まず結論から
- 「無声型」は、吃音の中核症状のひとつ難発(なんぱつ、ブロック)——ことばを出せずに間があいてしまうタイプ——を指した呼び名です。学会の資料に載っている正式な名称ではありません。
- 音が出たうえで乱れる連発・伸発と違い、無声型は音そのものが出ません。思春期以降は、連発や伸発よりもこの難発が中心になっていきます。
- 「歌なら吃らない」のは矛盾ではありません。歌を歌うとき、2人で声を合わせるとき、独り言のときには、一時的に流暢になる人が多いことが知られています。
- 実際に測ると、吃音のある成人17名では、どもった音節の割合が一人での音読で平均12.9%だったのに対し、相手と声をそろえて読むと平均1.5%まで下がりました。
- ただし、こうした効果は一時的で、なぜそうなるのかは決着していません。神経科学の分野で多くの研究をまとめて見渡した論文(総説)は、「話すときは吃るのに、なぜ歌うときは吃らないのか」を、吃音の未解決の3つの謎のひとつに挙げています。
ただし、歌でどもらないことは「本気を出せば話せるはず」という意味ではなく、リズムに乗せて話す方法や呼吸のコントロールだけを治療の柱にすることは、診療ガイドラインでは行うべきでないとされています(そう判断した根拠自体は強くない、という但し書きつきです)。
「無声型」は何を指す言葉か — 難発(ブロック)の別の呼び名
先に用語を整理します。「無声型」は、学会の資料や医学書にそのまま載っている正式な名称ではありません。学会が挙げる吃音の中核症状は次の3つで、このうち「声が出ないまま間があく」型を指して、無声型という言い方がされています。
- 連発(れんぱつ)=音を繰り返す。例「か、か、からす」
- 伸発(しんぱつ)=音を引き伸ばす。例「かーーらす」
- 難発(なんぱつ、ブロック)=無声型=ことばを出せずに間があいてしまう。例「・・・・からす」
連発・伸発が「音が出たうえで乱れる」のに対し、無声型(難発)はそもそも音が出てきません。この違いが、のちほど見る「歌えるのに話せないことが周りに伝わらない」という無声型特有の困りごとにつながります。
もうひとつ、吃音では、なんとか声を出そうとして顔面や身体に力が入り、手足を振り下ろす・飛び跳ねる・前屈する・息を荒げる・顔をしかめる・目を固くつぶるといった、必要のない身体の動きをともなう場合もあります。これは随伴症状(随伴運動)と呼ばれます。声を出そうと力むときに起こる症状なので、無声型で詰まっている場面と重なります。
また、吃音には状況によって症状が出やすかったり出にくかったりするという特徴があり、調子の良い時期・悪い時期が数週間〜数ヶ月にわたって続く人も多く、この変動を「波」と呼びます。「昨日は言えたのに今日は詰まる」は、無声型でもめずらしいことではありません。
「声が出ない」とき、本人の中で何が起きているのか
無声型の“詰まる瞬間”は、外からは沈黙にしか見えません。だからこそ、当事者の言葉から見ていくのがいちばん近道です。
次の語り手は、高校の理科の教員です。一日中しゃべる仕事に就いてみたら、授業では吃音が出にくかった——ところが、どうしても難しい場面が2つ残ったと書いています。
当事者本人の声(吃音のある高校教諭・教員歴15年以上/個人ブログ note)
それでも難しかったのは、自己紹介と電話です。吃音者あるあるですが、自分の名前を言うのが何より苦手です。おそらく自分の名前が度重なる失敗体験と結びついていて、極度に緊張してどもりやすい状態になるのだと思います。電話も同様で「話さなきゃ」という焦りがさらなる緊張を生みます。校外の方が参加する会議での自己紹介や保護者への電話では、いつも吃音の症状が出て自己嫌悪に陥りました。そういった場面では「難発」の症状があり、それでも無理に声を出そうとすると、「た、たたた、」のように連発気味の発声になりました。
働き始めた当初は不安しかなかったと書くこの人が、「一つ救われた」と感じたのは、授業では吃音が出にくいことだったといいます。授業の内容のほうにかなり意識をもっていかれるからではないか、と本人は書いています。それでも残ったのが、自己紹介と電話でした。自己紹介の順番を待つあいだの感覚を、本人は「処刑台に上っていくような気持ち」と書いています。冷や汗が出て、心拍数が上がる。そこで無理に声を押し出そうとすると、今度は音が連なって出る。この「自分の名前がいちばん言いにくい」という体感には、研究の側からの説明もあります。
出典: 吃音せんせいVol.1:自己紹介(note)(台帳: V0142)
