まず結論から
- グループにすると効果が落ちる、という結果は出ていません。幼児期の吃音に使われる訓練プログラムについて、いつもの一対一の形と、保護者と子どもの組が何組か集まる集団の形を比べた試験では、割り付けから9か月後・18か月後のどちらの時点でも、どもる音節の割合に差が出ませんでした。
- 一方で、集団のほうが必ず心地よいわけでもありません。同じ試験で、保護者の満足度は一対一のほうが全体に高く、集団では「技法の訓練を十分に受けられたか」「集団のなかでやりとりするのが心地よいか」で最も高い評価をした人が少なくなっていました。
- グループ学習が目指しているものは、どもらずに言えるようになることではありません。ある実践報告では、初回の相談の時点で「症状がある程度軽くなることはあっても、完全に消えるような指導技術はこの教室にはない」と保護者に伝えたうえで、子どもが自分の吃音に向き合って生きていくことを支える場として始めています。青年期の吃音を対象にした国内のグループの取り組みでも、話し方を意図的に操作する練習はしないと明記されています。
- 同じ吃音のある人が集まる場に出ることの効果は、一枚岩ではありません。大人については、参加が吃音の否定的な影響を減らしうるという証拠があるとされる一方、若い人にとっての利点は現時点では分かっていない、と報告されています。
- 診療ガイドラインは、個別か集団かを患者の事情を踏まえて決めるとしたうえで、自助グループへの参加を「臨床的な合意にもとづく推奨」として挙げています。これは効果を測った研究にもとづく推奨ではありません。
ただし、ここで挙げた比較の試験は幼児とその保護者を対象にしたもので、学齢期の子どものグループ学習をそのまま測ったものではありません。ことばの教室の実践報告も、約20年前の、5人前後の子どもをめぐる一つの教室の記録です。「グループに入れば良くなる」と読めるものはどこにもなく、この記事も、グループという形が何をしている時間なのかを記録と研究から確かめ直すものとして読んでください。
グループに入れると、一対一ではどもらなかった子がどもる
グループ学習を始めるとき、多くの人が思い描くのは「同じ吃音のある子どうしなら、気にせず安心して話せるだろう」という絵です。ところが、実際に始めた教室の記録は、最初の年にその予想が外れたところから書き起こされています。
ことばの教室の担当教員が書いた実践報告(東京都日野市立日野第二小学校 きこえの教室・ことばの教室「せせらぎ」・楠雅代教諭。日本吃音臨床研究会の会報に掲載)
2回目以降は、日直を決め、日直が、出席、開始、終了の挨拶をすることにしましたが、この日直が、子ども達にとっては、吃音に直面するやっかいな役となりました。個別指導場面では、ほとんどどもらなくなっていたD君、E君が、グループでは、ひどくどもる上に、手助けさえも拒み、涙を流すことが、何度かありました。一方で、1番の年長で、吃音の症状の重いA君は、机に両足を載せる、机の下に潜る等、在籍学級では見せたことのない、傍若無人とも見える態度を続けました。
グループ活動が始まったのは、その教室で吃音の通級児童が5名になった年でした。1年生2名、2年生2名、3年生1名。全員が、在籍する学校では唯一どもる子どもで、親子とも孤独感を抱えていた、と担当教員は書いています。初回に子どもたちへ伝えたのは、メンバーは皆どもること、全員が学校では唯一どもる存在であること、だから他の人のことを自分のことと同じように考えられること、でした。1回目のアンケートでは、用紙を見せ合って「何個、ついた?」「俺なんか、全部○がついちゃった」と言い合う場面が記録されています。それが2回目からは、日直の挨拶ひとつで崩れました。担当教員は後から、他の子のどもる姿が自分の姿と重なり、安心よりも不安を増幅させていたのかもしれない、と振り返っています。
出典: ことばの教室における吃音児童グループ活動の実践(吃音と上手につきあうための吃音相談室・日本吃音臨床研究会)(台帳: V0231)
