まず結論から
- 公的機関の解説はいまも「吃音(きつおん、どもり)」と併記して書き出しており、学会の解説も「吃音(きつおん、どもること)」と書き出しています。資料の側では、「どもり」は使ってはいけない語として扱われていません。
- 一方で学会は、吃音のある人の話し方を真似すると吃音になる(伝染する)という俗説と、吃音のある子とは遊んではいけないという差別があったことを明記しています。語の重さは、こうした扱いと切り離せません。
- 英国の当事者団体の語り方の指針は、吃音・吃るという語を失敗や出来の悪さの代名詞として使うのをやめるよう求め、英国の言語聴覚士の職能団体の承認を受けています。
- 医学の側の名前も動いています。米国精神医学会の診断基準は2013年の第5版で診断名を「吃音」から「小児期発症流暢症」に改め、話す場面を避けることや不安についての基準を新たに加えました。
- 専門誌に載った立場表明は、受け入れることと変えることは互いに排他的ではないとして、中心に置くべきは吃音のある人その人だと述べています。呼び方も、その人が何と呼ばれたいかから離れては決まりません。
ただし、この記事が参照した範囲には、日本で「どもり」を放送や出版で使わないと定めた公的な資料はありません。「誰がいつ決めたのか」は確かめられず、分かっているのは、当事者団体の代表が2002年に「差別語として扱われている」と書いていたこと、放送の側にいた人が「差別用語として扱ってきた」と記していること、そして同じ語を自分の言葉として使う人と重い響きを感じた人の両方がいることです。目の前の相手にどう呼ぶかは、その人に確かめてください。
「どもり」を「吃音」に直された——当事者団体の代表が残した違和感
「どもり」が差別語だとされる根拠を探しにいくと、意外なことに、決まりの文書は見つかりません。あるのは、その語を書き換えられた側の記録です。吃音のある人の自助団体を長く率いてきた当事者が、2002年の会報の巻頭言に、電話で受けた問い合わせから書き起こしています。
当事者本人の声(日本吃音臨床研究会 代表・伊藤伸二さん。会報「スタタリング・ナウ」2002年2月号の巻頭言を、自身のブログに再掲したもの)
こんな話を、どもるふたりが電話していることにまず違和感を感じた。どもる私たちが、自分自身のことを表現するのに、何故、こうも気を使わなければならないのか、誰に対して気を使うのか。
実は私もふたつ経験している。
かなり前だが、大阪府下のある学校主催の吃音相談会が開かれた。そのとき、私が原案として出した案内の「どもり」の表現が「吃音」に変えられていた。
電話の相手は、自分自身も吃音のある、ことばの教室の担当者でした。行事の案内に教育委員会の後援を取るとき、文面の「吃音(どもり)」や「どもる子」が問題にならないか、と問われたのだといいます。書き手はこのあと、親の会の会報に頼まれて書いた文章でも「どもり」が「吃音」に変えられ、押し切られて同意したものの釈然としないものが残ったこと、市川雷蔵主演の映画『炎上』で「どもり」というセリフが無音にされて上映された時期があり、のちにNHKの衛星放送では元に戻っていたこと、1970年代には『どもりの話』(東京大学出版会、1976年)のように「どもり」を題に掲げた専門書が並んでいたことを挙げていきます。全部を「どもり」に言い換えたいわけではなく、現実には「吃音」と「どもり」を意識せず自由に使っている、と断ったうえで、使い慣れた「どもり」を死語にしたくない、と結んでいます。資料の側を見ると、公的機関の解説の書き出しは、いまもこの語を併記しています。
出典: どもりは差別語か(伊藤伸二の吃音(どもり)相談室)(台帳: V0399)
国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説は「吃音(きつおん、どもり)は、話し言葉が滑らかに出ない発話障害のひとつです」と書き出し、日本吃音・流暢性障害学会の解説は「吃音(きつおん、どもること)は、話し言葉が滑らかに出ない発話障害です」と書き出しています。どちらも、読み仮名と「どもり」を同じ括弧に入れています。公的な解説がこの語を避けていないことは、まず押さえておいてよい事実です。
