まず結論から
- 吃音の中核となる症状は3つあります。音のくりかえし(連発。「か、か、からす」)、引き伸ばし(伸発。「かーーらす」)、そして言葉を出せずに間があいてしまう状態(難発・ブロック。「・・・・からす」)です。文字や字幕で書き表しやすいのは最初の1つだけです。
- 思春期以降は、連発や伸発よりも難発が中心になっていきます。言葉が出ない瞬間に何が起きているかは、聞き手が見聞きできる部分ではなく、話している本人だけが感じ取っている感覚だと整理されています。
- 緊張しているから吃るのではありません。英国の当事者団体は、緊張して見えるとすれば、それは話し方を繰り返し笑われてきたからであることが多いと書いています。
- 症状の重さは日・週・月の単位で揺れます。学会の解説も、調子の良い状態や悪い状態が数週間から数か月続く「波」があると述べています。
- 同じ団体は、テレビ・ラジオ・映画で吃音の声が聞こえるようにしてほしい、ただし誰かが吃音を「克服した」「打ち負かされた」「治した」という文脈でではなく、と求めています。
ただし、ここに並べたのはどれも現実の人について調べられたことで、特定の作品や登場人物を説明するものではありません。画面の中の話し方は作り手が選んだ演出であって、診断ではないからです。この記事は登場人物に病名をつけず、作品の筋や場面にも立ち入りません。
映画の中の吃音には、繰り返し出てくる型がある
「あのキャラクターは吃音なのか」という問いは、たいてい一行で片づけられます。けれど、吃音のある人が同じ画面を見るとき、見ているのは一人の登場人物ではなく、いくつもの作品に共通する「型」のほうだったりします。
吃音のある書き手の声(映画の感想として書かれた連番エッセイ/個人ブログ note)
こうして各作品を挙げていくと、三作品に共通するのは、
『主人公が「吃音によって想いを口に出しにくい」という鬱屈が起点になって、「表現活動( ” フィギュアスケート ” ” 歌 ” ” ラップ ” )を始める」という構造』。
この書き手は、主人公に吃音があるとされる映画を3本並べ、話しにくさの鬱屈が起点になって表現活動へ向かう、という同じ骨組みを見つけています。そのうえで、表現活動の会得や達成がゴールになる作品もあれば、それがゴールたり得ない作品もあると書き添え、ほかの表現方法を得たところで「喋りにくい日常」が変わるわけではないというのが現実だから、と理由まで置いています。同じ回の文章には、楽器を趣味にしていた頃に知り合ったプロの音楽家から掛けられた言葉や、症状が出るときは体力の面でも精神の面でもしんどい、という一文も並んでいます。物語として気持ちよく収まる筋と、その筋の外に残るものを、同じ人が同時に書いているわけです。作品を入口にして吃音を論じた日本語の文献もあり、東北大学の研究者は、英国王とその言語療法士を描いた2010年の映画を題材に、発話と、障害としての吃音を神経科学の視点から検討したと述べています。
出典: Vol.59 私が心打たれる『吃音映画』の構造。(note)(台帳: V0300)
作り手の側にも、同じ型への居心地の悪さが語られています。英国の当事者団体のページには、吃音のある映画監督が、自分が見てきた吃音についての映画のほとんどは「克服」の弧か、背負うべき重荷としての吃音を描くものだった、と語る一節が載っています。同じページには、ある映画の脚本・監督が、2023年の自作を宣伝する取材の場で自分に吃音があると自ら明かした例も挙げられています。そして同じ団体は、テレビ・ラジオ・映画で吃音の声が聞こえるようにしてほしい、ただし誰かが吃音を「克服した」「打ち負かされた」「治した」という文脈でではなく、あらゆる内容を作っているアクセントと声の豊かな模様の一部として、と求めています。
つまり、吃音のある登場人物が出てくること自体は、当事者側から見ても歓迎されています。問題になるのは、その人物が物語のどこに置かれるかのほうです。日本の作品を対象にした描写と症状の食い違いについては、漫画・アニメの吃音と実際の記事で扱っています。
あの話し方の描写は、実際の吃音と合っているのか
字幕や小説で吃音を書き表すとき、使われる手はだいたい決まっています。頭の音を何度も重ねる書き方です。実際に画面を見ている当事者は、しかし別のところを見ています。
吃音のある視聴者の声(吃音のある主人公が出てくる連続ドラマを見た感想/個人ブログ)
吃音の演技について、どうしても気にってしまうのですが、今回、主演の鈴鹿央士くんの演技については、及第点で良いのかなと思いました
