まず結論から
- 吃音の治療薬として承認された薬は、まだ1つもありません。米国での承認薬が無いことは総説が明言しており、日本語の解説も、吃音を適応として保険に収載されている薬は無いと書いています。
- 「飲めば治る薬」という話は新しいものではありません。1世紀前の自伝にも、広告で見た「吃音矯正」の薬を親が買ってきた場面が残っています(台帳: V0501)。
- 現在の治療の中心は薬ではなく、周りの話し方や場面を整えること、ことばの訓練、カウンセリング、心理療法・行動療法だとされています。
- 幼い子どもへの働きかけについて、条件を決めて研究を集めまとめて評価したレビューもあります。ただし、まとめられた4つの試験に参加した子どもは2〜6歳の151人で、根拠の確かさは「きわめて低い」と評価されています。
- 当事者団体の指針は、工夫を学んで付き合い方を変えることはできても治すものではない、と書いています。同じ指針は、誰かが「克服した」「治した」という文脈で吃音を扱わないでほしいとメディアに求めています。
ただし、ここに並べたのはどれも現実の人について調べられたことで、特定のゲームや登場人物を説明するものではありません。作品の中の話し方や設定は作り手が選んだものであって、診断でも治療の記録でもないからです。この記事は作中の人物に病名をつけず、せりふや設定にも立ち入りません。
好きな作品の名前が、言えないことがある
ゲームやアニメが好きな人にとって、その名前は自己紹介の材料です。ところが吃音のある子どもにとっては、その一語がいちばん難しい場面になることがあります。作品と吃音が交わるのは、画面の中だけではありません。
吃音の啓発活動に取り組む当事者の講演を伝えた新聞記事の地の文(本人が講演で語った小学3年生のときの体験を、記者がまとめた部分)
國場さんは5歳から吃音が始まった。講演会で取り上げた体験の一つが小学3年の新学期の出来事。好きなアニメのタイトルと一緒に自己紹介する際につっかえてしまい、口に出したのは好きではないアニメだった。
新学期の教室で起きたのは、言えなかったという出来事だけではありませんでした。言えない語を避けた結果、口から出たのは、本当は好きではないほうの題名だったのです。記事は続けて、本人の言葉として「恥ずかしい思いをした上に、うそを言ったという罪悪感」を引いています。好きなものを言う場面で、好きではないものを言ってしまう——これは、外から見れば「ちょっと言い間違えた子」にしか見えません。この人は現在、吃音の啓発活動に取り組み、同じ講演の場で、ゆったり構えて聞いてもらいたい、話し方ではなく話す内容に耳を傾けてくれるとうれしい、と呼びかけています。言いにくい語を避けて別の語に置き換えることは、外から気づかれにくい振る舞いとして当事者団体の指針にも挙げられています。
出典: 「ゆったり構えて聞いてほしい」 吃音の当事者、聞き手の理解が安心感に(沖縄タイムス)(台帳: V0420)
言いにくさが場面で変わることは、学会の解説にも書かれています。状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりすることが吃音の特徴として挙げられ、歌うときや2人で声を合わせるとき、独り言のときなどは一時的に流暢になる人が多いとされています。同じ解説は、調子の良い状態や悪い状態が数週間から数か月にわたって続く人も多く、この変動を(調子の)「波」と呼ぶと述べています。
そして、周りの子が気づき始める時期にも目安があります。学会の解説によれば、4歳くらいになると本人が「言いにくい」「他の子の話し方と違う」と気づき始め、周囲の子どもも違いを不思議に思う時期になって、「なんで『あああ』ってなるの?」というような指摘が始まることがあります。こうした指摘をきっかけに発話に力が入り、声が出しにくくなったり、体を動かしながら話そうとしたりする子も出てくる、とも書かれています。画面の中の話し方が気になるより先に、教室で自分の話し方を指摘される——現実の側では、この順番のほうが先に来ます。
「薬で治る」という話は、物語の中だけのものではなかった
物語の中で吃音が消えるとき、きっかけはたいてい一つの出来事です。薬を飲む、道具を手に入れる、決定的な一言をもらう。話としては気持ちよく収まりますが、同じ形の話は現実の側にも昔からありました。売られていたのは、物語ではなく商品です。
明治から大正にかけて生きた人物が、自伝の中で幼少期を振り返った部分(青空文庫で公開されている『自叙伝』・本人の一人称)
その吃るたんびに母に叱られて殴られたこともやはり前に言った。
父はそれを非常に心配して、「吃音矯正」というような薬を本の広告で見ると、きっとそれを買って僕にためして見た。が、いつもその効は少しもなかった。
