まず結論から
- 英国の吃音支援団体 STAMMA が公開する一覧では、ウィンストン・チャーチルの名前に疑問符が付いています。元首相であり歴史上もっとも雄弁な演説家の一人でもあった人物が実際に吃音だったのかどうかには議論がある、というのがその理由です。
- 同じ団体は、吃音があったとする側の論と、無かったとする側の論の両方を読むように案内しています。どちらか一方を採ってはいません。
- 一方、米国の Stuttering Foundation の一覧は、チャーチルを政治指導者の区分に但し書きなしで載せています。同じ名前の扱いが、支援団体のあいだで割れています。
- 学術論文にも名前は出ます。2004年に発表された総説は、その導入部で「チャーチルは吃音を避けるために、すべての公の演説を完璧になるまで練習し、想定される質問や批判への答えまで用意しなければならなかった」と書いています。ただしこれは、その論文が測った結果ではなく、導入で紹介された逸話です。
- 「左利きを右手に直されたことが原因だ」という説明は、日本でも長く言われてきた原因論の一つとして挙げられており、いまは否定されています。
ただし、これは「チャーチルに吃音は無かった」という意味ではありません。賛成する論と反対する論の両方があると案内されている、というのが分かっていることの全部です。歴史上の人物については、本人の診断記録ではなく、本人の書いたものや周囲の証言、後世の伝記を通じて伝わるため、どうしても確かめようのない部分が残ります。
「あの人も吃音だった」が、支えになるとき
歴史上の人物の名前が並んだページは、たいてい励ましのために書かれています。読む側も、たいていは励ましを受け取りに行きます。その受け取り方を、自分のブログにそのまま書き残している当事者がいます。
行政書士として働く男性の声(33歳・個人ブログ。連発8割・難発2割と自分で書いている)
実際、吃音を患った人には天才がたくさんいます。
記事冒頭で紹介した「田中角栄」、イギリスで「最も偉大な政治家」と呼ばれた「ウィンストン・チャーチル」、フランス国民の英雄となった「ナポレオン」などなど。
とにかく歴史に名を残した天才たちがたくさんいます。
もちろん、吃音症自体100人に1人の割合で存在するため、
「そんだけ吃音の人がいれば一定の割合で天才は生まれるでしょ。だから、吃音の人が特別天才かどうかは定かじゃないんでないの?」
という反論もあるでしょう。
接客の仕事で「少々右側にずれてお待ちください」が言えず、「横にずれてお待ちください」と言い換えてきた、と書いてきた人が、記事の終盤で三つの名前を並べています。目を引くのは、並べたすぐ後ろに自分で反論を置いていることです。支えにしたい気持ちと、その支えの根拠が薄いかもしれないという自覚が、同じ段落に同居しています。そして、並べられた三人の裏づけは同じではありません。田中角栄は自伝で自分の吃音について書き残しており、ウィンストン・チャーチルには本人の言葉が残っていません。名前が支えになることと、その名前がどれだけ確かめられているかは別の話で、実際、一覧を公開している支援団体のあいだでも、チャーチルの扱いは割れています。
出典: 頭の回転が早過ぎて口が追いつきません・・・【吃音症は天才の代償】(要件を言おうか)(台帳: V0370)
米国の Stuttering Foundation は、政府の指導者や公職者の区分にウィンストン・チャーチルを載せています。1940年から1945年まで、そして1951年から1955年まで英国首相を務めた政治家であり演説家で、1953年に歴史の著作でノーベル文学賞を受賞した——という紹介で、吃音そのものについての但し書きはありません。
ところが英国の STAMMA は、同じ名前の横に疑問符を付けています。元首相であり歴史上もっとも雄弁な演説家の一人でもあった人物が、実際に吃音だったのかどうかには議論がある、というのが理由です。そのうえで、吃音があったとする Stuttering Foundation の論と、無かったとする International Winston Churchill Society の論の両方を読むように案内しています。一覧に載っているかどうかだけを見ていると、この食い違いは見えません。
本人が書き残していた場合に、何が分かるのか
では、裏づけが取れている側はどう違うのでしょうか。同じ一覧によく名前が出る日本の政治家は、自分の吃音について自伝で書いています。
田中角栄さんの言葉(元首相・故人。自伝『わたくしの少年時代』1973年・講談社からの引用を、当事者団体の代表がブログで紹介したもの)