唇が痙攣したり、顔が歪んだり、ちゃんと演技してましたね
ときどきあるんですよ、吃音の表現がちょっと違うなというのが
(とは言え、吃音者にもいろいろいるので、もしかしたら私が知らないだけのことかもしれません)
この人が挙げている合格点の中身は、言葉の詰まり方そのものではなく、唇や顔に出ていたものでした。同じ記事の書き出しには、子どもの頃は吃音の出てくるドラマを見ることができなかった、いまはずいぶん慣れた、という一行があります。見られるようになってからも、見方は変わらず細かい。学会の解説は、話そうとするときに手足を振ったり、まばたきをしたり、顔をしかめたり、目を固くつぶったりする、話そうとするときに出てしまう体の動きがあることを挙げています。画面に映る「うまく言えない人」らしさの多くは、実はこの部分です。
出典: 吃音の演技が気になっちゃうんですよ(通りすがりのものですが)(台帳: V0462)
では、書き表しやすい部分と、そうでない部分はどう分かれるのでしょうか。国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説は、吃音に特徴的な話し方を3つ挙げています。音のくりかえし(連発。「か、か、からす」)、引き伸ばし(伸発。「かーーらす」)、そして言葉を出せずに間があいてしまう状態(難発・ブロック。「・・・・からす」)です。このうち文字で書き表せるのは、1つ目と、せいぜい2つ目までです。3つ目は、紙の上では空白にしかなりません。
ところが学会の解説によれば、思春期以降になると症状は連発や伸発よりも難発が中心になり、それが頻繁に出ると会話そのものが難しくなります。大人の吃音の中心にあるものほど、画面では「何も起きていない時間」に見えるということです。研究の側も、言葉が出ない・制御を失うという感覚は話し手だけが感じ取っているもので、聞き手が見聞きできる非流暢さとは別だと整理しています。さらに神経科学の総説は、見えたり聞こえたりする部分は性格や場面や感情の状態で変わり、音や語を避ける・言い換える・つなぎ語を入れるといった隠し方も人によって違うと述べています。
だから、演技が「違う」と感じられることにも、演技が「迫真だ」と感じられることにも、同じ理由があります。外から見える部分は、その人の吃音の一部でしかないからです。
画面の吃音は、どうやって作られているのか
描写の良し悪しを言う前に、そもそもあの話し方はどう作られているのか。近年は、吃音のある人が現場に入って演者に伝える、という作り方が取られることがあります。
ドラマの吃音指導を担当した当事者と、役を演じた俳優の合同インタビュー(取材者の地の文を含む/ニュースメディアの署名記事)
こうして表層的ではなく、内面的な部分から吃音を捉えることで、自然に言葉が詰まる演技ができるようになったという富田。その姿勢に「すごいと思って見ていました」と驚いた滝澤さんは「“少しずつどもるほうがいい”と言っただけで、自然な感じになりますし、2回目にお会いした時には富田さんのほうから“この言葉はたぶんうまく出ないですよね?”と聞いてくれて、私が“たしかにそうです!”と思うこともあって。当事者の立場に立って真摯(しんし)に向き合っていただいているのを、すごく感じていました」と感激したそうだ。
指導を担当したのは、企業の研究所に勤めながらこの役に協力した吃音のある本人です。取材記事によれば、演者からの質問に対して、どもるときにどういう気持ちになるか、どういう場面で出やすいか、というところまで伝えたと語っています。演者の側も、単に話し方を真似るのではなく口の中の動きを聞き取り、どの文字が出にくいかだけでなく、語のまとまりとして詰まってしまうこともある、と理解を深めていったと述べています。指導の中身は発音の付け方ではなく、場面ごとの加減のほうに寄っていきました。これは、症状の重さが場面や関係性で動くという整理と同じ向きを向いています。
出典: 吃音の役に挑んだ富田望生、当事者と丁寧に作り上げて撮影に(マイナビニュース)(台帳: V0550)
ここで作られているのは「正しい吃音」ではありません。一人の人物の、その場面での出方です。神経科学の総説は、同じ人の中でも症状の重さが日・週・月の単位で揺れ、良い時期と悪い時期が数週間から数か月続くと述べています。学会の解説も、歌うとき、2人で声を合わせるとき、独り言のときなどは一時的に流暢になる人が多いこと、調子の波が数週間から数か月続くことを挙げています。一人の当事者の見え方を写しても、それは「吃音の描き方」の正解にはならない——先ほどの視聴者が「吃音者にもいろいろいるので」と自分で断りを入れていたのは、たぶん同じことです。