では、集団の形にすると成果そのものが落ちるのでしょうか。子どもと青年の吃音への働きかけを、条件を決めて集めたうえでまとめて評価した研究が、この問いに数字で答えています。幼児期の吃音に使われるある訓練プログラムについて、いつもどおりの一対一・対面の形と、保護者と子どもの組が何組か集まってクリニックのセッションに参加する集団の形を比べた試験では、無作為に割り付けてから9か月後と18か月後のどちらの時点でも、どもる音節の割合に差は出ませんでした。保護者が報告した重症度にも差はなく、通う回数にも差はありませんでした。
違いが出たのは、かかった手間のほうです。集団の形では、第1段階を終えるまでに使った言語聴覚士の時間が平均9.2時間で、一対一の14.3時間より46%少なく済んでいます(見積もりのぶれの幅は32〜57%)。ただし第1段階を終えるまでの週数は、集団のほうが29週と、一対一の25週よりやや長くかかりました。同じレビューは、遠隔・ウェブカメラ・集団のいずれの形も、吃音を減らす効果は標準の一対一と同等であることが示されたとまとめ、この所見は住んでいる場所や使えるサービスの都合で地元では受けられない人にとって重要な意味を持つ、としています。
ただし、同じ試験にはもう一つの結果があります。満足度では、一対一に参加した保護者のほうが全体に肯定的でした。集団に参加した保護者では、技法の訓練を十分に受けられたか、集団のなかでやりとりすることが心地よいかについて、最も高い評価をつけた人が少なくなっていました。効果が同じでも、体験が同じとは限らない、ということです。冒頭の記録で日直の挨拶に涙を流した子どもたちの姿は、この数字の裏側にあるものと同じ方向を向いています。なお、いじめが起きても子どもは大人を巻き込みたがらないため、子ども同士で支え合う仕組みが助けになりうる、と述べた研究もあります。
小学校を出たあと、集まる場が急に減る
グループ学習を探している人の不安は、「今あるかどうか」で終わりません。ことばの教室に通えている家庭ほど、その先に何があるのかを早くから気にしています。
第8回「吃音のつどい」に参加した保護者の感想(岐阜県各務原市の社会福祉法人が開いた交流会の記録。15家族が参加し、うち約半数がその年度から相談を始めた家庭)
久しぶりの対面でのつどいということで、直接会っていろいろお話しできてよかったです。とにかく、周りの人に吃音について知ってもらうと自分も楽に生活できると思います。ただ、今心配しているのは、中学生になって相談先がない事です。吃音と長く付き合っていくことになると思うので、中学、高校、大学と大きくなっていく時の関わりが難しくなると思いますが、そんな時にこのつどいがあれば、当事者同士で悩みを共有したり相談したりできるのでとても心強いと思います。
社会福祉法人が3年ぶりに対面で開いた交流会の、参加者の感想欄に書かれた一つです。同じ欄には、低学年のうちに周りに話したことや助けてもらった経験の積み重ねで今の子どもがいる、という書き込みや、高学年になったら本人が自分で周りに伝えられるようアドバイスしたい、という書き込みが並んでいます。その流れのなかで、この保護者だけが先の年齢に目を向け、中学・高校・大学と進むにつれて関わりが難しくなること、そのときにこの場があれば心強いことを書いています。場が無くなる心配と、代わりになりうる場への期待が、同じ一文のなかに並んでいます。この不安には、制度の側の裏づけがあります。
出典: 第8回「吃音のつどい」(社会福祉法人 各務原市社会福祉事業団)(台帳: V0083)
神奈川県の自助団体は、県の表彰を受けたことを自サイトで告知しています。その受賞理由として書かれているのが、「ことばの教室は小学校にしかないため支援が行き届かなくなってしまう中学生、高校生に対して吃音の支援ができる場である」という評価でした。学齢が上がると学校のなかの場が細るという構造が、第三者の評価という形で言葉にされています。同じ団体は、吃音のある小学3年生から高校生までを対象にした「こども若者例会」を毎月1回、大人の例会とは別の部屋で開き、参加費は無料、参加には申し込みが必要だと案内しています。吃音のある子と保護者、学校関係者などを対象にした親子の交流会も、会場とオンラインの両方で開かれています。