本を開けば「吃音矯正」の薬の広告が載っていた時代がありました。心配した父親は、見つけるたびにそれを買ってきて、子どもに試したと書かれています。結果は、いつも変わらなかった。同じ自伝には、母親が吃るたびに叱り、殴ったことも記されています。ここで並んでいるのは、治そうとする側の熱心さと、その熱心さが子どもに向くときの形です。書き手は同じ箇所で、言いたいことがなかなか言えないのでじりじりする、人が笑っていると自分の吃るのを笑っているのではないかと気を回す、といった影響についても書いています。効かない薬が売られていたこと自体は、医学の側も記録しています。
出典: 大杉栄『自叙伝』(青空文庫)(台帳: V0501)
吃音の薬物療法を整理した総説は、原因の考え方の歴史をこうまとめています。かつて吃音は喉(喉頭)や舌の形の異常によるものだと考えられ、その部位への外科的な処置や薬品を使った処置が行われたが、症状は良くならなかった。20世紀の初めになって、脳の働きの問題として捉える見方が現れた、と続きます。同じ総説は、その後に広まった精神分析の説明——幼い時期の親子のやりとりで解決されなかった葛藤の現れだとする見方——について、それが吃音への偏見を強めてしまった、とはっきり書いています。
では現在はどうか。同じ総説は、吃音の治療薬として米国で承認された薬はまだ1つも無いと明言しています。日本語の解説も、吃音に有効性が確立された薬物はないとしたうえで、3分の1程度の症例に有効だと報告されているものはあること、しかし吃音を適応として保険に収載されている薬はないことを書いています。「効く薬がある」と「治す薬がある」は、まったく別の話です。
それでも薬にたどりつく人がいる
承認薬が無いという事実は、薬を試した人がいないという意味ではありません。人前で話さなければならない時期に差しかかったとき、自分で病院を探して薬を出してもらった人の記録があります。
投薬を2年間試した当事者本人の記録(大学の研究室に所属していた時期のことを振り返った個人ブログ note)
それから、服用し続けるとだんだん体が慣れていって効かなくなっていきます。最初は弱めの薬だったのに次第に強くしていったのはそういうことです。デパスにしてからも効かなくなっていったので、私はOD気味に何錠も飲んでしまいました。薬を飲むと安心する+効かないので何錠も飲む、の悪循環でやばいです。
この人が薬を探し始めたきっかけは、研究室でのプレゼンと学会でした。精神科を訪ね、吃りながら事情を説明して処方を受けた、と同じ記録に書かれています。2年のあいだに起きたことは、飲む量が増えていったこと、眠気で意識がはっきりしない時間が増えたこと、プレゼンの前に飲んだのに気がついたら玄関で寝ていたことでした。最終的に薬をやめた理由は副作用で、突然やめたために強い離脱症状が出たので、医師に相談してからやめたほうがよい、と本人が書き添えています。記録の末尾には、自分とは違って副作用が小さい人もいるだろうから試すときは自己責任で、という一文も置かれています。ここで起きていることの一部は、研究の側でも同じ向きで報告されています。
出典: 吃音改善のためにSSRIと抗不安薬を飲んだ話(note)(台帳: V0297)
総説が並べているのも、効果と副作用の両方です。1980年の研究で、脳内のドーパミンという物質の働きを抑える古いタイプの薬が、話すことに関わる脳の活動を高めて流暢さを改善したと示されました。ところが同じ薬は、不快感・性機能の障害・体のこわばりや震えといった副作用のために、長く飲み続けることが難しいとされています。より新しいタイプの薬でも、効果が示された一方で、ホルモンの値が上がることや体重が増えることが挙げられています。いま承認をめざして治験が行われている薬もありますが、まだ小規模な段階です。
さらに、この総説がいちばん率直に書いているのは、薬が承認されない理由のほうです。有益性を示す研究は積み重なっているのに承認薬が出ないのは、数億ドル規模の承認手続きに投資しようとする企業が現れないからだ、と述べています。効果が示されてきた薬はすでにすべて後発品(ジェネリック)になっていて特許の延長も無いため、承認を申請する経済的な動機が存在しない、とも書かれています。「承認薬が無い」は「効く仕組みが何も分かっていない」とは違い、「治す薬が見つかった」とも違います。日本語の解説も、吃音が原因となった二次的な抑うつや社交不安障害には薬物療法が行われることもある、という書き方をしています。特定の薬の話は吃音とパキシル(SSRI)の記事で個別に扱っています。
名前を知るまでに、何年もかかることがある
作品をきっかけに「吃音」という言葉にたどり着く人がいます。それは裏を返せば、たどり着くまでのあいだ、その人は名前のないものを抱えているということです。
25歳の会社員への一次インタビュー(吃音の当事者向けメディア。聞き手の質問行を含む一問一答)
吃音を自覚した年齢は?