英国の当事者団体の指針も、流暢さに取り組む人もいれば、開かれて吃る人もいる、と両方を並べています。俳優本人に吃音がある場合の話は、ブルース・ウィリスの吃音の記事で扱っています。
映画をきっかけに、自分の話し方に名前があると知る人がいる
ここからが、作品の話ではなくなる部分です。画面の中の吃音は、娯楽の顔をしたまま、現実の入口になることがあります。それも、かなり唐突に。
バンドで作詞を担当する吃音のある本人の手記(当事者団体が運営するメディア)
「キツオン」というものがテーマの映画らしく、そのキツオンと内気という性格が何の関係があるのか。
ネットの検索欄に「キツオン」と入れてトップに出てきたページをクリックした。
読み進めるうちに、全身が心臓になったかのように私の体はバクバクと脈打つ。
全身が充血したかのように、全身の血の気が引くかのように私は正気ではいられなかった。
それはキツオンというものが完全に私が長年抱いていた恐怖の正体そのものだったからだ。
全ての症状が思い当たり、当事者全ての経験談に共感できる。そうか、私は「吃音」だったのか。
テレビから流れていたのは、英国王を描いた映画の宣伝でした。特に映画好きというわけでもないこの人にとって、それは音楽と同じように流れていくだけのものだったのに、「英国史上、もっとも内気な王」という文句が耳に入って、画面のほうを向いた——手記はそう始まります。言葉を扱う仕事をしながら思うように言葉を発音できない、という自分への受け止めも同じ段に書かれています。長年抱えていたものに名前があると知っても、それで問題が解決したわけではなかった、とも。ちなみに、その映画を題材にした日本語の解説は実際に医学の雑誌に載っています。東北大学の研究者が、史実にもとづく作品として英国王と言語療法士の交友を描いた2010年の映画を取り上げ、発話と、障害としての吃音を神経科学の視点から検討したものです。
出典: なぜ吃音であるのに自分は今こうなっているのか(HAPPY FOX・NPO法人日本吃音協会)(台帳: V0251)
名前を知るまでに時間がかかるのは、珍しいことではありません。公的研究機関の解説は、幼いうちは自分の話し方をその場限りのこととして受け止めていた子が、症状が固定化して周りから指摘される場面が増えるにつれ、言葉の出づらさをはっきり意識するようになり、その結果として話す前に不安を感じたり、話す場面に恐怖を感じたりするようになる、と説明しています。学会の解説も、発話の場面での失敗体験が重なると、話し始める前に不安や恐怖を感じ、次第に会話や社交を避けるようになると述べています。
行き先は、作品と画面の外にあります。学会の解説は、楽に話しやすくなるために周囲のコミュニケーション環境を整える方法、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法など、年齢や状態に合わせた指導があるとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談しましょうと書いています。次のようなときは、作品の感想で終わらせずに相談を考えてみてください(あくまで目安で、当てはまらなくても相談して構いません)。
- 作品を見てから、自分や家族の話し方が気になって離れない
- 話しにくさのせいで、発表・音読・電話などを避けはじめている
- 子どもが「自分の話し方をまねされた」「笑われた」と言っている
この3つは、相談を考えるきっかけとして一般的に挙げられるもので、特定の資料が「受診の目安」として定めているものではありません。相談先の探し方は吃音と言語聴覚士の記事にまとめています。
「怖がると悪化する/落ち着けば治る」という描き方について
物語の中の吃音は、たいてい感情と連動します。追い詰められると言葉が出なくなり、気持ちが決まると出るようになる。作劇としては分かりやすい仕掛けですが、原因の説明としては置き換えが起きています。
英国の当事者団体の指針は、事実の側をこう書いています。吃音は弱さでも欠陥でもなく、ただの吃音であること。呼吸のしかたが悪いなど本人が何か間違ったことをしているから起きるのではなく、神経に関わるものであること。そして、緊張しているから吃るのではなく、もし緊張して見えるとすれば、それは話し方を繰り返し笑われてきたからであることが多い、ということです。日本の学会の解説も、間違った原因論として、親の接し方が悪かった(愛情不足)ことを原因とする説や、親が吃音だと思って対応することが原因だとする説を名指しで挙げ、2000年頃以降の双子研究・脳研究・遺伝子研究によって、環境よりも生まれ持った体質的な要因が原因の多くを占めることが分かったと述べています。
