まず結論から
- 堅田利明について、この記事が扱うのは研究者としての仕事だけです。学術誌『音声言語医学』61巻2号(2020年・140〜157ページ)に、関西外国語大学の堅田利明と広島大学学術院の川合紀宗による「吃音のある子どもをもつ保護者の養育態度に関する研究」が掲載されています。吃音のある子どもをもつ父親・母親に、グループでの聞き取りを行って分析した研究です。
- 母親は、養育の問題を指摘する情報にとらわれやすい傾向がありました。そしてそれが、罪悪の感情や将来への不安を高めていた、と報告されています。
- 父親には、母親を支えてこなかったという反省と罪悪の感情が共通してありました。そして、父親から支えられている感覚が強い母親ほど、子育てのなかでの孤立感は低い、という関係が示されています。
- 母親は、相談に応じた人が吃音の高度な専門家かどうかを、その人の解説や助言の中身から判断していました。それがそのまま、信頼できる専門家だという感覚につながっていた、と書かれています。
- 同じ立場の親が集まる会への参加は、時期によって受け取り方が変わっていました。自然に治ることを期待している時期には、情報を聞き入れがたく感じる場合があった。その後は情報を意味のあるものとして受け取り、自分の体験を語ることが他の人の支えになると知って喜びを見出し、それまでの子育てを肯定できる働きもあった、と報告されています。
ただし、ここで確認できるのは公開されている抄録に書かれた範囲までです。参加した人数や分析の細かい手続きは、本文にあたらないと分かりません。またこれは語りを聞き取って分析した研究なので、「何割の家庭がこうだ」という割合を示すものではありません。
「育て方のせい」という言葉は、どこから来るのか
この研究がいちばん最初に挙げている所見は、母親が「養育の問題を指摘する情報」にとらわれやすい、というものでした。抽象的に聞こえますが、家庭で実際に起きているのは、もっと具体的な場面です。
7歳の長男に吃音がある母(広島県広島市・永田敬子さん/自助団体サイトに掲載された親の手記)
下の子が1歳になって、少しペースがつかめてきました。そして、話し始めるようになり、どもり始めました。両方の両親から、「母親のせいだ」と言われ、思い当たることだらけの私はみじめでした。どもるのを耳にするたびに「私が悪い、私のせいだ」と責められているようでした。
小学校入学。かなりどもりが目立ち、随伴症状が出てきました。私は、どもりを隠すことを考え、どもりというハンディをもつ息子には、他で自信をもってほしいと、たくさんの習い事もさせました。
7歳の男の子と5歳・2歳の女の子を育てている母親の手記です。息子がどもり始めたのは3歳前で、保健師に相談したところ「自然に治るので、言い直したりせず、気づかないフリをするように」と助言され、そのとおりに過ごしたと書かれています。園の先生に相談しても返ってきたのは同じ趣旨の言葉でした。そこへ、双方の祖父母からの「母親のせいだ」が重なります。引用文にある「随伴症状」というのは、話そうとするときに顔や手足に力が入るなど、ことば以外に出てくる動きのことです。母親が次に取った行動は、どもりを隠すことと、他の分野で自信をつけさせることでした。原因を指摘されたとき、人は原因を探すのではなく、隠す方向に動くことがあります。研究が「養育の問題を指摘する情報にとらわれやすく、罪悪の感情や将来への不安を高めていた」と書いたのは、この一連の動きのことです。
出典: 《特集 親の体験・親の気持ち》(日本吃音臨床研究会「吃音と上手につきあうための吃音相談室」)(台帳: V0048)
では、その「指摘」に根拠はあるのでしょうか。日本耳鼻咽喉科学会会報の総説は、はっきり否定しています——発症の要因の7割以上は遺伝によるもので、育て方が原因だとする考え方(かつて「診断原因説」と呼ばれた、親が子どもの話し方を問題として扱ったせいで吃音になるという説)は否定されている。