ただし、こうした場がどこにでもあるわけではありません。全国の言友会をまとめている組織は、吃音のある人どうしが体験を語り分かち合うための会を全国に広げたいとしたうえで、すべての都道府県に少なくとも1カ所の拠点を築きたいがまだゴールは見えていないと書き、加盟団体のない県として青森・秋田・福島・鳥取・長崎・沖縄を名指しで挙げています。地名で探して見つからないとき、そこが実際に空白の地域である可能性がある、ということです。加盟団体の一覧はブロック別に団体名が並ぶ形で公開されていますが、連絡先や例会の日時はそのページには載っていません。学校の外の相談先の全体像は、吃音の相談先の記事にまとめています。
同じ吃音の人に会うことが、いつも励ましになるとは限らない
「同じ悩みの人に会えば楽になる」という言い方は、あまりにも自然に聞こえます。けれど、初めてその場に立った人が何を受け取るかは、大人が期待するものと違うことがあります。
当事者本人(愛知県の男性・横井秀明さん。中学校の教員だった父の勧めで中学2年から自助グループに通い始めた。NHK厚生文化事業団の障害福祉賞で最優秀作品となり全文が公開された手記)
当時、中学校二年生の反抗期真っ盛りでしたが、僕は意外と素直に応じ、車で一時間くらいかかる会場に父と一緒に行きました。参加者は、ほとんどが中高年の方ばかりでした。そこでは、いろいろとアドバイスをもらいました。吃音があっても仕事はできるよとか、中高校生の頃が一番つらかったとか。僕を勇気づけようとしてくれる人ばかりでした。しかし、僕は全然違うことを考えていました。
「僕は、大人になっても吃音のままなのか」
現実を受け入れられませんでした。心のどこかで、「いつか吃音がなくなるんじゃないか」という希望を持っていたからです。しかし、その希望は見事に打ち砕かれました。大勢の「吃る大人」を前にして、僕は「お前は一生吃り続けるんだ」と言われたように感じました。
中学校の教員をしていた父親が、学校での苦しさを理解したうえで、新聞で見つけた会の記事を息子に勧めた、という経緯が前段に書かれています。会場までは車で1時間。その日、会員たちが送ったのは励ましの言葉でしたが、本人が受け取ったのは「大人になっても吃音のままだ」という見通しのほうでした。それでも通うのはやめなかった、と続きます。中学生のうちは父が毎回ついて来て、高校からは一人で。何か「答え」を見つけたいと思っていたのかもしれない、と本人は書き、その通いのなかで、いつか吃音がなくなるという願いは薄れ、これからどうするかを現実的に考えるようになっていった、と振り返っています。この「最初の落胆」と「その先」の落差は、研究の側でも慎重に扱われています。
出典: 横井秀明さんの手記(NHK厚生文化事業団「第52回NHK障害福祉賞」最優秀作品)(台帳: V0113)
吃音のある人が経験を分かち合い支え合う場について、アイオワ大学などの研究者が、若い参加者を対象に調べています。この論文はまず、大人については参加が吃音の否定的な影響を減らし、考え方や感情の面に良い変化をもたらしうるという証拠がある一方、若い人にとっての利点は現時点では分かっていない、と断っています。そのうえで、数日間の大会に参加した若い人たちに聞き取りを行い、参加の前後で吃音の否定的な影響が有意に下がったこと、面接の記録からは、仲間や共同体をつくること・参加者どうしの学び合い・考え方とやりとりの変化・自分を受け入れること・吃音を特別なことでなくしていくこと、という5つのまとまりが見いだされたことを報告しています。
