まず結論から
- 平野レミさんは、2024年2月にNHK総合で放送されたドキュメンタリー番組で、父から「もっとどもれ」「どもりはかわいいから」と言われ、直せとは言われなかったと振り返っています。
- 吃音のある子どもの保護者が、吃音を子どもや周囲と率直に話題にすることについて、14件の文献をまとめたレビューがあります。率直に話せる家庭では、子どもが自分の気持ちを言葉にしやすくなり、話し方にまつわる恥ずかしさを抱え込みにくくなると報告されています。
- 逆に、家庭で吃音が話題にならない状態が続くと、子どもは吃音を「触れてはいけないこと」「悪いこと」と受け取ることがあるとされています。
- 当事者が挙げる「こう話してほしい」には、評価を含まない言葉を使う、時間を十分に取る、話し方ではなく話の中身に注目する、といったものが並びます。
- 大人が自分から「私は吃音があります」と伝えた場合、聞き手はその人をより友好的・外向的・自信があると受け取りやすくなると報告されています。
ただし、これは「肯定する言葉を掛ければ吃音が軽くなる」という意味ではありません。レビュー自身が、保護者と子どもがどう話し合っているかについての研究は限られていて、さらに踏み込んだ調査が要ると結論づけています。話し方への向き合い方は家庭ごとに違ってよく、率直に話すこと自体が苦手な保護者も少なくないとされています。
平野レミさんが番組で語った、父の「もっとどもれ」
料理愛好家の平野レミさんを追ったドキュメンタリー「だから、私は平野レミ」が、2024年2月12日にNHK総合で放送されました。番組で家族への思いを語る場面があり、その内容を伝えた記事に、父から掛けられた言葉が本人の言葉で残っています。
父の平野威馬雄さんは、ファーブルやモーパッサンの翻訳で知られる仏文学者で、詩人でもありました。1986年に亡くなるまで50年にわたって日記を書き続けており、15歳のレミさんについて「ほんとにレミという子は変わっているけれど 気持ちのいい子どもである」と書き残していたと紹介されています。
(お父さんは)レミは面白い、面白いと言ってた。だって、どもるでしょ、私。『もっとどもれ、もっとどもれ』って言ってね。『どもりはかわいいから』って。(吃音を)直せなんて言わない
記事は、レミさんが涙ぐみそうになりながらこう振り返ったと伝えています。また高校2年の冬に学校を飛び出したときも、父は理由を聞かずに「やめろ」と言い、代わりに「好きなことを徹底的にやれ」と伝えたと紹介されています。ここで確かめておきたいのは、掛けられたのが「直せ」ではなく「そのままでいい」という側の言葉だった、という一点です。では、家庭で吃音がどう扱われるかは、子どもに何を残すのでしょうか。
家では気にしていないように見えた子が、外で話していたこと
子どもが家で吃音の話をしないとき、保護者はそれを「気にしていない」と受け取ることがあります。触れないほうがいいのだろう、と判断する材料にもなります。ところが、同じ子どもが別の場所では自分の話し方について語っていた、ということが起こります。
吃音のある子どもの保護者(島根スタタリングフォーラムの親の話し合いでの発言・匿名)
子どもは、家で見ている限り、どもりのことを気にしている様子はなかったけれど、4年生の話し合いの中で、自分のどもりについて話していたと聞きました。「どもりのことを考えると、ゴミ箱がいっぱいになりそう」という表現をしていたらしいのです。子どもなりにどもりのことを考えているのだということが分かり、うれしい。
吃音のある子どもとその家族が集まる集いで、親どうしが順に近況を話す場面での発言です。家庭では話題に上らなかったことが、同じ立場の子どもが集まる場では言葉になっていた——しかも「ゴミ箱がいっぱいになりそう」という、その子自身の言い方で。話していないことと、考えていないことは別だった、と母親は受け取っています。この食い違いは、研究の側でも報告されています。
出典: 第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い 3(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0115)
吃音のある子どもの保護者が吃音をどう話題にしているかについて、世界の研究を集めて見取り図を作った文献レビューがあります。5大陸12か国から14件の文献を集めたもので、集めた文献には参加者が合計1,035人含まれていました。