保育園の頃です。きっかけは同級生の男の子に「なんで君は繰り返して『たたた』っていうふう喋るの?」と聞かれて。
僕は他の人に、そういうふうな喋り方だって聞かれてると自覚しました。
自覚のきっかけは、自分の感覚ではなく他人の質問でした。そのときは「吃音」という名前を知らなかった、とこの人は続けます。名前を知ったのは中学3年生のとき。小学校のあいだは、なぜそうなっているのか分からないまま「これ、どういう罰ゲームかな?」と思っていた、と語られています。誰にも言わなかった——友達にも、親にも、学校の先生にも。担任が母親に伝えていたことも、親が言葉を知っていたことも、本人はずっと知りませんでした。名前を知る前に起きているのは、教室での毎日のほうです。学齢期の子どもについて、日本語の解説は、吃音のある子の過半数が笑われたりからかわれたりしており、それによって自尊感情の低下や不登校などの二次的な問題が生じやすくなると書いています。
出典: たっつーさんインタビュー(吃音当事者のインタビューサイト)(台帳: V0193)
名前を伏せておく対応は、いまは勧められていません。学会の解説は、昔は「吃音に気がつかせない方がよい」という対応が主流だったが、今はその考え方は否定されている、と書いています。代わりに勧められているのは、心配そうな表情をせずに話の内容に耳を傾けること、親子で吃音について話ができる関係をつくること、そして「どもってもよいから、たくさんおしゃべりしてね」というメッセージを伝えることです。
幼児期に何をするかも、具体的に書かれています。日本語の解説は、幼児期は意識的に発話を修正できないため、まず周りの環境を整えること——周囲の人がゆったりと楽に話し、吃るかどうかではなく内容を聞くように努めること——を挙げています。吃ると笑ったり真似をしたりする子がいる場合は、保育園や幼稚園の先生にも協力を求め、「わざとそうしているのではない」と説明してもらうように、とも書かれています。作品の中で一気に解決する場面の代わりに、現実の側に置かれているのは、この地味な段取りのほうです。
薬ではないほうで、どこまで確かめられているのか
では、薬を使わない働きかけのほうはどうなのか。就学前の子どもについて、条件を決めて世界中の試験を集め、まとめて評価したレビューがあります。
このレビューは、条件に合う無作為化比較試験(参加者をくじ引きのように振り分けて比べる試験)を4つ見つけ、いずれも、保護者が家庭で行う方法を言語聴覚士が指導していく「リッカムプログラム」と、順番待ちの状態にある子どもたちとを比べたものでした。4つの試験に参加したのは、2歳から6歳の151人です。プログラムでは保護者と子どもが診療所で言語聴覚士に会い、保護者が家庭でのやり方を教わります。
結果として、どもる回数の割合はプログラムを受けた側のほうが低くなっていました。ただし、原典はこの結果の根拠の確かさを「きわめて低い」と評価しています。理由も書かれていて、4つの試験のうち3つで結果が偏りうる問題が見つかったこと、そして、このプログラムは本来1〜2年かけて行うものなのに、どの参加者もデータを取った時点ではプログラムを終えていなかったことが挙げられています。長期の追跡を報告した試験は1つだけでした。
日本語の解説のほうは、治療の中心は、周りの人の接し方や場面のほうを変えること、ことばの訓練、カウンセリング、心理療法・行動療法であるとし、どの患者にも一様に有効な治療法は無いので、患者に応じてしばしば組み合わせて行うと書いています。学童期については、吃る不安があると話すことが意識的になり、そのために言葉がなめらかに出なくなり、さらに意識的になる、という悪循環が起きると説明されています。物語が一回の出来事で片をつけるところを、現実の側は組み合わせと時間で扱っている——ここが、いちばん大きな食い違いです。
キャラクターの話し方が気になったとき・自分の話し方が気になったとき
まず、画面の中の人物について。作品の中の話し方から現実の診断名を決めることはできません。この点はアニメ・漫画の吃音の記事にまとめてあります。アニメの描写を当事者がどう受け止めているかは吃音のアニメキャラの記事、映画の演技と実際の症状の重なりは映画『IT』のビルと吃音の記事で扱っています。
次に、実在の配信者や声優について。本人が自分から公にしていない限り、話し方の印象から誰かの健康の話を推し量って広めることは、その人の情報を本人の手から離すことになります。当事者団体の指針は、誰かの吃音を「今日は特に調子が悪い」と評さないよう求め、その人はただ話しているだけなのだから、と書いています。配信の場で本人が自分から語った例については、吃音でも配信はできる?の記事で扱っています。