結論の書き方は控えめです。原典は、こうした場は吃音の否定的な影響を減らすうえで有益でありうるとし、従来の言語療法に加える選択肢として検討する価値がある、と書いています。言語療法の代わりになるとは書いていません。上の手記も、言語の訓練をやめて会に通ったという話ではなく、会に通いながら「これからどうするか」を考えるようになったという話でした。
長く通っている人は、そこに何を見ているのか
子どものグループ活動は、いつか終わります。その先にある大人の会に、実際に長く通っている人は、その場をどう評価しているのでしょうか。手放しで肯定していない語りは、そう多く公開されていません。
当事者本人(57歳・男性。北海道言友会旭川ブロックの会員で、2人の娘にも吃音があると本人が書いている。全国アンケートに答えた内容をそのまま公開した個人ブログ)
・旭川ブロック内でも吃音持ちさん達と出会い→でも全員仲良くなる事はなく
→自分の人見知りを思い知る
・勢いで大阪開催の全国イベントにも弾丸参戦し、ツイッターで繋がっていた方達とリアルでお会いする事ができたり
→までもそれ以上にはならず
・根底には「吃音持ちと会うのは嬉しいけど、それ以上でも以下でもない」気持ちがあるのかなと。
・吃音だけで仲間という感覚はないかもしれん。友人になるのは別というか。友人てなに?
・でも知り合い、顔も知りはとても増えた。会うと会話できる皆さんたち。ありがたい縁だ。
長女が小学2年のときからその会に世話になっている、と同じ記事の前段に書かれています。最初に妻と参加したきっかけは、長女がからかわれたことへの対応に困ってのことでした。以来、娘たちを連れてイベントやキャンプに行き、各地の集まりにも足を運んでいます。感謝しかない、お返しできないかという気持ちは多分にある、とも書いています。そのすぐ横に並んでいるのが、上の箇条書きです。会に通い続けてきた本人が、吃音という共通点だけで仲間と言えるのかを自分に問い直し、答えを出さないまま書き残しています。同じ記事には、例会の日が仕事と重なって足が遠のいていること、それでも会から抜けるとは思わないことも書かれています。公的な資料も、この場に何があって何が無いのかを、はっきり分けて書いています。
出典: 「言友会と私」アンケートここで蛇足(個人ブログ)(台帳: V0245)
吃音の公的なポータルサイトは、当事者が集まる会(セルフヘルプグループ)について、当事者の集まりであるため、言語聴覚士のように吃音についての学術的な知識や、吃音を改善するための専門的な指導や支援が受けられるわけではないと明記しています。そのうえで、同じ問題を持つ仲間と出会い、当事者同士でないと感じられない連帯感のなかで悩みを聞いてもらったり、同じ立場から具体的な助言をもらったりできることは、ここでしか得られないことも事実だと続けています。日本吃音・流暢性障害学会も、国内の自助団体の活動の中心は、吃音があるのは自分だけではないと認識し、共通の体験を語り合い、苦悩を分かち合い、互いに援助し合うことだと説明しています。近年は若者を対象とした団体や、女性の集いを開く団体もできている、とも書かれています。
南アフリカの大学の研究者らは、こうした会に通う吃音のある成人13人(20〜58歳・平均35歳、女性3人・男性10人)に電話で聞き取りを行い、通う理由を4つのまとまりに整理しました。吃音の受け止め方が変わること、共同体としての感覚が増すこと、支え合いが一方通行でないこと、そして場の雰囲気・参加者・話題です。会に出ることが吃音を受け入れる助けになったというこの結果について、原典自身が、支援グループと自己受容の間に関連が見られなかったとする先行研究と食い違うことを明記しています。効果の向きが研究によって割れている、ということです。
そしてもう一つ、規模の話があります。吃音のある人のうち当事者コミュニティに関わっている割合は、国際的な団体で約0.99%、国レベルの団体で約0.63%、地域の自助グループで約1.01%と推定されており、実際の関与はこれより低いだろうと原典は注記しています。会に通っている人のほうが、圧倒的に少数派だという前提で読む必要があります。
大人の集団プログラムは、実際に何をするのか