保護者に直接向けた資料は、さらに言い切っています。吃音ポータルサイトは「保護者の方の育て方のまずさが、お子様の吃音の問題の原因ではありません」という見出しを立て、他の家族や親戚、近所の人から育て方がまずいと指摘されて傷ついている人がいることに触れたうえで、保護者の接し方のまずさが原因で子どもに吃音が生じるわけでは決してない、と書いています。原因はまだ完全には解明されていないが、おそらくは子ども自身がもともと持っている素因(生まれつきの体質)と、環境の側の要因とが、ある条件で組み合わさったときに生じるのではないか、という見立てです。
それでも指摘が消えないのは、社会の側に理由があります。国立障害者リハビリテーションセンターの資料は、医療機関を受診しても「様子を見ましょう」と言われるだけで詳しい説明がないことが多く保護者は不安になること、そして社会には偏見や無理解があり《親の育て方が悪いから吃音になる》という間違った考えを今でも信じている人が多いため、親子ともストレスが大きくなりがちだと書いています。堅田らの研究が見た母親の罪悪の感情は、家庭の中だけで生まれたものではない、ということです。
「行けば治る」と思って行った日
研究の所見のうち、時期によって受け取り方が変わると書かれているのが、同じ立場の親が集まる会への参加でした。自然に治ることを期待している時期には、情報を聞き入れがたく感じる場合があった——この一文が何を指すのかは、実際に会に参加した母親の記録を読むとよく分かります。
小学3年の娘に吃音がある母(田中多佳子さん/自助団体サイトに掲載された親の手記)
私は大阪吃音教室のこと、吃音相談会のことは、新聞の案内を見て初めて知り、親子相談会の参加を申し込みました。今まで、そんな会があることも知らずにいた私は、申し込んだ時から、この相談会にさえ相談に行けば娘の吃音は100%治るものだ、それも、そんなに時間がかからずに治ると期待に胸ふくらませて参加したのです。
ところが、皆様の自己紹介を聞いているうちに、私の考えは甘くて、吃音は私の考えているように簡単には治らないんだと察しました。娘の8歳という年齢から考えて、この方たちのように成人しても、今から、40年、50年も悩み続けるのかと思うと、娘が不憫に思えて、また、涙が溢れてしまったのです。
新聞の案内でその会の存在を初めて知り、申し込んだ日から期待をふくらませて出かけた母親が、会場でその期待がそのままは叶わないと気づくまでの、ごく短い時間の記録です。自己紹介の順番が回るあいだに、参加していた大人たちの話が耳に入ってくる。娘は8歳。目の前にいる人たちの年齢が、そのまま娘の将来の姿として見えてしまった、と書かれています。同じ日に流した涙について、この母親は帰り道で理由を考え直し、一人で悩んできた自分が初めて同じ悩みを持つ人の輪に加えてもらえた喜びの涙だった、と整理しています。期待していたものが得られないのと、行って無駄だったのとは、別のことでした。堅田らの研究が、会への参加を「自然に治ることを期待している時期には情報を聞き入れがたい」と「その後は情報を意味のあるものとして受け取る」の二段で書いているのは、この落差のことです。
出典: 保護者の体験(日本吃音臨床研究会「吃音と上手につきあうための吃音相談室」)(台帳: V0057)
この「時期」という視点は、専門家側の資料とも噛み合います。幼児期の吃音は、多くの場合に自然に治まっていくとされ、吃音のある幼児の少なくとも半数は特別な指導や支援をしなくても小学校入学ごろまでに問題が見られなくなることが知られています。つまり、自然に治ることを期待するのは、根拠のない願いではありません。研究が書いているのは、その期待がある時期には、別の前提に立つ情報が耳に入りにくい、という事実の記述です。
ただし国立障害者リハビリテーションセンターの資料は、自然に治らない子を早期に見分ける確実な指標はないとも明記しています。期待していい、しかし期待だけで時期を決められるわけではない——この二つが同時に成り立つのが、いまの到達点です。
夫に何度話しても——夫婦のあいだの温度差