そのレビューによれば、吃音のある子どもたちは、孤立感・恥ずかしさ・申し訳なさ・もどかしさといった気持ちを率直に話したいという思いを表明する一方で、家族やきょうだいとはほとんどそうした話をしていないと報告していました。話し合いがある家庭のほうが助けになる、と子ども自身が述べた研究も含まれています。
反対に、率直な話し合いが無い状態が続くと、子どもは吃音を「触れてはいけないこと」あるいは「間違ったこと」と受け取るようになり、恥ずかしさや気まずさが生まれて、吃音を隠すほうへ押しやられることがあるとされています。話題にしないという選び方は、「何も伝えない」ことではなく、「触れてはいけない話題だ」という合図として届いてしまうことがある、という指摘です。
「少しつまったけどいいじゃん」——掛けられた言葉が残るということ
吃音をめぐる言葉は、責める形でも、励ます形でも記憶に残ります。ここでは、教室で掛けられたひとことが、その後の本人の行動を変えた場面を見ます。
吃音のある小学生の母親(日本吃音臨床研究会に寄せられた手記)
4年生になった娘を待ち受けていたのは、恐怖の自己紹介だ。予想通りうまく言えなかったらしい。ところが、隣の席の男の子に、「少しつまったけどいいじゃん」と、今まで言われた事のない言葉をかけられたのだ。その後も彼は、「すごく緊張してつまったけどまあいいじゃん」など、さりげなく言葉をかけてくれた。うれしさのあまり、それらのことを娘は日記に書いている。
前の学年では、娘さんの話し方を真似て笑う子が出て、教室で泣いた日がありました。担任がその場でクラスに説明したものの、自己紹介も発表も本読みもできなくなっていた——そのあとに置かれたのが、この隣席の男の子のひとことでした。母親は「今まで言われた事のない言葉」と書いています。注目してほしいのは、この言葉が詰まったことを無かったことにしていない点です。つまったと認めたうえで「いいじゃん」と続いている。この順序は、当事者が挙げる「こう話してほしい」の中身とよく重なります。
出典: どもりに向き合える自分になりたい—ゆうちゃんを支えた人 2—(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0423)
レビューがまとめた「効果的な話し方」として当事者が挙げていたのは、次のようなものでした。良し悪しの評価を含まない言葉を使うこと、単純で回りくどくない言い方をすること、辛抱強く・自然に・思いやりをもって、そして率直に、受け止める姿勢を保ったまま話すこと。決めつけを避けること、一人称の言葉で話すこと、話すのに十分な時間を取ること、そして話し方ではなく会話の中身に注目することです。
逆に、当事者が居心地の悪さを覚えると挙げていたのは、吃音を小さなことのように扱われること、頼んでいない助言をされること、そして話の中身よりもなめらかに話せたかどうかを優先されることでした。「いいじゃん」という返し方が効いたのは、つまったことを小さく扱いもせず、助言にも変えず、話の続きへ戻したからだと読めます。
良かれと思って言った言葉が、重さになることもある
とはいえ、掛ける言葉を選ぶのは簡単ではありません。落ち着かせようとした言葉が、本人には別の意味で届いていた、という振り返りがあります。
吃音のある当事者(言語聴覚士の養成校で学ぶ学生・note の手記)
当時の私はこれが吃音とは認識しておらず、ただ、舌や喉に変な力が入っていると感じていたり、かみやすい時は漠然と舌が大きく感じるなど疲れるなあと思う程度でした。しかし、母親から「ゆっくり話しなさい」「落ち着いて話せばいいから」と言われると、それがとてもプレッシャーになっていました。
小学校に入り、その日の出来事を母親に話そうとすると必ず言葉が詰まった時期を、本人が振り返っています。本人の自覚は「舌や喉に力が入る」「疲れる」という体の感覚にとどまっていて、それを直すべきものだとは思っていませんでした。掛けられた言葉がその感覚に名前を与えるより先に、負担として残ったことになります。なお本人は同じ手記で、言語聴覚士を志すまで吃音が言語聴覚療法の対象だと知らなかったとも書いています。声の掛け方をめぐっては、研究の側にも確かめられていることと確かめられていないことがあります。
出典: 言語聴覚士志望、吃音あり(note)(台帳: V0172)