よく知っているはずの自分の名前が、なぜいちばん言いにくいのか。ある理論研究は、話すことが「考えなくてもできる自動の処理」と「意識してコントロールする処理」の組み合わせで成り立っていると考えます。どちらかに大きく寄った発話——とっさの叫び、独り言、決まり文句のあいさつ——では、この2つのぶつかり合いが小さいので、むしろどもりにくい、と整理されています。
逆に起きやすいのは、その2つが同時に高く求められる発話です。名前を言う行為は本来よく身についていて努力の要らないもののはずなのに、「伝えなければ」という責任の重さから、意識してコントロールする側を使いすぎてしまう。「名前を言ってください」と求められる場面でこそ吃音が最も出やすいのはそのためだ、という見方がこの論文で示されています。
そして、思春期以降は、連発や伸発よりも、最初の音が出しづらくなる難発のほうが症状の中心になっていくことが知られています。大人になってから「声が出ない」ことで困る人が多いのは、この変化と重なっています。
歌うときは、なぜ吃らないのか
「吃音 歌 吃らない」「吃音 歌えない」——このテーマが検索されるのは、当事者自身がいちばん不思議に思っているからです。声が出せなくて詰まる同じ人が、歌になると詰まらない。
次の語り手は情報学の研究者で、記事では「見た目にはほとんど分からない『隠れ吃音』タイプ」と紹介されています。話しているとき、その先にどもりそうな言葉があると分かる、そこでアラートが鳴り始める——そう説明したうえで、歌のときの感覚をこう語っています。
当事者本人の声(情報学研究者ドミニク・チェンさん/ウェブメディアの署名インタビュー。聞き手の伊藤亜紗さんも吃音当事者)
歌を歌うときになぜどもらないか、というのを考えるととても不思議な感じがします。恥ずかしいんですけど、ぼくヒップホップが好きで、ティーンの頃などはいろいろな言語の歌詞をプリントして防水加工して、シャワー浴びながらラップしたりしてたんですが(笑)、ひとつの詩っていうのは結構長いんですよね。でも一度暗記した歌詞を歌っているときは、さっきのような先を予測するということは一切意識していなくて、言えばこの先が出てくる、という感じ。やってることはかなり崖っぷちなんですよ。視野がものすごく限定されている状態を突き進んでいる感じ。でも心は非常に安心して歌えている。
話すときのこの人は、先にどもりそうな言葉があると分かってしまい、同時に別の言い方を用意している。それが歌になると、先を読む作業が消える——本人はそう説明しています。同じインタビューでは、音読も問題ないと語り、小学校でフランス語の教科書の最初のフレーズを読めたときの嬉しさが今の自分のベースにある気がする、とも振り返っています。努力の量が変わったわけではないのに、発話のしかたが変わると出方が変わる。この落差は、研究の側でも知られた現象です。
出典: 「隠れ吃音」と付き合って生きていくということ──ドミニク・チェン+伊藤亜紗(WIRED.jp)(台帳: V0187)
学会の資料も、吃音の特徴として、歌うとき、2人で声を合わせるとき、ひとりごとを言うときなどには、一時的にではあるものの流暢になる人が多いことを挙げています。つまり、歌えるのに話せないのは、その人の努力不足でも気の持ちようでもなく、吃音という現象がもともと持っている性質です。
この現象は、実際に数字でも測られています。吃音のある成人17名と、吃音のない成人17名に、①絵を見て自由に話す②一人で文章を音読する③相手と一緒に、声をそろえて音読する、の3つをやってもらった研究があります。
吃音のある人たちでは、どもった音節の割合が、一人で自由に話すときは平均16.8%、一人での音読では平均12.9%だったのに対し、相手と声をそろえて読むと平均1.5%まで下がりました。一人で自由に話すときと一人で音読するときのあいだには、差がありませんでした。つまり「読む」だけでは変わらず、「誰かと声がそろう」ことで初めて変わったわけです。
ただし、この研究は同時に、声をそろえて読んだときでさえ、吃音のある群とない群の差は残ったことも報告しています。「声をそろえれば吃音のない人と同じになる」わけではありません。
では、なぜそうなるのか。じつは、ここが決着していません。よく言われてきたのは「外からリズムが与えられるから、内側のタイミングの不調を迂回できる」という説明です。しかし2025年の研究は、声をそろえて読むときのリズムの変わり方が、吃音のある人とない人で逆向きだったことを見つけ、「外のリズムに合わせているから流暢になる」という仮説への支持は限られると述べています。先に挙げた2022年の研究は、一人で読んでいるときには自分の発話へ内向きに注意が向き、身についたはずの動きが自動でなくなっているのではないか、という別の見方も示しています。