感想や二次創作を書くときの言葉づかいについても、同じ指針が具体的に書いています。吃音に「苦しんでいる」「冒されている」と言う代わりに「その人は吃る」と書くこと、吃音を「打ち負かす」「克服する」と言うのを避けること(治せるものではないため)、物事が滞ったり失敗したりする様子を表すのに吃るという語を使わないこと。同じ指針は、吃音は弱さでも欠陥でもないこと、呼吸のしかたが悪いなど本人が何か間違ったことをしているから起きるのではなく神経に関わるものであること、緊張しているから吃るのではないこと(緊張して見えるとすれば、それは話し方を繰り返し笑われてきたからであることが多い)も、事実として並べています。
最後に、自分や家族の話し方が気になった場合の行き先です。学会の解説は、楽に話しやすくなるように周囲の環境を整える方法、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法などを年齢や状態に合わせて行うとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談しましょうと書いています。学校や職場については、2016年に施行された障害者差別解消法により吃音に対する差別的言動・差別的扱いが禁止されており、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった調整——法律の言葉では合理的配慮、本人の申し出に応じて学校や職場が行う手当てのことです——を求めることができるとされています。その際に医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があることも添えられています。相談先の探し方は吃音と言語聴覚士の記事にまとめています。
次のようなときは、様子を見るだけにせず、相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- ゲームや動画をきっかけに、自分や家族の話し方が気になって離れない
- 話しにくさのせいで、発表・音読・電話・ボイスチャットなどを避けはじめている
- 子どもが「自分の話し方をまねされた」「笑われた」と話している
この3つは、相談を考えるきっかけとして一般的に挙げられるもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。
ゲームの中の吃音をめぐって陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 作中で「治った」ことを、現実の見通しとして受け取る
物語の中では、薬や一つの出来事で話し方が変わります。現実の側では、吃音の治療薬として承認された薬はまだ1つもなく、吃音を適応として保険に収載されている薬もありません。当事者団体の指針も、工夫を学んで付き合い方を変えたり、場合によっては和らげたりはできるが治すもの(cure)ではない、と書いています。作品の筋書きを現実の見通しに置き換えると、待っていれば解決するはずのものが来ない、という受け取り方につながります。
落とし穴2 − 登場人物の話し方を真似して、遊びに使う
キャラクターの口癖を真似するのは、ゲームや配信ではありふれた楽しみ方です。ただし、吃音に似た話し方がその対象になったとき、割を食うのは画面の外にいる人です。日本語の解説は、吃音のある子の過半数が笑われたりからかわれたりしていると書いており、園で吃ると笑ったり真似をしたりする子がいる場合は、先生から「わざとそうしているのではない」と説明してもらうように勧めています。当事者団体の指針も、吃音が長いあいだ笑いを取るために使われてきたこと、そうした型にはめた描き方が現実の帰結をもたらすことを述べています。
落とし穴3 − 気になったまま、名前も相談先も分からない時間が延びる
名前にたどり着くまでに10年近くかかった記録があります(台帳: V0193)。その間に起きるのは、誰にも言わないまま場面を避けていくことです。学会の解説は「吃音に気がつかせない方がよい」という昔の対応が否定されたとしたうえで、親子で吃音について話ができる関係づくりを勧めています。気になったことがあるなら、いつ・どんな場面で話しにくかったかを書き留めておくと、相談に行くときに自分の状態を説明しやすくなります。まずは記録するところから始め、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室に相談できる場合はそちらが確実です。
よくある質問
ゲームのキャラクターが吃音かどうかは、どうやって確かめればいいですか?