「グループ学習」という言葉で探すと、出てくるのは学齢期の教室の話にかたよります。けれど、大人を対象にした集団のプログラムには、回数や中身まで書かれた研究があります。
イランの大学の研究者らは、吃音のある成人を無作為に2つの群に分け、それぞれ別の集団心理療法を受けてもらい、そのあとに集団の言語療法を重ねる、という試験を行っています。片方は考え方を組み替えていくやり方で、自分の頭に浮かんだ考えを事実そのものではなく一つの可能性として捉え直し、こわいと感じる場面に少しずつ踏み出していく練習をします。もう片方は考えから距離を取るやり方で、浮かんだ考えを良し悪しを決めずにただ眺め、不安があっても自分が大事にしていることに沿って動けるようにしていきます。前者は認知行動療法、後者はマインドフルネスと受容にもとづく療法と呼ばれています。
回数と時間も書かれています。成人向けに作られていた認知行動療法のプログラムは、もう片方と数をそろえるために2時間×10回のグループセッションに組み直されました。心理療法のあとに行った言語療法は、なめらかな発話を目指す既存のプログラムを集団向けに改め、4〜5人のグループで4時間×4回(計16時間)にまとめられています。結果は、社交の場面での不安についてはどちらのやり方でも下がった一方、否定的に評価されることへの恐れが下がったのは、考え方を組み替えるやり方の側だけでした。著者らはその理由を、歪んだ考えや思い込みを扱い直す働きかけが助けになったのではないか、少しずつ場面に踏み出す技法が、どもって話しても思っていたほど危険ではないと示したのではないか、と論じています。⚠ これはいずれも著者による解釈で、なぜ効いたのかを測ったものではありません。
国内でも、青年期の吃音を対象に、話し方を意図的に操作する練習をしないグループの取り組みが紹介されています。同じ資料は、従来からある成人向けの訓練法を、話し方そのものに働きかけるやり方(直接法)と、話し方には直接働きかけないやり方(間接法)に分けています。前者には、吃音が出にくい、コントロールされた話し方を身につけていく方法(流暢性形成法。話し方を組み立て直すやり方です)と、楽にどもることを目標とする方法(吃音緩和法)があり、後者には、日中は話すことへの意識を向けず、夜に寝る前に頭の中のイメージで練習する方法(メンタルリハーサル法)があります。同じ資料は、前者は本来の話し方とは違う不自然な話し方になるため違和感を持つ人がいて、効果を保つのが難しいという意見もあり、後者は効果が保たれやすい一方で治療そのものに長い期間がかかる、という限界を挙げています。この取り組みが何を目標に掲げているかは、吃音すごろくの記事に書きました。
個別か集団かの選び方について、ドイツの診療ガイドラインは、集中的か分散的か、外来か入院か、個別か集団かは本人の事情を踏まえて決めるとしています。そのうえで、症例数の十分な標準的な治療の形について患者に尋ねた後ろ向きの調査で集団の要素を持つ集中的な治療のほうが効果が大きかったことから、その設定も検討しうる、と述べています。効いているかどうかの見きわめについても目安があり、週に1回以上の頻度で3か月続けたあと、治療の目標のどれかに目に見える改善があるはずで、無ければ方針を見直すべきだとしています。同じガイドラインは、自助グループへの参加を臨床的な合意にもとづいて推奨していますが、これは効果を測った研究にもとづく推奨ではありません。
グループの場をどう探し、何を聞いておくか
最後に、実際に探すときの順路をまとめます。学齢期であれば、出発点は通っている(または通える)ことばの教室の担当者です。その教室にグループの時間があるか、無いなら近隣にあるかを聞くのがいちばん早い道になります。自助団体は、ことばの教室など学校の先生や言語聴覚士を主な対象とした指導教材と、吃音についての啓発資料を制作していると案内しており、担当者側の手がかりもそこから辿れます。