どもりとは、まったくきみょうなものだ。ねごとや、歌をうたうときや、妹や、目下の人と話すときにはどもらない。まして、かっているいぬやうまに話しかけるときは、ぜったいどもらない。が、目上の人と話すとき、ふしぎにどもる。緊張したり、せきこむと、ますますひどくなる。いくらどもりをなおす本を読んでもだめなもので、自分はどもりでないと、自分にいいきかせて自信をもつことがたいせつなのだ
1973年に出た自伝の一節です。ここに書かれているのは、後世の誰かがまとめた逸話ではなく、本人の観察でした。寝言、歌、妹や目下の人との会話、飼っている犬や馬に話しかけるとき——どこで出ないかを並べたうえで、目上の人と話すときには出る、緊張したり急いだりするともっとひどくなる、と場面ごとに書き分けています。最後の一文は、吃音を治す本が役に立たなかったという1970年代の実感であって、いまの見通しとは別のものです。大人の吃音については、現時点で治す方法は無く、どの技法も本質的に補うためのものだ、と2013年のレビューが述べています。
出典: 吃音の著名人 その生き方から学ぶ(7)(伊藤伸二の吃音(どもり)相談室)(台帳: V0443)
相手や場面によって出方が変わる、というこの観察は、いまの説明とも重なります。伴奏に合わせて歌ったり、二人で同じ言葉を同時に言ったりするように、外からタイミングが与えられる場面では吃音が消えて流暢に話せるため、吃音は発話のタイミングの問題だと言われています。思春期以降になると、繰り返しや引き伸ばしよりも、最初の音が出しにくくなる難発が中心になり、入学の面接や職場の電話応対といった場面で困りやすくなることも、学会の解説が挙げています。
大事なのは、こうした細かい観察が残っているのは本人が書いたからだ、ということです。チャーチルの項に疑問符が付いたのは、この意味での裏づけが薄いからでした。同じ一覧は別の項で、ネット上に情報はあっても裏づけとなる資料が見つからない人物には疑問符を付ける、という方針をはっきり書いています。
残っていくのは、本人の言葉より、まわりの逸話のほう
本人が書き残していても、後の世に広く伝わるのは別の部分だったりします。100年前に活動した思想家の例が、そのことをよく示しています。
大杉栄さんの言葉(思想家・故人。『大杉栄自叙伝』の一節を、書評家が引用して紹介したもの)
こう云うと人はよく笑うが、僕にはごく内気な、恥ずかしがりのところがある。ちょっとしたことですぐ顔を赤くする。人前でもじもじする。これも生まれつきであろうと思うが、吃りの影響も決して少なくあるまいと思う
同じ紹介文には、周囲から伝わってきた話も並んでいます。カ行の発音にさしかかったときの様子を書き残した同時代人の自伝。陸軍幼年学校で「下弦の月」が言えず、「上弦ではありません」と言って切り抜けたという話。借金を頼みに行って、五百円と言うつもりが言えずに三百円になってしまったという話——これは本人が自分で言いふらしていた、とも書かれています。逸話は面白いので残ります。一方、本人が自分について書いたのは、内気で恥ずかしがりだという一語と、それに吃音の影響もあるだろう、という控えめな見立てだけでした。歴史上の人物の吃音として語り継がれるのは、たいてい前者のほうです。
出典: 大杉栄『自叙伝・日本脱出記』(松岡正剛の千夜千冊 736夜)(台帳: V0502)
英国の一覧には「歴史上の人物」という区分があり、そこではアラン・チューリングが挙げられています。根拠として引かれているのは、サラ・チューリングが伝記に書いた一節です。本人の言葉ではなく、身内の記述です。
つまり、歴史上の人物の吃音がどこまで確かなのかは、何が残っているか——本人が書いたものか、同時代人の証言か、後世の伝記か——でほとんど決まります。チャーチルの場合、残っているのは演説と、彼をめぐる評価であって、本人が自分の話しにくさについて書いたものではありません。だから議論が分かれたままになり、疑問符が付いたのでした。
「左利きを右手に直されたから」という説明は、どこから来たのか
チャーチルの吃音を紹介する日本語の文章には、原因として左利きの矯正を挙げるものがあります。この言い方には出どころがあります。
利き手と吃音の関係を調べた2023年のメタ分析は、その導入部で、左利きそのものが原因なのではなく、左利きの人に右手で書くことを強いることが既存の脳の半球優位を混乱させて吃音を招くのだ、という提唱が過去にあったことを紹介しています。そしてその有名な例として挙げられているのが、生まれつき左利きで、右手で書くことを強いられ、手を替えさせられたのと同じ頃に吃り始めたとされる英国王ジョージ6世です。映画で知られたあの人物が、説明のための実例として使われてきたわけです。