この研究でいちばん見落とされやすいのは、父親についての所見かもしれません。父親には、母親を支えてこなかったという反省と罪悪の感情が共通してあった。そして、父親から支えられている感覚が強い母親ほど、子育てのなかでの孤立感は低かった。裏返すと、支えられている感覚が薄いとき、母親は孤立していきます。
島根のフォーラムに参加した保護者(匿名/自助団体が記録した親の話し合い)
私は、この会に朝から参加させたかったのですが、夫は行かなくてもいいとスポーツ少年の集まりを優先させました。夫に何度話しても理解してくれません。夫と自分の考え方の違いで、子どもは、率直に自分の気持ちを言えなくなっていると思います。
第7回島根スタタリングフォーラムの「親の話し合い」で出た発言のひとつです。話されているのは、大げんかでも決裂でもありません。子どもをこの会に朝から参加させたかった母親と、行かなくてもいいと考えて別の集まりを優先した父親、という予定の食い違いです。そして「何度話しても」という言葉が続きます。この母親が心配しているのは自分の孤立ではなく、両親の考え方が割れていることで、子ども自身が気持ちを率直に言いにくくなっているのではないか、という点でした。温度差は、夫婦のあいだだけで終わらず、子どもの側に届いている——そう受け止められています。堅田らの研究が父親の支えと母親の孤立感を結びつけて報告したのは、まさにこの構図です。
出典: 第7回島根スタタリングフォーラム 親の話し合い(日本吃音臨床研究会)(台帳: V0115)
この所見は、家庭の外にも意味があります。就学前の子どもに対して世界的によく検討されてきた方法は、いずれも保護者が担い手になる設計だからです。代表的なリッカム・プログラムは、言語聴覚士が保護者にやり方を教え、保護者が家庭など普段の環境で毎日練習するという形をとります。もう一方の考え方(要求能力モデル)も、子どもへの要求を下げながら同時に子どもの力を伸ばすよう保護者を訓練するもので、保護者は毎週の面談に通い、家庭で毎日その技法を練習します。
つまり、治療の実務そのものが家庭に置かれているということです。それを片方の親だけが担えば、負担も孤立も片方に寄ります。系統的レビューを行った研究者たちも、治療はふつう決められた道筋を最後までやりきれる家族で開発され検証されるが、実際の家族は事情が複雑で、優先しなければならない別の用事も抱えているため、決められたとおりに完了できないことがある、と指摘し、その対処法こそ研究が必要だと書いています。
「この人を信頼して通えるか」を、親は何で決めているか
研究の三つめの所見は、相談する側の目線に立ったものでした。母親は、相談に応じた人が吃音の高度な専門家かどうかを、その人の解説や助言の中身から判断していた。そしてそれが、信頼できる専門家だという感覚につながっていた。肩書きではなく、その場で何をどう説明されたか、ということです。
年中〜年長の娘に吃音と場面緘黙がある母(個人ブログ・note の連載3回目)
そして私が辞めることを決意した一言が、
「そもそも支援、支援って言いますけど、本当にこの子に支援が必要なんですかね?小学校に向けてって何ですか?別にここにいる時に吃音も出ないし。吃音があるって言われても、この教室内で出してくれない限り、こっちとしても支援のしようがないんですよね。むしろ支援が必要っていうのは、そっちの子みたいな子のことを言うんじゃないんですか?」
というものでした。
保険の効く病院内のことばの教室を探し、待機期間を経てようやく通い始めた母親が、その教室を辞めると決めた場面の記録です。書き留められているのは、担当者の説明の中身そのものでした。教室のなかで吃音が出ないなら支援のしようがない、という説明に対し、この母親は、緊張しているときほど吃音が出ず、力の抜けた場面でこそ出るタイプなのだと理解していました。同じ事実から、担当者は「支援は要らない」を、母親は「この場の作り方を考えてほしい」を引き出しています。結果的に通ったのは2か月ほどでした。この母親は記事の最後に、あくまで自分と娘には相性が悪かっただけで、この言語聴覚士に救われている人も多くいるはずだ、と留保を置いています。堅田らの研究が「解説や助言内容から判断していた」と書いたのは、この判断の作られ方のことです。