神経科学の総説にいたっては、「話すときには吃音が出るのに、歌うときには出ないのはなぜか」を、まだ解けていない3つの謎のひとつとして正面から掲げています。歌と話し声の違いとして総説が挙げるのは、歌ではメロディもリズムも音量も時間の枠組みが決まっているのに対し、話し声の抑揚は伝えたい文脈によって変わる、という点です。
「歌えるのに話せない」が、周りに伝わらない
歌えることは、当事者にとって救いであると同時に、やっかいでもあります。「歌えるなら話せるはずだ」と受け取られてしまうからです。
次の語り手は、兵庫県の介護施設に長年勤めてきた60歳の女性です。地方紙の人物欄によれば、小学校低学年の頃に本を思うように音読できず吃音を自覚し、大学時代はロックバンドのボーカルを務めましたが、歌はスムーズに歌えたのに場の進行(MC)ができず、歌の道を諦めました。以来、吃音を疎ましく感じ、他人には隠してきたといいます。50歳の頃に治療に取り組み、同じ吃音のある仲間と出会ってから、自分の経験を題材にした曲を歌うライブや講演で発信するようになりました。
当事者本人の声(越賀美穂さん・60歳・介護職/地方紙の人物欄インタビュー)
当事者が言えるようになるためには、周りの人の理解が必要。見た目では分からないたくさんの症状を知ろうとする気持ちを持ってほしい。
歌えるのにMCができない、という形で断念が起きたことは、この人の吃音が「見た目では分からない」ものだったことと表裏です。声が出ないタイプの吃音は、外からは沈黙や“間”にしか見えず、しかも本人は隠すことができてしまう。隠せてしまうぶん、困りごとは他人の目に入らないまま積み上がります。記事には「不便はあるが、不幸なことではない」という本人の言葉も添えられていますが、そこに至るまでに数十年かかっていることは見落とせません。実際、隠すための工夫そのものが負担になることは、学会の資料も指摘しています。
出典: 「吃音」当事者として歌や講演で理解深める 越賀美穂さん(丹波市)(丹波新聞)(台帳: V0133)
吃音のある人は、話す場面での失敗が積み重なると、口を開く前から不安や恐怖がわいてきて、やがて会話や人づきあいを避けるようになっていくことがあります。また、言いにくい単語を言いやすい言葉に置き換えるなどの工夫で、吃音を巧みに隠そうとする人もいます。そうなると吃音そのものは目立ちにくくなる一方で、いつ吃音が出るかを毎日警戒しながら暮らすことになり、ストレスや悩みを一人で抱え込みやすくなります。
さらに、場面によって出方がここまで変わることが、周囲の誤解を生みます。学会の資料は、流暢になりやすい場面として歌・2人で声を合わせるとき・独り言を挙げる一方で、困難を感じやすい場面として、中高生の部活動や入学面接、大学生のゼミ発表や就職活動、社会人の職場の電話応対を挙げています。
「あのときは話せていたのに」という周囲の言葉は、この落差を見誤ったところから出てきます。声をそろえて話すと流暢さが上がる効果も、一時的なものだと整理されています。その場で出た声は、次の場面まで持ち越せるとは限りません。
「気にしなければ治る」「ゆっくり話して」と言われて
無声型で困っている人が周囲からいちばんよく掛けられるのが、「落ち着いて」「ゆっくり話して」「気にしなければ治る」です。善意から出た言葉ですが、当事者の実感はしばしば逆を向きます。
次の語り手は、話すことを仕事にしてきたフリーアナウンサーです。番組の冒頭では、吃音は過去のものではなく今も自分にあると語り、吃音のある人を相手にした講演では、まず「みなさん、吃音は治りませんよ」と伝えていると話しています。そのうえで「僕ぐらいには喋れるようになりますよ」と続けると、聞き手の目が輝きだす、とも語っています。幼少期のことを聞かれて出てきたのが、次の言葉でした。
当事者本人の声(フリーアナウンサー・小倉智昭さん/ラジオ番組の書き起こし記事)
物心ついたときにはそうでしたよ。親も何が原因で吃音になったかわからないと(言っていた)。ただ、「ゆっくり話しなさい」と言われれば言われるほど、酷くなるんですよね。今でも小学校のクラス会とかに行くと、「小倉君がアナウンサーになると聞いてビックリした」って言われる。