日本でも同じことが起きていました。国が運営する発達障害の情報サイトは、吃音の原因として「利き手を矯正したことが悪い」「吃音を親が意識させたことが悪い」「下の子が生まれて愛情不足が原因」といった環境の要因が挙げられ、とくに養育者が原因とされてきた歴史があると整理したうえで、双子研究では吃音の原因の約8割がその子の生まれ持った体質であることが示されている、と述べています。日本吃音・流暢性障害学会も、親の接し方が悪かったことを原因とする説などを最も問題のある間違った原因論として名指しで挙げ、2000年頃以降の双子研究・脳研究・遺伝子研究によって、環境の要因よりも生まれ持った体質の要因が原因の多くを占めることが分かった、と書いています。
では、左利きの人に吃音が多いのかどうかはどうでしょうか。同じメタ分析は、利き手の分け方を変えて複数の解析を行い、分け方によって結論が変わることを示しました。右か左かの二択で分類した場合には、吃音のある人に左利きが多いという結果になります。ところが、右・混合・左の三分類で厳格に左利きとされた人だけを数えると、吃音のある人に左利きが多いという証拠は得られませんでした。どちらの手も使う混合利きについても、差の証拠は得られていません。最も多くの研究を集めた解析では差がある方向に出たものの、著者自身が、感度分析と予測区間を踏まえるとその結論は支持されない、と明記しています。
この話の詳しい経緯と、日本で実際に利き手を直された当事者の記録は、利き手矯正で吃音になる?|俗説の否定・波との混同・親の接し方にまとめています。
「克服した」という締め方と、いま相談できる場所
歴史上の人物の話は、たいてい「克服した」で終わります。演説を練習して名演説家になった、劇の役を演じて自信を得た、という形です。ただ、その締め方をそのまま自分の見通しにすると、しんどくなります。
2013年のレビューは、まとめの部分で率直にこう書いています。大人の吃音を治す方法は現時点では無く、あらゆる技法は本質的に補うためのものである、と。補うための技法は、良くなった状態を保つために使い続ける必要があります。だからこそ、どんな治療でも長期の方針を組み込み、本人が自分自身の指導者になれるように教え、長く続く相談や追跡の機会を用意することが欠かせない、とも書かれています。
日本の当事者団体の代表も、自身の歩みを振り返った文章で、最後に見つけたのは「どもりは治らない」「どもりが治らなくても生きていける」だった、と書いています。歴史上の人物の名前は、治った人の一覧ではありません。
いま話しにくさで困っているときの相談先は、はっきりしています。年齢や状態に合わせた指導を行うのは、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員です。本人が治療を希望する場合には、言語聴覚士による発話訓練を受けるという選択肢があります。発話訓練だけでは変わらない場合や、吃音への不安が強い場合には、カウンセリングや心理療法が役立つこともあります。
もう一つ、名前の一覧が果たしてきた役割に近いものが、実際の場にもあります。吃音のある人が集まる自助団体です。同じ状態にあるのは自分だけではないと知り、共通の体験を語り合うことが活動の中心で、1965年に発足した言友会が日本でもっとも歴史が古いと紹介されています。ほかの吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもある、とも書かれています。100年前の誰かの逸話より、いま会える人のほうが、たしかな手がかりになります。
歴史上の人物の吃音を読むときの3つの落とし穴
落とし穴1 − 一覧に名前があることを「診断された」と読む
公開されているのは、支援団体がまとめた一覧です。本人がインタビューや自著で語っている人もいれば、歴史上の人物のように本人の言葉が残っていない人もいます。英国の一覧が、裏づけとなる資料が見つからない人物にわざわざ疑問符を付けているのは、その差を読者に見せるためです。同じ人物がもう一方の一覧では但し書きなしで載っている、ということも起こります。名簿は診断の記録ではありません。
落とし穴2 − 「左利きを直したせいだ」と自分や家族の過去に原因を探す