では、場面によって出方が変わるように見えるのはなぜか。学会の解説は、状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりすることを吃音の特徴として挙げ、歌うとき、2人で声を合わせるとき、独り言を言うときなどは一時的に流暢になる人が多いと書いています。同じ解説は、調子の良い状態や悪い状態が数週間から数か月にわたって続く人も多く、この変動を(調子の)「波」と呼ぶとしています。神経科学の総説も、同じ人の中で症状の重さが日・週・月の単位で揺れることを、吃音の神経生物学的な基盤を突き止めにくい理由のひとつとして挙げています。
変わること自体は現実にあります。ただし、その変化は「気持ちが決まったから治った」という筋道では説明されていません。緊張と吃音の関係そのものは、吃音と緊張の記事で詳しく扱っています。
「克服した人」として語られるとき、何が落ちるのか
物語がいちばん収まりよく終わるのは、吃音が消えたときです。そしてその型は、実在の人物についても使われます。
英国の当事者団体の一覧には、吃音のある俳優が何人も並んでいますが、そのうちの一人については、演技によって吃音が「治った」としばしば報じられることを本人が否定している、という記述が添えられています。同じ一覧の別の項目では、古代ギリシャの弁論家が口に小石を含んで波の音に負けじと叫ぶことで吃音を減らした、という有名な逸話が「そうされている(supposedly)」という言い方で紹介されており、伝承として扱われています。並んでいるのは克服譚ではなく、克服譚への但し書きのほうです。
指針の側も同じことを書いています。方略を学んで吃音を管理したり、場合によっては和らげたりすることはできるが、治すもの(cure)ではない、と。また、成長すれば自然に無くなるというものではなく、生涯にわたって吃る人もいれば、そうでない人もいる、とも述べています。神経科学の総説は、子どもでは自然に症状が消えることが多く、8割以上と報告されているとしたうえで、これは大人が訓練によって得る流暢さとは違い、努力も内側の葛藤もないまま症状が完全に消えるものだと区別しています。同じ総説は、回復しやすさに関連する要因として、女児であること、家族に吃音のある人がいないこと、吃音が始まった年齢が低いこと、語音の正確さや言語の得点が高いこと、吃音の頻度が低いことを挙げています。
つまり、子どもの多くで症状が消えるのは事実ですが、それは物語の中の「乗り越え」とは別のことです。画面の外で起きているのは、努力の結末ではなく経過です。
映画の吃音をめぐって陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 − 画面に映っていた話し方を、吃音の全体像だと思ってしまう
映像で伝わりやすいのは、音のくりかえし(連発)と、話そうとするときに出てしまう顔や体の動きです。一方、思春期以降の中心になっていく難発——言葉を出せずに間があいてしまう状態——は、画面では止まっているようにしか見えません。その瞬間に何が起きているかは、話している本人だけが感じ取っている感覚だと整理されています。演技が上手いか下手かの判定より、そこに映らない部分があることのほうが大事です。
落とし穴2 − 「怖がっているから、緊張しているから吃る」と受け取る
当事者団体の指針は、緊張しているから吃るのではない、と明記しています。日本の学会の解説も、親の接し方や愛情不足を原因とする説を間違った原因論として挙げ、体質的な要因が多くを占めることが分かったと述べています。場面によって出方が変わるのは事実ですが、それは「原因は気持ちだ」という意味ではありません。
落とし穴3 − 「克服」の物語を、そのまま現実の見通しにする
指針は、方略を学んで管理したり和らげたりはできるが治すものではない、成長すれば自然に無くなるというものでもない、と書いています。子どもでは自然に症状が消えることが多く8割以上と報告されていますが、それは大人が訓練で得る流暢さとは区別されています。有名人の「治った」という報道を本人が否定している例も、当事者団体の一覧に載っています。まずは、いつ・どんな場面で話しにくかったかを書き留めておくと、相談に行くときに話が早くなります。
よくある質問
映画『IT』のビルは吃音症なのですか?