この団体は、通常学級の担任に向けたページでは、もう一歩踏み込んでいます。「吃音」のことばを知らず、「どもり」を教育現場で使わなくなって吃音は見えにくくなった、と述べたうえで、「どもり」は差別語ではないので是非使ってほしい、と書いています。ただしこれは、この団体の立場です。合意された指針ではありませんし、同じ語に重い響きを感じた家族の記録も、この記事の後半に置きます。
「放送には適さない用語」として扱ってきた——マイクの側にいた母
では、「どもり」は差別用語だという認識は、どこから来たのでしょうか。放送の仕事をしてきた人が、自分の側の扱いを書き残しています。3歳の息子に、それまで無かった吃音が現れて間もないころの記録です。
3歳の息子に吃音が現れた母の声(ナレーター・都竹悦子さん。長年ラジオやテレビに携わってきたと本文に記載。本人の公式サイトのブログ)
「どもる」。
余談ですが、長年ラジオやテレビに携わってきた人間の一人として、この言葉を使うことにはやはり抵抗があります。いわゆる差別用語とされ、放送には適さない用語だとして扱ってきましたから。
息子についても、このブログに書くことも「タブー」なんじゃないか、とも考えました。
ほんの先週までは吃音の症状が皆無だった、と同じ記事にあります。「おおおおお、お、お、おかあさん」と呼ばれた側の母親が最初に書き留めたのは、症状ではなく語のほうでした。「どもる」の一語を段落として置き、そのすぐあとに、放送の側で「いわゆる差別用語」「放送には適さない用語」として扱ってきた自分の来歴を明かしています。ここに書かれているのは、誰かに決められた規則ではなく、現場で受け継がれてきた扱いです。その扱いが自分の息子の話し方を指す語になった途端、書くこと自体がタブーではないかという迷いに変わりました。書き手はこのあと、隠すこと、何事もないかのように扱うこと、何よりタブー視することが逆効果になることもあると学んだ、と続け、学んだことを何回かに分けて書いていくと決めています。この判断は、学会が保護者に向けて書いていることと重なります。
出典: 息子についての悩み~吃音1~(都竹悦子公式サイト)(台帳: V0062)
日本吃音・流暢性障害学会の解説は、昔は「吃音に気がつかせない方がよい」という対応が主流だったが、今はそのような考え方は否定されている、と明記しています。語を口にしないことと、話題にしないことは、地続きです。
放送で吃音をどう語るかについて、この記事の参照範囲で手元にある指針は、英国のものです。英国の当事者団体 STAMMA の「吃音について語るための指針」は、テレビ・ラジオ・映画で吃音の声が聞こえるようにしてほしい——ただし、誰かが吃音を「克服した」「打ち負かされた」「治した」という文脈ではなく、あらゆる内容を作っているアクセントと声の豊かな模様の一部として——と求めています。同じ指針は、吃音・吃るという語を失敗や出来の悪さの代名詞として使うのをやめるよう求め、メディアで吃音を扱う番組を企画するなら関係者に指針を共有してほしいとも書いています。この指針は英国の言語聴覚士の職能団体(英国王立言語聴覚士会 Royal College of Speech & Language Therapists)の承認を受け、必要に応じて更新される生きた指針として2024年1月に最終更新されています。配布物としても公開され、放送で使う、学校や職場へ持っていく、線を越えた表現に出会ったらどの線を越えたのかを相手に伝える、と呼びかけられています。
つまり英国の指針が問題にしているのは、「吃る」という語そのものではなく、その語が「失敗」の代名詞として使われることと、「克服」の物語に閉じ込められることです。日本の放送でこの語がどう扱われてきたかを定めた公的な資料は、この記事が参照した範囲には見つかりませんでした。
「つっかえてしまうから」——娘に「どもる」を使わなかった父
家庭では、語を選ぶ場面が毎日あります。自分の吃音を、幼い子どもにどう説明するか。吃音のある作家が、会場からの質問に答えています。同じく吃音があり、娘2人の父であるライターとの対談の一場面です。
吃音当事者で娘2人の父である作家・重松清さんの声(新潮社ウェブマガジン「考える人」のトークショー採録。聞き手のライター・近藤雄生さんも吃音当事者で娘2人の父)