出典: 娘と吃音の話③〜ことばの教室〜(病院内)(note)(台帳: V0106)
相談先が見つかりにくい事情も、公的な資料に書かれています。幼児の吃音の相談が寄せられるのは保健センター、幼稚園・保育園・認定こども園、小児科、耳鼻咽喉科、ことばの教室など多岐にわたるものの、言語聴覚士がいない施設がほとんどだと説明されています。専門家をすぐには増やせないため、現状では一般の相談・診療機関が吃音の詳しい説明や経過の見守りを担当し、必要を見極めて治療のできる施設へ紹介する、という連携が必要だとされています。この連携には治療開始が遅くなる欠点がある、とも同じ資料が認めています。
ここから言えるのは、ひとつの窓口で合わなかったことを、自分の運のなさや相手の力量の問題として閉じなくてよい、ということです。窓口が多岐にわたり、そのほとんどに専門職がいない、という構造のほうが先にあります。
語ることが、だれかの支えになる
研究の最後の所見は、時間の経過とともに起きる変化でした。会への参加を続けた保護者は、やがて情報を意味のあるものとして受け取るようになり、自分の体験を語ることが他の人の支えになると知って喜びを見出し、それまでの子育てを肯定できる働きもあった。さらに、わが子の姿を通して吃音を社会に知ってもらうことの意義を見出していた、と書かれています。
吃音のある子の母(当事者団体のつどいスタッフ/小学校のことばの教室の学習会に招かれ、参加した母親たちの質問に答えたもの)
まず、生まれるまでの話ですが、故意に吃音になるよう望む親は無いと思いますから、吃音児として生まれてきたのは母親のせいではないです。残念ながら神様の気まぐれなんでしょうね。
育てる過程では、吃音のことがよくわからず間違った対応をしていたとか、傷つくような言葉を言ってしまったとか、イライラして当たってしまったとか…いろいろあることと思います。私もそうでしたから…。
小学校のことばの教室が開いた吃音の学習会に、経験者として招かれた母親が、参加していた母親から出た「親の立場からして、自分を責めたことはありますか」という質問に答えている場面です。答えは一般論から始まりません。生まれるまでの話と、育てる過程の話を分け、後者については自分にも間違った対応があったと認めたうえで続けています。この人はさらに、「自分を責めること」と「失敗」「後悔」の違いを整理し、後者は許しを請う・誠意をもって対応する・次に生かす、という切り替えができるが、責めはそれができずに自分の中で行き止まりになった状態ではないか、と語っています。そのうえで、吃音の部分だけを見るのではなく子ども全体を見てほしい、と答えを結んでいます。質問した側が受け取ったのは、正解ではなく、同じ道を通った人の整理の仕方でした。研究が「自分の体験を語ることが他者への支援となる」と書いたのは、こういう場面のことです。
出典: 親御さん体験談(NPO法人全国言友会連絡協議会「小中高校生の吃音のつどい」)(台帳: V0074)
この「語ること」が支援になりうる背景には、子ども自身にも同じ方向の取り組みがあることがあります。学齢期の子どもがからかいや仲間からの否定的な反応に直面する場面について、臨床の場で使える方略をまとめた論文では、からかいへの受け答えを一緒に考える問題解決の活動と、教室で仲間に吃音を説明する取り組みが挙げられています。自分のことを自分の言葉で伝える、という方向は、親の会で親がしていることと地続きです。
学齢期になると、根拠はどうなるのか
堅田らの研究が扱ったのは保護者の側でしたが、その保護者がいちばん知りたいのは、子どもに何をしてやれるかです。ここは正直に書く必要があります——小学校に上がったあとの吃音については、根拠が薄いというのが現在の到達点です。