同じ番組で、この人は少年期に自分で気づいたことも語っています。自分のリズムで話せる独り言では絶対につっかえない。歌を歌っているときもつっかえない。みんなで教科書を読むときも吃音にならず、かえってうまいと褒められた。そこから「ひょっとしたら俺は話す職業に就けるかもしれない」と思うようになった、という順序です。ここまで読んできた「歌なら出る」「声をそろえると出にくい」という話が、ひとりの人生の中でそのまま起きています。一方で、今でも突然話を振られたときには吃音が出るし、電話も出そうになるから嫌いだ、とも語っています。掛けられる助言の側は、この長い経過を見ていません。
出典: 小倉智昭 吃音に苦しんだ幼少期…それでも「アナウンサー」を志した理由とは?(TOKYO FM+/AuDee)(台帳: V0126)
「気にさせないほうがよい」という考え方は、いまは否定されています。かつては「吃音に気がつかせない方がよい」という対応が主流でしたが、気づかない振りをしたり、話しにくいと相談されても取り合わなかったりして本人を孤立させるのではなく、「吃音とうまく付き合っていく」方法を支援者と一緒に考えることが大切だとされています。むしろ、吃音を恥ずかしいと思ってなんとか出さないように力を入れてもがくことが、悪化につながるとされています。
原因の面から見ても、無声型かどうかにかかわらず、発達性吃音(幼児期に自然に始まる吃音で、吃音の9割以上を占めます)の原因は、生まれ持った体質的な要因が多くを占めると考えられています。2000年頃以降の双子研究・脳研究・遺伝子研究によって、環境的な要因よりも体質的な要因が大きいことが分かってきました。診療ガイドラインも、この吃音が脳の構造と機能の変化に関連していることを前提に置き、遺伝のしやすさを70%から80%以上と見積もっています。
親の接し方(愛情不足)を原因とする考え方は、最も問題のある間違った原因論として名指しで否定されています。緊張やストレスのみから生じるものでも、本人がわざとやっているものでもありません。
無声型とのつき合い方と、相談先
無声型そのものを一瞬で消す方法はありませんが、考え方は整理されています。
まず、多くの当事者が使っているのが「言い換え」です。詰まりやすいことばを言いやすいことばに置き換えたり、言いやすい言葉を最初に言ったりする工夫で、吃音は目立ちにくくなります。ただし前の節で見たとおり、目立たなくなるだけで負担は残ります。言い換えだけで長く乗り切ろうとすると、警戒しつづける生活のほうが重くなっていきます。
本人が治療を希望する場合には、言語聴覚士による発話訓練を受けるという選択肢があります。診療ガイドラインは、青年・成人については、話し方そのものを組み立て直していく訓練(流暢性形成法などと呼ばれます)に良好な根拠があり、効果も大きいと評価しています。どもり方そのものを楽な形に変えていく訓練のほうは、効果は中くらいで、根拠は弱いという評価です。
一方で、はっきり勧められていないものもあります。薬を使う治療は用いるべきでないと強く勧告されています。リズムに乗せて話す方法や呼吸のコントロールだけを治療の柱にすること、催眠、中身のはっきりしない吃音療法も、行うべきでないとされています。ただし、そう判断した根拠は強くありません。「歌なら吃らないのだから、リズムで治せるのでは」という発想が、ここでいったん止まる形になります。
発話訓練だけでは症状が改善しないときや、吃音への不安が強いときには、心理療法やカウンセリングが助けになることもあります。吃音の自助団体に参加して、同じように吃音のある人たちと出会うことも、吃音を否定的にとらえることが減るといった心理的な変化の入り口になりうるとされています。
相談やサポートの入り口としては、次のようなものがあります。
- 言語聴覚士による発話訓練:本人が治療を希望する場合の選択肢として挙げられています。多くは、言語聴覚士のいる医療機関で受けられます。
- ことばの教室:子どもの場合は、小児を扱う言語聴覚士や、ことばの教室の教員に相談します。
- 吃音の自助団体:共通の体験を語り合い、分かち合う場です。日本では1965年に発足した「言友会」がもっとも歴史が古く、近年は若者や女性を対象とした団体もあります。
相談を先延ばしにしないほうがよい理由もあります。診療ガイドラインは、日常生活や社会参加に支障が出ているなら、年齢や吃音が始まった時期にかかわらず吃音の治療を提供すべきだとしています。同じガイドラインは、ドイツでは治療の開始が不必要に遅れがちであることも指摘しています。