でも、「どもる」という単語は、使えなかったな。もしかしたら、俺がメディアなんかに登場していたから、娘も、友達から何か言われたことがあったかもしれないけれども、少なくとも、本人たちはそんなに、うん、僕に何かを訴えるようなことはなかったから、よかったなと。
会場から寄せられた質問は二つで、一つは吃音のある34歳・3児の父からの「子どもに自分の吃音を、どう伝えればいいか」、もう一つは小学4年生の息子に吃音があるという親からの「子どもに、本人の吃音についてどう伝えるべきか」でした。先に答えた近藤さんは、大切なのはその子の気持ちに寄り添うようにして伝えることで、安易に「気にすることはない、大したことはない」とは言わないことだ、と述べています。重松さんが娘たちの幼いころに使っていたのは「あまりうまくしゃべれないから」「つっかえてしまうから」という言い方で、「どもる」は使えなかった、と続きます。名前の代わりに渡されたのは、症状の言い方でした。家庭でどんな言葉を使うかについては、医師の助言と学会の言葉が手元にあります。
出典: 重松清×近藤雄生 トークショー採録 第4回(考える人・新潮社)(台帳: V0131)
九州大学病院の耳鼻咽喉科の医師は、保護者からの質問に答える連載の中で、自身も40年くらい吃音者だと明かしたうえで、まず言葉遣いを変えることが大事だといつも伝えている、と書いています。「吃音が悪化する」「吃音がひどくなる」という言葉ではなく「吃音が増える」という中立的な言葉が良い、「吃音が改善する」ではなく「吃音が減った」という言葉を自分は使うようにしている、というのがその中身です。表面上の吃音の状態に保護者の心理が左右されるのではなく、「話したい気持ち」を育てることを重視するとよい、とも述べています。
そして学会の解説は、親子で吃音について話ができる関係づくりを心がけましょう、と書いたうえで、子どもに伝えるメッセージとして『どもってもよいから、たくさんおしゃべりしてね』という言葉を挙げています。学会自身が、子どもへ向けた言葉に「どもる」という動詞を使っているということです。「どもる」を使わない家庭も、使う家庭も、どちらも間違いではありません。使うかどうかより、話題にできる関係があるかどうかのほうが、資料の側では重く扱われています。
「何か重い響きを感じ」——同じ語に差別を感じた父
同じ語を自分の言葉として使い続けたい人がいる一方で、その語に重さを感じる人もいます。どちらも、当事者と家族の側にある受け止めです。吃音のある子と親が集まるキャンプに参加した父親が、手記の最後に短い追記を残しています。
小学2年生の息子に吃音がある父親の声(愛知県。吃音のある子と親のキャンプに初参加。自助団体の会報に寄せた手記の末尾の追記で、同団体のサイトに再掲されたもの)
追記
私はこの文章の中でも使わなかったように、これまで”どもる”という言葉が使えなかった。何か重い響きを感じ、差別ことばにも感じられた。だから、子どものことには、間違っても使えなかった。でも、サマキャン(参加2年目以降の人はこう呼んでいた)に参加してからは、大丈夫だ。これも変化かな。
手記の本文には、2歳半で弟が生まれたあとに始まった息子の吃音、小学2年生の布団の中で「なんでぼくだけことばがつまるの?」と泣かれた夜、息子が書いた作文の題名が「特効薬」だったことが書かれています。その本文を、書き手は一度も「どもる」を使わずに書き通しました。そして最後に、使わなかったこと自体を追記しています。重い響き、差別ことばにも感じられた、だから子どものことには間違っても使えなかった——ここには、前の節で団体の代表が書いたのと同じ語への、正反対の受け止めがあります。変わったきっかけは、吃音のある子どもと親が何日も一緒に過ごすキャンプでした。追記の直前には、人気アイドルが吃音だったら世の中のイメージは変わらないだろうか、とも書いています(有名人と吃音については 吃音のある有名人をまとめた記事 に整理しています)。語が重いのは、語そのものより、その語に張り付いた見られ方のためだ、と研究の側は説明しています。
出典: 第18回吃音親子サマーキャンプに参加しての感想(吃音と上手につきあうための吃音相談室)(台帳: V0212)