「ゆっくり話す」「返事までの間をとる」は、吃音のある子どもの保護者に長く勧められてきた関わり方です。この二つを、助言を受ける前に録音された親子の会話にさかのぼって検証した研究があります。持続した子ども13人・のちに回復した子ども28人・吃音のない子ども21人の、助言前の録音を解析したものです。
結果は、話す速さにも返事までの間にも、グループ間の意味のある差は出ませんでした。話す速さや返事までの間と、子どもの流暢さとの関係も検出されませんでした。むしろ大きかったのはその親子ごとのリズムの違いで、親子の組それぞれが固有のテンポを持っていて、グループとしての差はかなり小さかったと報告されています。
ただし、これを「その助言は無意味だと分かった」と読むのは行き過ぎです。著者ら自身が、今回の所見は間接的な関わり方が効かないという結論を支持するものではなく、効くという結論を支持しないだけだと明言しています。そして、この研究が再現されることが決定的に重要だとしています。掛ける言葉の一つ一つが結果を左右するという前提ほどには、根拠は強くない——いま言えるのはそこまでです。
そのうえで著者らは、保護者が良い結果に関わる力を失ったと受け取ってほしくはないとも書いています。多くの子どもの状態では、専門家の指導のもとでの保護者の関与が、状態の管理と良い結果にとって決定的に重要であり、それは結果を「治す」ことや症状をすべて無くすことと定義できない場合にとくに当てはまるとされています。喘息から糖尿病、関節リウマチまで、この点を示す文献は豊富だと述べられています。行動面と気持ちの面の課題を親子で一緒に解きほぐしていくことの利点も、さまざまな慢性の状態で記録されているとしています。
ちなみに、いまの専門家が「保護者の考えや行動が吃音を発症させる」と考えているわけではありません。この研究の著者らも、そう信じている治療者や研究者はほとんどいないと明言しています。金沢大学が運営する吃音ポータルサイトも、保護者の接し方のまずさが原因で吃音が生じるわけでは決してないと明記しています。
隠すのをやめる、という選び方
家庭で吃音を話題にできるかどうかは、やがて本人が外で自分の吃音をどう扱うかにつながっていきます。長く隠してきた人が、途中でその方針を変えることがあります。
吃音のある当事者(個人ブログ「私はずっと吃音症」の書き手)
私は人と話をするとき、話が伝わるようにできるだけスムーズに話すことを心掛けていますが、話しにくい言葉はどうにもならないので、最近は無理して吃音を隠すことをやめました。どもる時は相手が引くくらい酷くどもることもありますが、そこは開き直ってあえてどもる自分を見せています。
学校の参観日に教師から話し方を真似され、30年以上たっても忘れられないと書いている人です。同じ書き手が、年齢を重ねるなかで隠すことをやめた、と続けています。見た目で分からないために障害だと伝わらず、だから理解も広がらない——その循環を、自分の話し方を見せることで少し動かそうとしている、という順序です。自分から吃音を伝えることについては、成人を対象にした実験が行われています。
出典: 吃音症の客をバカにしたスタバ店員が解雇された出来事に思うこと(私はずっと吃音症)(台帳: V0458)
自分から「私には吃音があります」と伝えることを、研究では自己開示と呼びます。面接の場面を撮影した動画を見てもらい、冒頭に「始める前に、私は吃音があることをお伝えしておきます」と説明する場合、「うまく話せず申し訳ありません」と謝る場合、何も言わない場合の三つで、見た人の受け取り方を比べた実験があります。
説明する言い方をした話し手は、謝る言い方をした場合よりも、また何も言わなかった場合よりも、友好的だと評価されやすくなりました。自信があるという評価は差がいちばん大きく、説明する言い方は謝る言い方より、そして何も言わない場合より高く評価されました。著者らは、説明する言い方のほうが、伝えないことを選ぶよりも聞き手の受け取り方が肯定的になると述べています。別の実験でも、自分から吃音を伝えた話し手のほうが、友好的・外向的・自信があると選ばれやすかったと報告されています。自己開示は、聞き手の受け取り方に良い方向で働きうる手立てだとまとめられています。