なお、発達性吃音は、発達障害者支援法(2005年施行)の対象に含まれます。学校や職場に対しては、合理的配慮として発表や電話応対の免除、あるいは試験などでの面接時間を延ばしてもらうことを申し出ることができます。ただ、申し出にあたって、医師の診断書、あるいは言語聴覚士の報告書を出すよう求められることがあります。声が出ないタイプの吃音は外から分かりにくいぶん、こうした書類が説明の手がかりになります。
無声型で陥りがちな3つの落とし穴
落とし穴1 −「歌えるんだから、本気を出せば話せるはず」と考える
歌うとき、2人で声を合わせるときに一時的に流暢になるのは、吃音という現象がもともと持っている性質です。しかもその効果は、一時的だと整理されています。歌えることは「話せる証拠」ではありません。
落とし穴2 −「ゆっくり話して」「気にしなければ治る」で片づける
「吃音に気がつかせない方がよい」という考え方は、いまは否定されています。原因は生まれ持った体質的な要因が多くを占めるとされ、診療ガイドラインはこの吃音を脳の構造と機能の変化に関連づけています。気の持ちようの問題として片づけると、本人は相談先から遠ざかります。
落とし穴3 − 言い換え・回避だけで乗り切ろうとする
言い換えは当座をしのげますが、いつ吃音が出るかを毎日警戒しながら暮らすことになり、ストレスや悩みを一人で抱え込みやすくなります。ひとりで抱え込まず、専門家と対処を整理するほうが近道です。
相談のときに役立つのは、日々のようすの記録です。どんな場面で・どの音で詰まったか、力みや身体の動きがあったか、歌や音読では出なかったか——場面によって出方が大きく変わるのが吃音の特徴なので、その場限りの印象より、期間をとった記録のほうが伝わります。まずは記録から小さく始めるのが現実的で、言語聴覚士など専門機関に相談できる場合は、そちらが確実です。
よくある質問
吃音の「無声型」とは何ですか?
吃音の中核症状のひとつ「難発(ブロック)」——ことばを出せずに間があいてしまうタイプ——を指した呼び名です。声(音)が出てこない状態が中心になることから、無声型と呼ばれることがあります。学会の資料には「難発、ブロック」として載っています。
歌うときは吃らないのに、話すと言葉が出ないのはなぜですか?
歌を歌うとき、2人で声を合わせるとき、独り言のときには、一時的に流暢になる人が多いことが知られています。ただし、なぜそうなるのかはまだ決着しておらず、神経科学の総説は「話すときは吃るのに歌うときは吃らないのはなぜか」を未解決の謎のひとつに挙げています。
歌やリズムに乗せて話す練習をすれば、吃音は治りますか?
診療ガイドラインは、リズムに乗せて話す方法や呼吸のコントロールだけを治療の柱にすることは行うべきでないとしています。ただし、そう判断した根拠は強くありません。青年・成人については、話し方そのものを組み立て直していく訓練に良好な根拠があるとされています。
「気にしなければ治る」と言われました。本当ですか?
「吃音に気がつかせない方がよい」という考え方は、いまは否定されています。原因は生まれ持った体質的な要因が多くを占めるとされており、診療ガイドラインは遺伝のしやすさを70%から80%以上と見積もっています。むしろ、吃音を出さないように力を入れてもがくことが悪化につながるとされています。
無声型はどこに相談すればよいですか?
本人が治療を希望する場合は、言語聴覚士による発話訓練という選択肢があります。子どもの場合は、小児を扱う言語聴覚士やことばの教室の教員が相談先です。診療ガイドラインは、日常生活や社会参加に支障が出ているなら、年齢や吃音が始まった時期にかかわらず治療を提供すべきだとしています。年齢を理由にためらう必要はありません。
まとめ
- 「無声型」は、吃音の中核症状のひとつ難発(ブロック)=ことばを出せずに間があいてしまうタイプを指した呼び名。学会の資料に載っている正式な名称ではない。
- 連発・伸発が「音が出て乱れる」のに対し、無声型は「音そのものが出ない」。思春期以降はこの難発が中心になっていく。
- 歌・2人で声を合わせるとき・独り言では一時的に流暢になる人が多く、一人での音読で平均12.9%だったどもった音節の割合が、声をそろえて読むと平均1.5%まで下がった。ただし効果は一時的で、理由はまだ決着していない。
- 原因は体質的な要因が大きく、育て方や、緊張・ストレスだけのせいではない。診療ガイドラインは、この吃音を脳の構造と機能の変化に関連づけている。
- 言い換えだけに頼らず、言語聴覚士やことばの教室、自助団体へ。診療ガイドラインは、支障が出ているなら年齢や発症の時期にかかわらず治療を提供すべきだとしているので、迷ったら相談を。