吃音のある人自身の体験を治療に生かすことを論じた2022年の論文は、社会がしばしば吃音のある人を否定的に描き、吃音を異常なものとする理想を強化してしまう、と述べています。そして、社会からのそうした評価を受けることが、「流暢であるべきだという期待に、自分の落ち度や限界のせいで応えられない」と感じる自己スティグマ——世間の偏見のまなざしを自分自身に向けてしまうこと——につながる、と説明しています。語が重く響くとき、その重さの正体は、語に張り付いたこの見られ方です。
見られ方がどれほど否定的かは、研究の導入でも繰り返し引かれています。求職面接での印象を調べた2025年の研究は、吃音への世間の態度は精神疾患への態度とほぼ同じくらい否定的だったという調査や、大学生が吃音のある弁護士を吃音のない弁護士より有能さや知性の面で低く見たという調査を挙げ、吃音のある人へのスティグマ(偏見のまなざし)は吃音そのものと同じくらい世界的な現象だと述べています。日本の学会の解説も、吃音のある人の話し方を真似すると吃音になる(伝染する)という俗説があって、吃音のある子とは遊んではいけないという差別があった(今もあるかもしれません)、と書いています。「差別用語かどうか」の手前に、こうした扱いがありました。学校での真似やからかいの実態は 吃音といじめをまとめた記事 に、法律の側の枠組みは 合理的配慮をまとめた記事 に整理しています。
「吃音症」の「症」——医学の側でも名前は動いている
「どもり」を避けて「吃音」を使い、さらに「吃音症」と「症」を付ける。この流れを「病気扱いが進んだ」と受け取る人もいます。ただ、診断の側の名前は、それとは別の理由で動いてきました。
米国精神医学会は、2013年に出した診断基準の第5版(DSM-5)で吃音の分類と記述を改め、診断名を「吃音(stuttering)」から「小児期発症流暢症(childhood-onset fluency disorder)」に変更しました。あわせて、間投詞(つなぎのことば)についての基準を外し、話す場面を避けることや不安についての基準を新たに加え、大人になってから始まる吃音を小児期発症のものと区別しています。同じ論文は、多くの人にとって、話す場面を避けることと社交不安こそが、この状態のいちばん生活を妨げる特徴だと明記しています。つまり診断名に「症」が付いた背景には、話し方の乱れだけでなく、避けることや不安といった困りごとを診断の中に入れる、という判断がありました。
日本の学会の解説も、低年齢から発症するものを「発達性吃音(小児期発症流暢症)」と併記しています。一方で、ドイツの診療ガイドラインは、吃音に特徴的な、なめらかに出ない話し方(非流暢性)は子どもの正常なことばの発達の一部ではないので、「発達性吃音」という用語はもう使うべきでないと述べています。同じ語をめぐって、国によって推奨が違います。
研究者も、語を選んでいます。利き手と吃音の関係を調べた2023年のメタ分析(複数の研究の結果を統合して調べる方法)は、米国の診断基準の最新版では「吃音(stuttering)」はもはや正式な診断名ではなく小児期発症流暢症に変わったと述べたうえで、この変更より前の多くの研究を扱うため、自分たちの論文では「吃音(stuttering)」の語を採用する、と断っています。正式な名前が変わっても、使い慣れた語がすぐに消えるわけではない——これは、当事者団体の代表が「死語にしたくない」と書いたことと、形は違えど同じ事情です。名前の一覧と、それぞれが何を指すかは 読み方と名前の一覧をまとめた記事 に、定義と分類は 定義と分類をまとめた記事 に、「吃音者」という呼び方は 「吃音者」という語をまとめた記事 に整理しています。
記事や会話で、どう呼べばいいのか
ここまでを踏まえて、いま語を選ばなければならない人のための目安を、資料にあるものだけで並べます。
本人が使っている言い方に合わせる。専門誌に載った立場表明は、吃音のある人の評価と支援をめぐって、能力主義的か反能力主義的かという対立の図式で語られがちなことを問題にし、受け入れることと変えることは互いに排他的ではないという中間の立場を取り戻すべきだと述べたうえで、中心に置くべきは吃音のある人その人だと強調しています。本人の望みを尊重し、本人が自分で定めた目標を支える、当事者中心のやり方が求められています。呼び方も同じで、その人が「どもり」と名乗っているなら「どもり」で、「吃音」と言っているなら「吃音」で応じるのが、いちばん確実です。