学校の外を探す場合、地域の当事者団体が入口になります。団体によっては、大人の例会、日曜の例会、子ども・若者向けの例会、といった複数の集まりを目的や対象ごとに分けて開いており、初めての参加もできると案内しているところがあります。子ども向けの回は、大人の例会とは別の部屋で開かれることもあります。全国の言友会をまとめている組織はブロック別の加盟団体一覧を公開していますが、その組織自身は、子どもの吃音への対応の確認や医療機関の紹介といった個別の相談には原則として応じられないとし、近くの加盟団体に連絡してほしいと明記しています。問い合わせ先を一段間違えると止まってしまうので、最初から地域の団体に当たるのが確実です。
そして、場を探すのと並行して確かめておきたいことがあります。国立障害者リハビリテーションセンター系の公的な解説は、吃音のある子どもは話す場面でしか症状が出ないため悩みが小さく見積もられやすいとし、担任の先生・養育者・支援者が本人に「真似されていない?」「笑われていない?」「話し方を質問されていない?」とオープンに聞くことが、吃音の話をしやすくするきっかけになると書いています。困りやすい場面として挙げられているのは、日直の号令、音読、発表、かけ算の九九、学習発表会、卒業式です。冒頭の実践報告で子どもたちがつまずいたのも、この一覧の先頭にある日直の役でした。何に困っているかが具体的に分かっていれば、グループの時間に何を持ち込むかも、担当者と決めやすくなります。
ことばの教室で一対一のときに何をしているのかはことばの教室の指導の記事、泊まりがけで親子が集まる場の中身は吃音親子サマーキャンプの記事、家庭での声かけは子どもの吃音への対応の記事にまとめています。
吃音のグループ学習で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 集団にすれば安心して話せるはずだ、と考える
記録に残っているのは逆でした。一対一ではほとんどどもらなくなっていた子が、グループでは日直の挨拶でひどくどもり、手助けさえ拒んだ、と担当教員が書いています。研究の側でも、効果は一対一と同等だった一方、保護者の満足度は一対一のほうが高く、集団のなかでやりとりするのが心地よいかという項目で最も高い評価をつけた人は少なくなっていました。集団にすることそのものが楽さを生むわけではありません。うまくいかない回があること自体は、想定の範囲だと考えておくほうが続けやすくなります。
落とし穴2 − どもらずに言えるようになるための時間だと思う
その実践報告は、初回の相談で「症状がある程度軽くなることはあっても、完全に消えるような指導技術はこの教室にはない」と保護者に伝えるところから始まっています。青年期を対象にした国内の取り組みでも、話し方を意図的に操作する練習はしないことが明記されています。成果を「どもらなくなったかどうか」で測ると、うまくいっている時間まで失敗に見えてしまいます。ガイドラインが示す見きわめの目安も、どもりの量ではなく、立てた治療の目標のどれかに改善が見えるかどうかです。
落とし穴3 − 会に入れば解決する、と期待して連れて行く
中学2年で初めて会に行った当事者は、大人の参加者を前に「お前は一生吃り続けるんだ」と言われたように感じた、と書いています。公的な資料も、当事者の会は専門的な指導や支援を受けられる場ではないと明記しています。若い人にとっての利点は現時点では分かっていない、と断ったうえで報告している研究もあります。一度行って合わなかったことは、その子に合わないという結論にも、その場が無意味だという結論にもなりません。行く前に本人と目的を話し、合わなければ別の入口を試す、という前提で臨むほうが無理がありません。
まずは、通っている(または通える)ことばの教室の担当者に相談するところから。医療の側では、小児を診る言語聴覚士が相談先になります。日々どの場面で困っているかを書き留めておくと、グループの時間に何を持ち込むかを担当者と決めやすくなります。
よくある質問
吃音のグループ学習は、個別指導より効果がありますか?