これは面接という一つの場面で、大人を対象に測られた平均の傾向です。原典自身が、自己開示があらゆる人・あらゆる場面で有効とは限らないと断っています。子どもに「自分から言いなさい」と促す根拠として読むものではありません。
なお、吃音は話し方の問題だけにとどまりません。多くの大人が、自分だけに向けた発話(ひとりごと)ではどもらないと報告しており、聞き手がいるという認識が関わっていることがうかがえます。また、このまま話せばどもると事前に感じ取ったとき、言いよどんで時間を稼ぐ、別の言葉に言い換える、ときにはどもると分かっているから話さないことを選ぶ、という形で話す計画そのものを変えていることも報告されています。外から見えている詰まりの数は、起きていることの一部でしかない、ということです。
気になるときの相談先と、見通し
家庭での言葉の掛け方に迷ったときは、抱え込まずに相談できる先があります。名前が挙がるのは、幼児・学齢の子ども向けの「ことばの教室」と言語聴覚士です。吃音は言語聴覚療法の対象で、大人になってから相談する人もいます。
見通しについては、幼児期の吃音の場合、少なくとも半数の子どもは、特別な指導や支援がなくても小学校に入学するころまでに吃音の問題が見られなくなることが知られています(これを自然治癒といいます)。小学校に入っても吃音が続く場合も、ことばの教室や言語聴覚士の適切な指導・支援を受けることで、多くの場合、体の緊張を伴う重い吃音があまり見られなくなったり、緊張をうまくコントロールしながら話す方法を身につけたりして、日常生活にそれほど大きな支障なく過ごせるようになるとされています。
吃音そのものについては、分かっていないことも多く残っています。米国国立聴覚・伝達障害研究所のワークショップ報告は、生涯のうちに吃音を経験する人の割合が高く治療の需要も強いのに、生物学的な理解は限られていて、いまの治療の結果はまちまちであり、子どもにも大人にも無作為に振り分けて比べる試験がほとんど行われていないと明記しています。
また同じ報告は、どもる話し方それ自体を「異常」と見なす必要はない、という考え方が育ってきていることにも触れています。これは治療を望む人にとっての治療の重要性を否定するものではなく、自分を障害者だとは考えていない当事者の見方も計画に織り込めるようにするための整理だとされています。「直す」を目標に置くかどうか自体が、本人と家族が選べる部分になってきている、ということです。
次のようなときは、様子を見るだけで抱え込まず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。就学が近づいても吃音が続いている/体の緊張を伴う重い吃音(言葉が出ずに間があくなど)が目立ってきた/本人が話しにくさを気にして、話すことを避け始めている。
「もっとどもれ」を読むときの3つの落とし穴
落とし穴1 − 同じ言葉を、そのまま我が子に当てはめる
平野レミさんが語ったのは、ひとりの父が、ひとりの娘に、その家庭の関係のなかで掛けた言葉です。同じ言い方が別の子どもに同じように届くとは限りません。当事者が挙げる「こう話してほしい」の中身も一つではなく、評価を含まない言葉・十分な時間・話し方でなく中身への注目といった複数の要素が並んでいます。文言をまねるより、「話題にしてよい」という前提を家庭に置くことのほうが、レビューが示していることに近い読み方です。
落とし穴2 − 「肯定する言葉を掛ければ吃音が軽くなる」と読む
この記事で扱った研究は、どれも「こう言えば吃音が減る」を測ったものではありません。率直に話し合える環境は、子どもが気持ちを言葉にしやすくなること・恥ずかしさを抱え込みにくくなることと結びつけて語られています。話す速さや間の取り方については、子どもの流暢さとの関係は検出されませんでした。言葉の掛け方は、症状を動かす操作ではなく、子どもが吃音とどう付き合うかに関わる話として読むのが正確です。
落とし穴3 − 話題にしないことを「そっとしておく」と読む
触れないでおくことが優しさになる場合はあります。ただしレビューは、率直な話し合いが無い状態が続くと、子どもが吃音を触れてはいけないこと・間違ったことと受け取り、隠すほうへ向かうことがあると指摘しています。同時に、率直な話し合いは多くの保護者にとって自然にできることではなく、専門家の助けを借りて少しずつ慣れていく方法も提案されています。一人で決めきらなくてよい部分です。
よくある質問
平野レミさんには吃音があるのですか?