迷うなら、公的機関の書き方に倣う。国立障害者リハビリテーションセンター研究所は「吃音(きつおん、どもり)」、学会は「吃音(きつおん、どもること)」と、併記の形を取っています。記事や配布物の最初の一度は「吃音(どもり)」と併記し、あとは相手や文脈に合わせる、という書き方が、資料の側の実際です。
語より、言い回しに気をつける。英国の指針が具体的に挙げている置き換えは、次のとおりです。吃音に「苦しんでいる」「冒されている」と言う代わりに「その人は吃る」と書く。誰かの吃音を「ひどい」「衰弱させる」と形容せず、同じく「その人は吃る」と書く。吃音を「打ち負かす」「克服する」と言うのを避ける(治せるものではないため)。物事が滞ったり失敗したりする様子を表すのに「吃る」という語を使わない。誰かの吃音を「今日は調子が悪い」と評さない——その人はただ話しているだけだから。日本語の資料では、九州大学病院の医師が、「悪化する」「ひどくなる」ではなく「増える」、「改善する」ではなく「減った」という中立的な言葉を勧めています。
俗説を書かない。吃音のある人の話し方を真似すると吃音になる(伝染する)という説は、学会が俗説として挙げ、それによる差別があったと書いているものです。親の接し方が悪かったことを原因とする説も、学会が最も問題のある間違った原因論として名指ししています。「うつる」「親のせい」といった言い方は、語の選び方以前に、事実として退けられています。
話しているときの応じ方。同じ英国の指針は、取材する・配役する・話す・一緒に働く相手が吃る人であるとき、さえぎらずに話し終えるまで待つ、ときどきうなずいて聞いていると伝える、自然な目線を保つ、話し方の良し悪しを口にしたり流暢に話せたことを褒めたりしない(吃音が悪いことだという考えを補強してしまうため)、吃ったときに冗談にしたり憐れんだりしない、と並べています。
そして、呼び方の手前に困りごとがあるなら、相談先があります。学会の解説は、子どもについては小児を扱う言語聴覚士(ことばとコミュニケーションの専門職)や、ことばの教室の教員に相談するよう勧め、本人が治療を希望する場合には言語聴覚士による発話訓練という選択肢があること、自助団体に参加してほかの吃音のある人と出会うことが、吃音を否定的に捉えることが減るといった心理的な変化のきっかけになることもある、と書いています。自助団体のうち、1965年に発足した「言友会」が日本で最も歴史が古いとされています。相談先の全体像は 吃音とは何かをまとめた記事 に整理しています。
「どもり」をめぐる3つの落とし穴
落とし穴1 − 語を禁句にして、話題ごと消してしまう
「どもり」を避けること自体は、その人の判断です。ただ、語を避けるうちに吃音の話そのものを避けてしまうと、別の問題が起きます。学会は、「吃音に気がつかせない方がよい」という昔の対応は今は否定されているとし、親子で吃音について話ができる関係づくりを勧めています。放送の側にいた母親が、タブー視することが逆効果になることもあると学んで書くと決めた、と記していたのも同じ地点です。語を使うかどうかと、話題にするかどうかは、分けて考えてください。
落とし穴2 − 語を言い換えれば、差別が消えると考える
英国の指針が問題にしているのは、「吃る」という語そのものではなく、それが失敗の代名詞として使われることや、「克服」の物語に閉じ込められることです。研究の側も、社会が吃音を異常なものとする理想を強化し、それが自己スティグマにつながると説明しています。語を替えても、見られ方が同じなら重さは残ります。学会が挙げている「真似するとうつる」という俗説と、それによる差別も、語の問題ではありませんでした。
落とし穴3 − 本人抜きで、呼び方を決める
同じ語に、自分の言葉として使い続けたい人と、重い響きを感じた人がいます。専門誌の立場表明が、中心に置くべきは吃音のある人その人だと強調しているとおり、呼び方の正解は資料の中ではなく、目の前の相手が使っている言い方の中にあります。
呼び方より先に、話しにくさで困っていることがあるなら、言語聴覚士やことばの教室に相談できます。どんな場面で出やすいか、そのとき周りがどう応じたかを書き留めておくと、相談のときに伝えやすくなります。
よくある質問
「どもり」は差別用語ですか?