登場人物に診断名を当てることはできません。読者が見ているのは作り手が選んだ演出であって、その人の経過や困りごとではないからです。この記事は作品の解釈をせず、現実の吃音の側だけを扱っています。吃音の中核となる症状は、音のくりかえし(連発)、引き伸ばし(伸発)、言葉を出せずに間があいてしまう状態(難発)の3つとされています。
作品でよく使われる「B-b-bill」のような書き方は、実際の吃音と合っていますか?
3つある中核症状のうち、最初の音をくりかえす連発にあたる部分だけを書き表した形だといえます。学会の解説によれば、思春期以降は連発や伸発よりも、言葉が出ない難発が中心になっていきます。難発は文字にすると空白にしかならないため、書き言葉では落ちやすい症状です。
恐怖や緊張で吃音がひどくなる、という描き方は本当ですか?
状況によって症状が出やすかったり出にくくなったりすることは、吃音の特徴として挙げられています。ただし、緊張しているから吃るのではない、と当事者団体の指針は明記しています。学会の解説も、親の接し方などを原因とする説を間違った原因論として挙げ、体質的な要因が多くを占めるとしています。症状の重さは日・週・月の単位でも揺れます。
映画やドラマの吃音の演技は、当事者からはどう見えているのですか?
一つに決まりません。唇の痙攣や顔の歪みまで演じられていて及第点だと書く人がいる一方、同じ人が「吃音の表現がちょっと違う」と感じることもあると書いています。近年は吃音のある人が現場で指導に入る作り方もあり、話し方そのものより、どの場面でどれくらい出るかという加減が助言されることがあります。見え方や出方は性格・場面・感情の状態で変わるとも整理されています。
映画をきっかけに「自分も吃音かもしれない」と思いました。どこに相談すればいいですか?
学会の解説は、周囲のコミュニケーション環境を整える方法や、直接発話に働きかける方法、吃音のことを理解する方法など、年齢や状態に合わせた指導があるとしたうえで、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談しましょうと述べています。作品を入口に吃音を論じた日本語の解説も医学の雑誌に発表されており、発話と吃音を神経科学の視点から扱っています。
まとめ
- 吃音の中核となる症状は連発・伸発・難発の3つで、文字や字幕で書き表せるのは実質的に最初の1つだけ。思春期以降の中心は難発のほうに移る。
- 外から見える部分はその人の吃音の一部でしかない。言葉が出ない瞬間の感覚は話し手だけが感じ取っているものとされ、見え方は性格・場面・感情の状態で変わる。
- 緊張しているから吃るのではない。親の接し方を原因とする説も間違った原因論として挙げられている。場面差や数週間〜数か月の「波」はあるが、原因が気持ちだという意味ではない。
- 「克服」の型には但し書きがある。治すものではなく管理・軽減の話であり、子どもの自然回復(8割以上と報告)は大人が訓練で得る流暢さとは区別される。「治った」という報道を本人が否定している例もある。
- 作品は現実の入口になる。日本語でも作品を題材に発話と吃音を論じた解説があり、相談先としては小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員が挙げられている。