていないように見えるから大丈夫」という判断は、この研究の結果とは合いません。
言えないと思っていた場面を、引き受けてしまった10代
人前に立つ場面は、覚悟してから来るとは限りません。断る言葉を用意できないまま、流れで引き受けてしまうこともあります。
当事者の声(高校で吹奏楽部の部長を務めたayanoさん・NPO法人日本吃音協会の体験談メディア)
「えー無理やー! セリフ、絶対すらすら言えへんもんー!!」
と、本音を叫びたかったのですが、当時は吃音について誰にも話したことがなかったので、流れを変えられずに引き受けることになりました。
演奏会に向けて、皆で創り上げていく毎日は、わくわくと共に誰にも言えないドキドキを抱えていました。
高校の吹奏楽部が毎年開いていた演奏会で、慣例のミュージカルの準主役が回ってきたときのことです。当時この人は、吃音について誰にも話していませんでした。断る理由を口にできないまま半年の練習に入り、本番の日には、立ち見が出るほど満席の市民会館で、1,000人の前でセリフを言い、演技をして、歌まで歌ったと本人は書いています。本人が振り返ってその理由に挙げているのは、勢い、部員に対する安心感と信頼感、そしてうまくいっているイメージを重ねていたことの3つでした。10代のこうした経験が、吃音を自分の中にどう位置づけるかに関わってくることは、聞き取りの研究も指摘しています。
出典: 絶対ムリ!を変えた、吃音者が人前で話せるようになる3ヶ条(HAPPY FOX/NPO法人日本吃音協会)(台帳: V0140)
13〜17歳の3人に聞き取った研究は、この年代の自己像について「未完成で、あいまいで、定まっていない」と表現しています。吃音は自分の一部だと感じてはいるものの、それが自分にとって良いものなのか悪いものなのかは、まだ決まっていない——そういう状態が報告されています。
だからこそ、この研究は最後に、この年代が吃音にまつわる意味のある経験に出会えるよう手助けすることが、臨床の場で重要だと述べています。手助けというのは、話し方を変えることだけを指していません。前向きな経験として研究が挙げているのは、自分を偽らずにいられることと、人とつながれることでした。
なお、この人が「引き受けたら話せるようになった」と書いているわけではありません。本文の最後では、「吃音を気にしないで!」と人に言うことは自分にはできない、自分が吃音を気にしないでいられたことがないから、とはっきり断ったうえで、好きなことに打ち込んでみてほしいと読者に呼びかけています。
10代の吃音について、分かっていることと分かっていないこと
ここまで研究を並べてきましたが、この年代については、正直に「まだ分かっていない」と書かなければならない部分があります。
子どもと10代への吃音の支援について、決めた手順で世界中の研究を集め、まとめて評価した調べがあります。この調べは、解析に入った試験がすべて就学前の子どもを対象にしたものだったと報告しています。より年長の学齢期の子どもや10代を対象に、参加者をくじ引きのように割り振って比べた試験は1件も見つからず、この年齢層についての根拠の水準は「乏しい」と評価されました。同じ調べは今後の研究への提言の筆頭に、学齢期の子どもと10代への支援を挙げています。
先行研究にもとづく記述としては、学齢期になると支援は扱いにくくなり、いったん良くなっても戻りやすいこと、そして学齢期を通じて年齢が上がるにつれ、支援の重心が「吃音をなくすこと」から「吃音を最小にして付き合っていくこと」へ移っていくことが、この調べの背景の節に書かれています。日本のガイドラインも、幼児期は治療の有効率が比較的高い一方、学齢期になると治療の有効性が低くなりがちで、吃音のために学習や学校生活の困難も生じやすくなる、と述べています。
つまり、10代になってから何もできないという意味ではなく、この年代に何がどれだけ効くのかを確かめた研究が、まだ足りていないということです。先ほどの306人の研究も、調べた要素の全部を合わせても、本人が感じる影響の4割ほどしか説明できていないと述べ、家族の支え・友だちの態度・学校の雰囲気といった、今回測っていない要素の存在を挙げています。
どこに相談できるか
「うちの子も同じかもしれない」「自分も同じだった」と思ったときに、相談できる先はあります。日本のガイドラインは、相談・治療の場として、吃音の治療経験がある言語聴覚士のいる病院やクリニック、自治体の(小児)リハビリテーションセンター、大学教育学部に付属する発達や言語の相談室を挙げています。地域の児童発達支援センターには言語聴覚士が在籍していることが多く、吃音の相談窓口になっているとも書かれています。就学後については、小学校の通級指導教室である「ことばの教室」などが指導にあたるとされています。
近くの「ことばの教室」がどの小学校にあるか、幼児の相談に対応しているかは、地元の小学校か各地域の教育委員会に問い合わせるとよい、というのが同じガイドラインの案内です。また、相談に対応している機関の多くは治療には対応できないことも多い、という注意も書かれています。
このガイドラインは幼児期を対象に作られたもので、中学生・高校生の年代をそのまま扱ってはいません。10代の場合は、学校の特別支援教育コーディネーターや、これまで関わったことのある言語聴覚士に、まず窓口を尋ねるのが現実的です。
相談に行くときに役に立つのは、「どんな場面で言葉が出にくいか」「そのとき自分は何を避けているか」を書き留めたものです。先ほどの306人の研究が示しているのは、本人が感じている負担が、外から見える詰まり方だけでは分からないということでした。見えにくい部分は、本人の記録からしか伝わりません。