使ってはいけないと定めた公的な決まりは、この記事が参照した資料の中にはありません。国立障害者リハビリテーションセンター研究所の解説は「吃音(きつおん、どもり)」、日本吃音・流暢性障害学会の解説は「吃音(きつおん、どもること)」と、いずれも併記しています。当事者団体は「どもり」は差別語ではないので使ってほしいという立場を示していますが、同じ語に重い響きを感じて子どものことには使えなかった、と書いた父親の記録もあります。相手が使っている言い方に合わせるのが確実です。
「どもり」は放送禁止用語ですか?
日本の放送でこの語を使わないと定めた公的な資料は、この記事が参照した範囲にはありません。分かっているのは、放送の仕事をしてきた当事者の家族が「いわゆる差別用語とされ、放送には適さない用語だとして扱ってきた」と記していることまでです。英国では、当事者団体の語り方の指針が、吃音の声をテレビ・ラジオ・映画で「克服した」という文脈ではなく声の多様性の一部として聞こえるようにすること、吃るという語を失敗の代名詞として使わないことを求め、英国の言語聴覚士の職能団体の承認を受けています。この指針は配布物として公開され、放送で使うよう呼びかけられています。
「吃音」と「吃音症」は違うものですか?
指しているものは同じです。診断の場では、低年齢から始まるものを発達性吃音、あるいは小児期発症流暢症と呼びます。米国精神医学会の診断基準は2013年の第5版で診断名を「吃音」から「小児期発症流暢症」に改め、話す場面を避けることや不安についての基準を新たに加えました。「症」の付いた名前は、話し方だけでなく困りごとを含めて診断する、という判断を反映しています。
子どもに、吃音のことを何と説明すればいいですか?
学会の解説は、親子で吃音について話ができる関係づくりを心がけ、『どもってもよいから、たくさんおしゃべりしてね』というメッセージを伝えましょう、と書いています。九州大学病院の医師は、「悪化する」「ひどくなる」ではなく「増える」、「改善する」ではなく「減った」という中立的な言葉を使うよう勧めています。「どもる」という語を使うかどうかは家庭によって違い、幼い娘に「つっかえてしまうから」と伝えた作家の記録もあります。
記事やSNSで吃音について書くとき、避けたほうがいい言い方はありますか?
英国の当事者団体の指針は、吃音に「苦しんでいる」「冒されている」と言う代わりに「その人は吃る」と書くこと、「打ち負かす」「克服する」と言うのを避けること、物事が滞ったり失敗したりする様子に「吃る」という語を使わないこと、「今日は調子が悪い」と評さないことを挙げています。日本語では、「悪化」ではなく「増える」という中立的な言葉が勧められています。真似するとうつる、親の接し方が原因、といった説は、学会が俗説・間違った原因論として退けています。
まとめ
- 公的機関の解説は「吃音(きつおん、どもり)」、学会の解説は「吃音(きつおん、どもること)」と、いまも併記している。資料の側では、「どもり」は禁じられた語ではない。
- 放送の側で「差別用語とされ、放送には適さない用語」として扱われてきた、と当事者の家族が記している。ただし、誰がいつ決めたかを示す公的な資料は、この記事の参照範囲には無い。
- 同じ語を「死語にしたくない」と書いた当事者団体の代表と、「重い響き」「差別ことば」に感じて子どものことには使えなかった父親がいる。受け止めは当事者・家族の中で割れており、語の重さは吃音を異常なものとする見られ方と、それが生む自己スティグマに由来する。
- 医学の側の名前も動いている。米国精神医学会の診断基準は2013年に「小児期発症流暢症」へ改め、避けることや不安を基準に加えた。ドイツの診療ガイドラインは「発達性吃音」の語をもう使うべきでないとし、研究者は古い研究との連続性のために「吃音」の語を選び続けている。
- 呼び方は本人に合わせる。迷うなら「吃音(どもり)」の併記。語より言い回し——「苦しんでいる」「克服」を避け、失敗の代名詞に使わない。「悪化」ではなく「増える」。