どちらかが優れているという結果は出ていません。幼児期の吃音に使われる訓練プログラムについて、一対一の形と、保護者と子どもの組が集まる集団の形を比べた試験では、割り付けから9か月後・18か月後のどちらの時点でも、どもる音節の割合に差はありませんでした。同じレビューは、遠隔・ウェブカメラ・集団のいずれの形も、吃音を減らす効果は標準の一対一と同等だったとまとめています。ただしこれは幼児と保護者を対象にした試験で、学齢期のグループ学習をそのまま測ったものではありません。
グループ学習では、実際に何をしているのですか?
ある教室の3年間の記録では、1年目は吃音についての話し合い、ことば遊び、調理、キックベースボールなどを担当者が提案する形で行い、2年目は毎回リーダーを決めて、その子が考えたことを全員で行う形に変えています。日直を決めて出席と開始・終了の挨拶をする、という役割も置かれていました。3年目には、自分の変化や成長を作文にまとめて発表する回が設けられています。話し方の練習そのものではなく、自分で決めて自分のことばで言う場面を何度も作る形で組まれています。
中学生になると、通える場所はありますか?
学校のなかの場は細くなります。神奈川県の自助団体は、ことばの教室は小学校にしかないため支援が行き届かなくなる中学生・高校生に対して吃音の支援ができる場である、という理由で県の表彰を受けたと告知しています。同じ団体は、吃音のある小学3年生から高校生までを対象にした例会を毎月開いています。ただし地域差があり、全国の言友会をまとめている組織は、加盟団体のない県として青森・秋田・福島・鳥取・長崎・沖縄を挙げています。
大人向けの集団プログラムには、どんなものがありますか?
吃音のある成人を対象に、考え方を組み替えていくやり方(認知行動療法)と、考えから距離を取るやり方(マインドフルネスと受容にもとづく療法)を、いずれも集団で行って比べた無作為化試験があります。心理療法は2時間×10回、そのあとの言語療法は4〜5人のグループで4時間×4回でした。社交の場面での不安はどちらでも下がり、否定的に評価されることへの恐れが下がったのは考え方を組み替えるやり方の側だけでした。国内でも、青年期を対象に、話し方を意図的に操作する練習をしないグループの取り組みが紹介されています。
自助グループに入れば、吃音は良くなりますか?
そうとは限りません。吃音の公的なポータルサイトは、当事者の会は当事者の集まりであるため、言語聴覚士のような学術的な知識や、吃音を改善するための専門的な指導や支援が受けられる場ではないと明記しています。一方で、同じ立場の仲間と出会い、そこでしか得られない連帯感や具体的な助言があることも事実だとしています。研究でも、会に出ることが吃音の受け入れを助けたという結果と、支援グループと自己受容の間に関連が見られなかったとする先行研究が食い違っていることが、原典自身によって指摘されています。
まとめ
- 集団の形にすると成果が落ちる、という結果は出ていない。幼児期の訓練プログラムの試験では、9か月後・18か月後のどちらでもどもる音節の割合に差がなく、言語聴覚士の時間は集団のほうが46%少なく済んだ。
- ただし保護者の満足度は一対一のほうが高かった。実践報告でも、一対一ではどもらなくなっていた子がグループでひどくどもった記録が残っている。効果が同じでも体験が同じとは限らない。
- グループ学習が目指しているのは、どもらずに言えるようになることではない。初回の相談で「完全に消えるような指導技術はこの教室にはない」と伝えるところから始めた教室があり、青年期の国内の取り組みも話し方を意図的に操作する練習はしないと明記している。
- ことばの教室は小学校にしかないため中学生・高校生の場は細る。地域の当事者団体が子ども・若者向けの例会を開いている例はあるが、加盟団体のない県もある。
- 大人には、2時間×10回の集団心理療法と、4〜5人で4時間×4回の集団言語療法を組み合わせた試験がある。ガイドラインは個別か集団かを本人の事情で決めるとし、自助グループへの参加は臨床的な合意にもとづく推奨としている。
- 会に通っている人は少数派で、当事者コミュニティへの関与は約0.6〜1.0%と推定されている。若い人にとっての利点はまだ分かっていない、と断ったうえで報告している研究もある。