日本語で書かれた文献に絞って、学齢期の子どもへの治療を集めた systematic review があります。1980年1月1日から2020年7月7日までに日本語で発表された研究を二つのデータベースから探し、条件を満たした40本の論文が対象になりました。その多くは、少数の事例を追った報告や、一人の経過を詳しく追った研究でした。そこから取り出された介入プログラムは179件で、話しことばへの働きかけ、心理面への働きかけ、子どもを取り巻く環境を変える働きかけ、その他に大きく分類されています。著者らの結論は、日本で学齢期の子どもに使われている治療の見取り図は示せたが、今後はより信頼でき、体系的で、厳密な根拠を集める研究が必要だというものでした。
国際的な状況も似ています。子どもと10代の吃音への介入を対象にした systematic review は、就学前の子どもについては、保護者が担い手になるリッカム・プログラムを最高の等級(Grade A)と評価しました。一方で、年長の学齢期の子どもと10代を対象にした無作為化比較試験(参加者をくじ引きのように振り分けて効果を比べる、いちばん確からしい調べ方)は1件も見つからず、この年齢層の根拠の水準は「乏しい」と評価されています。著者らは、この年齢層をこそ今後の研究の焦点にすべきだと提言しています。
さらに、この年代では治療そのものが扱いにくくなるとも書かれています。学校の年齢にさしかかると介入は効きにくくなり、いったん良くなっても戻りやすい。そして年齢が上がるにつれ、使われる介入の重心は吃音をなくすことよりも、吃音を最小にして自分で制御することへ移っていくとされています。小学生の時期は、のちの心理的な問題の起点が生じうる時期でもある、とも指摘されています。
まとめると、就学前と学齢期では、拠りどころにできる根拠の厚みが違います。学齢期の相談で「これが標準です」という答えが返ってこないとしたら、それは相談先の力量の問題ではなく、根拠の側がまだそこまで届いていないからです。
保護者が陥りやすい3つの落とし穴
落とし穴1 − 自分を責める材料ばかりが手元に集まる
堅田らの研究が最初に挙げた所見は、母親が養育の問題を指摘する情報にとらわれやすいというものでした。調べるほど自責の材料が増えるなら、集め方のほうを疑ってよい場面です。発症の要因の7割以上は遺伝によるもので、育て方が原因だとする説は否定されています。保護者の接し方のまずさが原因で子どもに吃音が生じるわけでは決してない、とも明記されています。それでも家族や親戚から指摘されることがあるのは、間違った考えを今も信じている人が多いからだと公的な資料が書いています。
落とし穴2 − 母親ひとりが全部を引き受ける
この研究は、父親から支えられている感覚が強い母親ほど、子育てのなかでの孤立感が低いことを示しています。そして父親の側にも、母親を支えてこなかったという反省と罪悪の感情が共通してあった、と報告されています。就学前の子どもへの代表的な方法は、いずれも保護者が家庭で毎日実行する設計です。実務が家庭に置かれている以上、誰がどれを担うかを最初に分けておくほうが現実的です。
落とし穴3 − 相談先が合わなかったことを、自分の責任にする
母親が専門家への信頼を、解説や助言の中身から判断しているという所見は、逆に言えば、その中身が薄ければ信頼が育たないということです。相談が寄せられる窓口は保健センター・園・小児科・耳鼻咽喉科・ことばの教室など多岐にわたる一方、言語聴覚士がいない施設がほとんどだ、という構造が先にあります。合わなかったときに次を探すのは、わがままではなく、この構造への現実的な対応です。
あわせて、日々の様子を短く記録しておくと、次の相談先にこれまでの経過を伝えやすくなります。記録は経過を見える化して継続的に見守るための支援であって、それ自体が治療ではありません。気になる状態が続くときは、言語聴覚士のいる医療機関やことばの教室への相談を優先してください。
よくある質問
堅田利明さんはどんな人ですか?