左利きの矯正を原因とする説は、かつて提唱されたものとしてメタ分析の導入部に記録されていますが、利き手そのものについての解析結果は分け方によって変わり、厳格な左利きでも混合利きでも差の証拠は得られていません。日本でも、利き手矯正説や愛情不足説は過去の原因論として整理され、双子研究では原因の約8割が生まれ持った体質だと示されています。学会は、親の接し方を原因とする説を最も問題のある間違った原因論として名指しで否定しています。過去を巻き戻して犯人を探す必要はありません。
落とし穴3 − 「あの人は克服した」を自分の目標にする
大人の吃音を治す方法は現時点では無く、技法はどれも補うためのもので、使い続けることで良くなった状態を保つものだとされています。「克服」で締まる伝記を目標に置くと、続けている自分がいつまでも途中に見えてしまいます。長期の方針と、長く続く相談の機会を前提にするほうが実際に近い姿です。
まずは、どんな場面で出やすいか・そのとき何が起きたかを書き留めておくところから始めると、相談のときの手がかりになります。相談できる場合は、言語聴覚士やことばの教室に相談するのが確実です。
よくある質問
ウィンストン・チャーチルは本当に吃音だったのですか?
言い切れません。英国の吃音支援団体 STAMMA は一覧のチャーチルの項に疑問符を付け、実際に吃音だったのかどうかには議論があるとしたうえで、吃音があったとする論と無かったとする論の両方を読むよう案内しています。一方、米国の Stuttering Foundation は但し書きなしで一覧に載せています。判断が割れている、というのが現状です。
なぜ支援団体によって扱いが違うのですか?
歴史上の人物には、本人の診断記録が残っていないからです。英国の一覧は、ネット上に情報はあっても裏づけとなる資料が見つからない人物には疑問符を付ける、という方針を明記しています。同じ一覧の「歴史上の人物」の区分では、身内が伝記に書いた一節が根拠として引かれている例もあります。何を裏づけと認めるかで、扱いは変わります。
「左利きを右手に直されたから吃音になった」というのは本当ですか?
過去に提唱された説として、利き手を調べたメタ分析の導入部に記録されています。ただし、利き手そのものについての解析結果は分け方によって変わり、厳格な左利きでも混合利きでも、吃音のある人に多いという証拠は得られていません。日本でも利き手矯正説は過去の原因論として整理され、双子研究では原因の約8割が生まれ持った体質だと示されています。
学術論文にチャーチルの名前が出てくるのを見ました。根拠になりますか?
そのまま根拠にはできません。2004年の総説は、導入部でチャーチルが吃音を避けるために演説を完璧になるまで練習したと書いていますが、これはその論文が測った結果ではなく、背景として紹介された逸話です。論文に載っていることと、その論文が確かめたことは別です。
有名人の名前を見て、かえって落ち込んでしまいます。
珍しいことではありません。相談先としては、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員が挙げられており、本人が希望する場合には言語聴覚士による発話訓練という選択肢もあります。不安が強いときはカウンセリングや心理療法が役立つこともあります。また、吃音のある人が集まる自助団体で他の当事者と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るきっかけになる場合もあるとされています。
まとめ
- 英国の STAMMA はチャーチルの項に疑問符を付け、吃音だったかどうかには議論があるとして賛否両方の論を案内している。米国の Stuttering Foundation は但し書きなしで一覧に載せている。判断は割れている。
- 2004年の総説にチャーチルの名前は出るが、それは導入で紹介された逸話であって、その論文が測った結果ではない。
- 本人が書き残している場合は、場面ごとの出方まで分かる。1973年の自伝には、寝言・歌・目下の人との会話ではどもらず、目上の人と話すときにどもる、と本人の観察が残っている。
- 「左利きの矯正が原因」という説は、かつての提唱としてメタ分析の導入部に記録されているが、利き手についての解析は分け方で結論が変わり、厳格な左利きでも混合利きでも差の証拠は無い。日本でも過去の原因論として整理され、双子研究では原因の約8割が体質とされる。
- 大人の吃音を治す方法は現時点では無く、技法はどれも補うためのもので使い続ける必要がある。相談先は小児を扱う言語聴覚士とことばの教室の教員で、自助団体という場もある。