2024年2月にNHK総合で放送されたドキュメンタリー番組で家族への思いを語った際、ご本人が「だって、どもるでしょ、私」と述べたことが報じられています。同じ場面で、父から「もっとどもれ」「どもりはかわいいから」と言われ、直せとは言われなかったと振り返っています。ここに書いたのは、その報道に残っている範囲です。
「もっとどもれ」のような言葉を、子どもに掛けたほうがいいのでしょうか?
特定の言い回しを勧める根拠のある研究は見当たりません。文献をまとめたレビューが示しているのは、吃音を率直に話題にできる環境では、子どもが自分の気持ちを言葉にしやすくなり、話し方にまつわる恥ずかしさを抱え込みにくくなる、という方向です。当事者が挙げる望ましい話し方には、評価を含まない言葉、十分な時間、話し方ではなく中身への注目などが並びます。
「ゆっくり話して」「落ち着いて」と言うのは、やめたほうがいいですか?
助言を受ける前の親子の録音を解析した研究では、保護者の話す速さや返事までの間と、子どもの流暢さとの関係は検出されませんでした。ただし著者らは、これは間接的な関わり方が効かないという結論ではなく、効くという結論を支持しないだけだと明言し、再現が重要だとしています。一方で、そう言われたことが負担だったと振り返る当事者もいます。迷うときは言語聴覚士やことばの教室に相談するのが確実です。
家庭で吃音の話をすると、かえって子どもを傷つけませんか?
レビューによれば、率直に話すことで子どもが動揺するのではないか、という心配は保護者から実際に挙がっています。同時に、話し合いが無いままだと子どもが吃音を触れてはいけないことと受け取りうるとも指摘されています。どう切り出すか分からないという保護者も多く、専門家の助けを借りながら慣れていく方法が提案されています。
大人になってから、自分に吃音があると周りに伝えたほうがいいですか?
面接の場面を使った実験では、冒頭で吃音があることを説明した話し手は、謝る言い方をした場合や何も言わなかった場合より、友好的・自信があると評価されやすくなりました。別の実験でも同じ方向の結果が出ています。ただし原典自身が、あらゆる人・あらゆる場面で有効とは限らないと断っています。
まとめ
- 平野レミさんは番組で、父から「もっとどもれ」「どもりはかわいいから」と言われ、直せとは言われなかったと振り返っている。掛けられたのは「直せ」ではない側の言葉だった。
- 吃音のある子どもの保護者の関わりを集めたレビューは、率直に話し合える環境では子どもが気持ちを言葉にしやすくなり、恥ずかしさを抱え込みにくくなると報告している。
- 逆に話し合いが無い状態が続くと、子どもは吃音を触れてはいけないこと・間違ったことと受け取り、隠すほうへ向かうことがある。
- 「ゆっくり話す」「間をとる」については、助言前の録音の解析で子どもの流暢さとの関係は検出されなかった。ただし著者らは「効かないと分かった」わけではないと明言している。保護者の関与そのものは重要だとも書いている。
- 大人が自分から吃音を伝えると、聞き手はより友好的・自信があると受け取りやすい。ただし万能ではない。
- 保護者の接し方のまずさが吃音の原因になるわけではない。迷うときはことばの教室や言語聴覚士へ。