「この人にできたのだから」で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 公表した人と、目の前の人を同じ地点に置く
公にされた言葉は、その人が今いる地点から振り返って書かれたものです。KANTAさん自身、落ち続けるうちに自分を嫌いになり、ダンス以外では人前に出なくなった時期があったと書いています。同じ年代の誰かが今その途中にいるとき、「あの人はできたのに」という比べ方は、手本の役割を励ましから重しに変えてしまいます。手本になる人の存在は、前向きな受け止めを支える要因として研究が挙げているものですが、それは「同じようにやれ」という意味ではありません。
落とし穴2 − 話せている=乗り越えた、と読む
吃音は日や場面によって出方が変わります。ある場面で言葉が出ていたことは、他の場面でも同じだという保証にはなりません。306人を調べた研究が示したのは、本人が感じる負担が、目に見える吃音の重さだけでは決まらないということでした。むしろ不安や落ち込みの強さのほうが、独立して負担の大きさと結びついていました。
落とし穴3 − 「軽そうだから様子を見る」で止まる
日本のガイドラインは、どの子が将来治るのかを確実に判定する方法はないので、吃音がある子どもにはすべて何らかの対応(経過観察だけを含む)をする必要がある、と書いています。様子を見ること自体は対応の一つですが、何も伝えずに放っておくこととは違います。同じガイドラインは、親が子の吃音に気づかないふりをしていると、子どもが「吃音はタブーだ」と感じ取り、吃音について親に相談できなくなって心理的に孤立する、とも述べています。
まずは気づいたことを書き留めておくことから小さく始め、言語聴覚士やことばの教室に相談できる場合はそちらが確実です。
よくある質問
ラストピースのKANTAさんは、吃音について何と言っていますか?
公開インタビューで、小学4年生のときに軽症の吃音症になり、授業の音読や発表など人前で話すことが苦手で嫌いになったと書いています。中学1年生からオーディションを受け始めるなかで自己紹介のときに症状が出ることがあり、それが理由で落ちることもあった、落ちていくうちに自分自身を嫌いになったとも述べています。救いになったのは音楽で、音楽を聴いているときやダンスをしているときは唯一自分を認めることができた、と書いています。
吃音があると、オーディションや面接では不利になりますか?
一般にどうかを示した数字は、この記事の出典の中にはありません。本人の記述としては、自己紹介のときに症状が出て、それが理由で受からなかったことがある、と書かれています。13〜17歳に聞き取った研究は、人とのやりとりでの否定的な経験が、吃音を前向きに受け止めにくくする要因のひとつだとしています。
10代で吃音を公表するのは、良いことなのでしょうか?
公表そのものの効果を測った数字は、この記事の出典にはありません。言えるのは、13〜17歳の3人に聞き取った研究が、この年代の自己像は「未完成で、あいまいで、定まっていない」状態にあると報告していること、そして3人とも、自分を偽らずにいられる感覚や人とのつながりという前向きな経験を持っていたことです。同じ研究は、この年代が吃音にまつわる意味のある経験に出会えるよう手助けすることが臨床の場で重要だと述べています。
どれくらいどもるかで、本人のつらさは決まりますか?
決まりません。9歳から14歳の306人を調べた研究では、外から分かる吃音の重さも本人の感じる影響と関係していましたが、その関わりは小さく、生まれつきの感じ方のくせ(気質)や、不安・落ち込みの強さのほうがはっきり結びついていました。性別は関係していませんでした。
10代の吃音は、どこに相談すればいいですか?
日本のガイドラインは、吃音の治療経験がある言語聴覚士のいる病院やクリニック、自治体の(小児)リハビリテーションセンター、大学教育学部に付属する相談室などを挙げ、就学後は小学校の通級指導教室である「ことばの教室」などが指導にあたるとしています。ただしこのガイドラインは幼児期を対象に作られたもので、中学生・高校生の年代をそのまま扱ってはいません。学校の特別支援教育コーディネーターに窓口を尋ねるのも一つの方法です。
まとめ
- KANTAさんが公開インタビューで書いたのは、小学4年生のころに軽症の吃音症になったこと、音読や発表が苦手になったこと、自己紹介で症状が出てオーディションに落ちたことがあること、落ち続けるうちに自分を嫌いになったこと、音楽に救われたこと、そして希望になれるアーティストになりたいという夢だ。
- 10代は、吃音が自分は何者かという感覚の一部へ変わっていく時期で、手本になる人がいないことが前向きな受け止めを難しくすると報告されている。同じ研究は、自分を偽らずにいられる感覚と人とのつながりという前向きな経験も記録している。
- 本人が感じる負担は、目に見える詰まり方だけでは決まらない。9〜14歳の306人の研究では、気質と不安・落ち込みの強さのほうがはっきり関わっていた。
- 学齢期・10代への支援は、参加者を割り振って比べた試験が1件も見つかっておらず、根拠の水準は「乏しい」と評価されている。何もできないという意味ではなく、確かめた研究が足りていないということ。
- 相談先としては、言語聴覚士のいる病院やクリニック、自治体のリハビリテーションセンター、大学付属の相談室、就学後は「ことばの教室」が挙げられている。軽そうに見えても、何も伝えずに放っておくことは勧められていない。