この記事で一次資料から確認できるのは、関西外国語大学に所属し、広島大学学術院の川合紀宗とともに「吃音のある子どもをもつ保護者の養育態度に関する研究」を学術誌『音声言語医学』61巻2号(2020年・140〜157ページ)に発表した研究者である、という範囲です。それ以外の経歴については、本人が公表している情報にあたってください。この記事では、確認できない事柄は扱いません。
堅田利明さんの吃音の研究は、何を明らかにしたのですか?
吃音のある子どもをもつ父親・母親にグループでの聞き取りを行い、吃音の症状をどう受け止めているか、子育てのなかでどんな心情を抱えているか、配偶者の態度と行動をどう受け止めているか、そして専門家の介入や親の会への参加がどう影響したかの一端を明らかにした、と報告されています。母親の罪悪の感情と将来への不安、父親の反省と罪悪の感情、父親の支えと母親の孤立感の関係、専門家への信頼の作られ方、親の会の時期による受け取りの変化が、主な所見です。
吃音は親の育て方が原因なのでしょうか?
いいえ。発症の要因の7割以上は遺伝によるもので、育て方が原因だとする考え方は否定されている、と学会誌の総説が書いています。保護者に向けた公的なポータルサイトも、保護者の接し方のまずさが原因で子どもに吃音が生じるわけでは決してない、と明記しています。原因は完全には解明されていませんが、子ども自身の素因と環境の要因がある条件で組み合わさったときに生じるのではないか、という見立てが示されています。
親の会や自助団体には、参加したほうがいいのでしょうか?
参加の効果を測った研究ではないため、勧める・勧めないを断定することはできません。ただしこの研究は、自然に治ることを期待している時期には情報を聞き入れがたく感じる場合があった一方、その後は情報を意味のあるものとして受け取り、自分の体験を語ることが他の人の支えになると知って喜びを見出し、それまでの子育てを肯定できる働きもあった、と報告しています。合わないと感じた時期があっても、それが最終的な答えとは限らない、ということです。
小学生になってからの吃音には、どんな治療の根拠がありますか?
正直に言うと、就学前に比べて根拠は薄いのが現状です。日本語の文献40本を集めた systematic review は、日本で学齢期の子どもに使われている治療の見取り図は示せたものの、今後より信頼でき体系的で厳密な根拠を集める研究が必要だと結論しています。国際的な systematic review でも、年長の学齢期の子どもと10代を対象にした無作為化比較試験は1件も見つからず、この年齢層の根拠の水準は「乏しい」と評価されています。からかいへの対応や、教室で仲間に吃音を説明する取り組みといった方略は、臨床の場で使えるものとして提示されています。
まとめ
- 「堅田利明 吃音」で確認できる一次資料は、関西外国語大学の堅田利明と広島大学学術院の川合紀宗による「吃音のある子どもをもつ保護者の養育態度に関する研究」(『音声言語医学』61巻2号・2020年)です。吃音のある子どもをもつ父親・母親へのグループでの聞き取りを分析した研究です。
- 母親は養育の問題を指摘する情報にとらわれやすく、罪悪の感情や将来への不安を高めていました。ただし、発症の要因の7割以上は遺伝によるもので、育て方が原因だとする説は否定されています。保護者の接し方のまずさが原因で吃音が生じるわけでは決してない、とも明記されています。
- 父親には母親を支えてこなかった反省と罪悪の感情が共通してあり、父親から支えられている感覚が強い母親ほど孤立感は低いという関係が示されました。就学前の代表的な方法はいずれも保護者が家庭で毎日実行する設計なので、この差は実務に直結します。
- 母親は専門家への信頼を解説や助言の中身から判断していました。相談窓口は多岐にわたる一方、言語聴覚士がいない施設がほとんどだという構造があります。
- 親の会への参加は、自然に治ることを期待している時期には聞き入れがたく、その後は体験を語ることが他の人の支えになると知って喜びを見出す方向へ変わっていました。
- 学齢期の治療については、日本語文献40本を集めた報告も、国際的な報告も、根拠がまだ足りないという同じ結論を出しています。相談先で明快な答えが返ってこないときは、根拠の側の現状を思い出してください。