作り手が自分から公にしている記述があるかどうかを見るのが確実です。公式が何も書いていない人物について、話し方の描写から吃音かどうかを決めることはできません。作品の中の話し方は作り手が選んだ描写であって、診断ではないからです。現実の吃音は、状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりし、調子の良い時期と悪い時期が数週間から数か月続くこともあるとされています。
作中で薬を飲んで吃音が治る描写がありましたが、現実にもそういう薬はありますか?
吃音の治療薬として承認された薬は、まだ1つもありません。日本語の解説も、有効性が確立された薬物はないこと、吃音を適応として保険に収載されている薬はないことを書いています。ただし、吃音が原因となった二次的な抑うつや社交不安障害に対して薬物療法が行われることはあるとされています。当事者団体の指針も、工夫で管理したり和らげたりはできても治すものではない、としています。
効果があると報告されている薬もあると聞きましたが、なぜ承認されていないのですか?
総説は、有益性を示す研究が積み重なっているのに承認薬が出ない理由として、数億ドル規模の承認手続きに投資しようとする企業が現れないことを挙げています。効果が示されてきた薬はすでに後発品になっていて特許の延長も無いため、承認を申請する経済的な動機が存在しない、とも述べています。なお、効果が報告されている薬にも、体のこわばりや体重増加といった副作用が挙げられています。
子どもの吃音には、薬ではなく何をするのですか?
日本語の解説は、治療の中心は、周りの人の接し方や場面のほうを変えること、ことばの訓練、カウンセリング、心理療法・行動療法であるとし、幼児期はまず周囲の人がゆったりと楽に話し、吃るかどうかではなく内容を聞くように努めることを挙げています。就学前の子どもを対象に、条件を決めて研究を集めまとめて評価したレビューは、保護者が家庭で行う方法を指導するプログラムと順番待ちの群を比べた4つの試験(2〜6歳の151人)をまとめていますが、根拠の確かさはきわめて低いと評価されています。
ゲームや配信をきっかけに「自分も吃音かもしれない」と思いました。どこに相談すればいいですか?
学会の解説は、周囲の環境を整える方法、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法などを年齢や状態に合わせて行うとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談しましょうと述べています。学校や職場では、発表や電話応対の免除、試験等での面接時間の延長といった調整を求めることができるとされており、その際に医師の診断書や言語聴覚士の報告書の提出などが求められる場合があります。
まとめ
- 吃音の治療薬として承認された薬はまだ1つもなく、吃音を適応として保険に収載されている薬もない。「効果が報告されている薬がある」ことと「治す薬がある」ことは別。
- 「飲めば治る薬」は物語の中だけの話ではなかった。広告で見た「吃音矯正」の薬を親が買ってきた場面が1世紀前の自伝に残っており(台帳: V0501)、喉や舌への処置が効かなかったことは総説も記録している。
- 薬を試した人の記録もある。飲む量が増え、副作用でやめ、突然やめたために離脱症状が出たという2年間の経過が書かれている(台帳: V0297)。総説も効果と副作用を両方並べている。
- 薬ではないほうも万能ではない。就学前の4試験・151人をまとめたレビューは、どもる回数の割合が低くなったとしつつ、根拠の確かさをきわめて低いと評価している。治療の中心は、周りの接し方や場面を変えること・ことばの訓練・カウンセリング・心理療法/行動療法とされる。
- 名前を知るまでに何年もかかることがある(台帳: V0193)。「気がつかせない方がよい」という対応は否定されており、気になったら小児を扱う言語聴覚士やことばの教室に相談を。